第二十九話 ー 予備片
南塔の裏手に、使われていない計量室があった。
石壁に小窓がひとつ、机がひとつ、秤がひとつ。粉塵よけの布が被せられたままになっている。ライナルトは扉を閉め、内側から閂を落とした。
「少しは持つ」
短く言って、机の上を空ける。
私は抱えていた包みをそこへ置いた。薄いのに重みがある。中身のせいではありません。手順の重さでした。十年前から残っていたものを、今ようやく開けるのだと思うと、指先が少しだけ固くなる。
でも、迷っている時間はなかった。
塔のどこかで鐘が鳴っている。搬出の合図か、点検の合図かは分からない。ただ、仮置庫四の中身が動いたことは、もう誰かが知っているはずでした。
「開けます」
「ああ」
外布を外す。油布、灰布、薄板。その並びは前と同じです。けれど今度は途中で手が止まった。
「……違う」
「何がだ」
「包み方です」
私は薄板の角を指でなぞった。 結び目は急いでほどけるように見えて、実際には逆でした。左手で持って右手で引く人の結び方ではない。固定する位置が深い。ほどくより、持ち運ぶことを優先した縛り方です。
「開けるためじゃなく、落とさないための包みです」
ライナルトは黙って見ている。
私は板を外し、束になった層紙を机へ並べた。全部で十二枚。端に小さな印がある。赤、灰、黒、なし。規則がある並びでした。
上から一枚ずつずらす。
外縁第二節。
同じ記号。
同じ寸法。
でも、同じではありませんでした。
私は四枚目で指を止めた。
「これだけ、紙の向きが逆です」
繊維の流れが違う。普通は縦へ吸うものが、これは横へ流れる。しかも端に、極小さな針穴が二つある。綴じてあった跡です。
「予備片なら、一枚ずつ処理します」 私は言った。
「最初から束にするなら、端にこんな穴は要りません」
「つまり」
「一度、別の形だったものをほどいて入れ直しています」
外で足音がした。
私は言葉を切り、ライナルトを見る。彼は首を振った。まだ遠い。
私は四枚目を持ち上げ、裏返した。裏には何もない。けれど紙の厚みがわずかに違う。表面を撫でると、中央だけごく薄い段がある。
「貼り合わせです」
針入れから細針を抜き、端の合わせ目へ差し込む。少しずつ浮かせると、表紙見返しを剥がすときに似た感触が返ってきた。抵抗は弱い。急いで貼った糊です。
ぱり、と小さな音がした。
四枚目の内側から、細い紙片が一枚、滑り出る。
私もライナルトも、しばらく動かなかった。
紙片は細長く、指二本ぶんほどの幅しかない。端がまっすぐで、片側だけ強く焼けている。記録札ではありません。名欄だけを切り取ったときの形に近い。
そこに残っていた文字は、短かった。
”――第二節予備片
――本体にあらず
――差替え一度限り
V.W.”
私は息を吐いた。
「ヴェラです」
「ああ」
ライナルトが答える。
「じゃあ、これは」 私は机の上の層紙を見る。
「白紙本そのものじゃない」
「違う」
返事は迷いがなかった。
私はもう一度、細い紙片を見た。
本体にあらず。 差替え一度限り。
つまり、仮置庫四の包みは白紙本ではない。白紙本に連なる処理紙、あるいはそこから性質だけを移して作った、継ぎ目用の予備片です。壁の内と外を定めるための、代えのきくようで代えのきかない紙。
「じゃあ、あの男性が欲しかったのは」
「本体じゃない」 ライナルトが言う。
「今夜使える片だ」
その言葉で、ようやく全部がつながった。
南壁を鳴らしたのは囮。
鐘室を使ったのは手順の流用。
仮置庫四から動かしたかったのは、今すぐ差し替えに使える予備片。
私は束をもう一度、順番に並べ直した。上から三枚、下から三枚は同じ紙。中央の四枚だけ処理が違う。そのうち一枚が今の偽装紙、残る三枚にだけ、わずかに魔力の通り道がある。
「核は三枚です」 私は言った。
「外側は抱かせるための紙。真ん中だけが継ぎ目に効く」
「分かるのか」
「手がそう言っています」
説明になっていないと分かっていたけれど、ほかに言いようがなかった。製本でも同じです。見れば分かる紙と、触ると分かる紙がある。
ライナルトが三枚を見下ろす。
「差替えは一度限り、か」
「ええ」
私は細い紙片を伏せた。
「使ったら終わりです。次はもう使えません」
外の足音が、今度は近かった。
扉の前で止まる気配がする。
私たちは同時に黙った。
誰かが一度、取っ手を試した。閂が鳴る。二度目は来ない。足音はそのまま通り過ぎていった。
私はようやく息をついた。
「決まりましたね」
ライナルトが私を見る。
「何がだ」
「包みの中身です」
私は三枚の核片を机の中央へ寄せた。
「これは白紙本じゃない。南壁の一部でもない。外縁第二節の継ぎ目に使う、使い切りの予備片です」
「ああ」
「だから奪われたら困る。でも、今ここで全部を隠せば済む話でもありません」
彼は返事をしない。続きを待っている。
「外側の紙は戻します」
私は言った。
「見つけられても、すぐには中身が足りないと分からない形にして」
「核は」
「分けます」
自分で言いながら、それがいちばん安全だと思った。
「三枚一組だから狙われるんです。一枚ずつなら、今夜は使えない」
ライナルトが、ほんのわずかに顎を引いた。
「いい」
私はすぐに作業にかかった。外側の抱かせ紙を元の順に重ね、その中央へ厚みを合わせるための空紙を入れる。見た目だけなら、元の包みと変わらない。違うのは、肝心の三枚がもう中にないことだけです。
三枚の核片は、針入れから抜いた細紐で一枚ずつ軽く留めた。別々に持てる形にするためです。
「一枚は私が持ちます」
「残りは俺だな」
「いえ」
私は顔を上げた。
「一枚はライナルト。もう一枚は、別の場所へ隠します」
「どこに隠す」
私は灰布をたたみながら答えた。
「壁の中じゃないところです」
彼は少しだけ目を細めたが、反対はしなかった。
私は包み直した偽の束を机の端へ置き、核片のひとつを懐へ入れた。紙は薄いのに、肌に触れると冷たかった。
「行きましょう」
「ああ」
ライナルトが閂へ手をかける。
私は机の上に残った細い紙片を見た。
V.W.の頭文字は小さい。でも、妙に強かった。
ヴェラはたぶん、十年前から分かっていたのだと思う。
全部は守れない。だからせめて、一度で使い切られる形にしておくしかないと。
扉が開く。
外の空気はまだ灰っぽかったけれど、もう迷いはありませんでした。




