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才能なしと追い出されましたが、辺境で魔導書工房を始めます。──なぜか王国最高位の魔術師が、うちの工房に来るのですが?  作者: 森凛


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第十五話 ー 隠された行


 製本通りの奥に、青い布を下げた店はすぐ見つかった。


 表には帳面の写しを請ける札が出ている。扉は閉まっていたが、内側に灯りがあった。ライナルトが二度だけ扉を叩くと、少し間を置いて鍵が外れる音がした。


 出てきたのは一人の女性だった。


 背は高くない。紺に近い暗い服の袖をきちんと折り返し、指先だけに墨の薄い色が残っている。


「もう店じまいです」


 そう言って、女性は扉を閉めるほうへ手をかけた。こちらを長く店先に立たせる気はなく、用件がはっきりしない相手をそのまま中へ入れるつもりもないらしかった。


「紙の切り口を見てもらいたい」


 ライナルトが言うと、女性の手が止まった。視線が私の包みへ落ちる。


「……中へ」


 短く言って、扉を開けてくれた。


 店の奥は広くなかった。写し机が二つ、細い引き出しの棚が一列、乾かした紙を重ねる台が一つある。机の端には刃と目打ちが揃えて置かれ、壁際には仕上げ前の帳面が紐で束ねられていた。


 女性は扉を閉めてから、こちらを向いた。


「マルグリットです。……それで、見てもらいたい切り口というのは」


 私は包みを開き、切れ端を机の上に置いた。

 マルグリットは紙に触れず、端だけを見た。目の動きが早い。右、左、下。順に確かめて、息を吐いた。


「……見覚えがあります」


「知っているんですか」


「ええ。三一七号室で切った紙です」


 迷いのない返事だった。


「理由は」


「頼まれたからです」


「誰に」


 マルグリットは一度だけ私を見た。そのあと、答える。


「ヴェラ・ヴェルナーに」


 私はすぐには言葉を返せなかった。

 

「ヴェラが、あなたに切らせたんですか」


「ええ。彼女が自分で持ってきました。切る幅も、残す下の文も、最初から決めていた」


 切る幅まで決めて、下の一文だけを残したと聞くと、ヴェラは思っていたよりずっと丁寧で、先のことまで考えて動く人だったのだと思った。


「なぜですか」


 私の問いに、マルグリットはすぐには答えなかった。代わりに、引き出しから細い紙片を出して机に置く。端がまっすぐ揃っている。


「あの紙は、二行で一つの文でした」


 私は机の上の切れ端を見る。

 下の一文だけでは、意味が弱い。

 それはテオも言っていた。


「下だけ残せば、ただの子どもの文に見えるけど、二行揃うと意味が違う」


「どう違う」


 ライナルトが聞く。


「迎えを待つ文になります」


 その言葉だけで、喉の奥が少しひりついた。


 迎え。誰かが来るはずだった、ということだ。


「名前が書いてあったんですか」


 私が問うと、マルグリットは首を振った。


「人名ではありません。もっと曖昧で、だからこそ危ない言い回しでした。読む人間によって、学院側にも、宮廷側にも取れる。あのまま残せば、想定していた受け先を調べる者が出ます」


 それで、ヴェラは上だけを切り落とした。


 人名を出さず、受け先を絞らせないまま、下の文だけを残す。

 全部を消したかったのではなく、読まれすぎない形にしたかったのだと分かった。


「上の一行を、覚えていますか」


 私が聞くと、マルグリットは視線を外した。


「ええ」


「教えてください」


「できません」


 返事は早かった。


「なぜ」


「切ったあとも、あの一行は一度だけ読み返しました。ですが、今ここでそのままは言えません。

あの一行には、その子を学院側に残すつもりだったのか、宮廷側へ渡すつもりだったのかが分かってしまいます。そこまで明かせば、ヴェラが上の行だけを落とした意味がなくなる」


 ためらいのない言い方だった。ごまかしているのではなく、そこは言わないと決めているのだと分かった。


 ライナルトが机の端を指で叩く。


「なら、別のことを聞く。切ったあと、他に何をした」


 マルグリットは少しだけ間を置いた。


「そのあと、控えを一枚作りました」


「切り落とした上の行は処分しました。ですが、どういう文を落としたのか、職分として記しておく必要があった。原文そのままではなく、字形と文の長さだけを控えたものです」


「それはどこに」


「ここにはありません」


 今度はライナルトの声が少し低くなる。


「失くしたのか」


「持っていかれました」


 私の指先が冷えた。やはり遅かったのだ、という思いと、まだ線が切れていないという感覚が一緒に来る。


「いつ」


「三年前です。灰架室の整理が完全に閉じたあと」


「誰に」


「名は知りません」


 マルグリットは即答せず、記憶を拾うように言葉を選んだ。


「男の人でした。書庫の人間ではない。紙を見るより先に、保管箱の番号を見た。ああいう見方をするのは、受け渡しの記録を追う側です」


「記録審査局か」


「たぶん違います。どちらかというと、宮廷側の保管引継ぎに近い。封の色も違った」


 そう言って、棚の奥から小さな包みを持ってきた。中から封蝋の欠片を出す。灰色ではない。黒に近い濃い青だった。


「控えを持っていった封筒に残っていたものです。七塔印(しちとういん)ではありません。外廷の引継ぎ封です」


 ライナルトがそれを受け取る。表情は変わらない。けれど、その指先だけが少し止まった。


「この印を知ってますか」


 私が聞くと、彼は短く答えた。


「ある」


 それ以上は言わなかった。けれど、今まで見てきたどの紙片よりも、その一欠けらのほうがライナルトには重いらしかった。


 私はマルグリットに向き直る。


「あなたは、ヴェラに協力していたんですか」


 口にしてから、踏み込みすぎたかもしれないと思った。けれど、もう引っ込めたくなかった。


 マルグリットは気を悪くした様子もなく、静かに私を見た。


「違います。私は写字係(しゃじがかり)です。頼まれたから切った。必要だったから控えた。それだけです」


「でも、控えを残した」


「ええ。残さなければ、切ったこと自体が誰の判断だったか分からなくなるからです」


 そこで初めて、彼女の声が少しだけ硬くなった。


「ヴェラは、全部を消したいわけではありませんでした」


 私は切れ端に目を落とした。


 下の一文だけを残す。

 消し切らずに、でも読めすぎない形にする。


 そのやり方は、どこかで見た気がした。工房で、焦げた本の綴じを残しながら直す時に似ている。全部を新しくするのではなく、残すところを決める手つきだ。


「三年前に来た男のこと、他に何か」


 ライナルトが聞く。


「手袋をしていました。右の親指だけ、革が擦れて薄くなっていた。紙ではなく、封を切る道具をよく使う人の傷み方です」


「顔は」


「はっきりとは見ていません。手元と封のほうを先に見ました」


「他に残っている物は」


 ライナルトの返しは早かった。


 マルグリットは少しだけ口元を引いた。


「あります」


 彼女は机の下の箱から、細い帳面を一冊取り出した。見開きの端に、小さな文字で日時と受け渡しの種類だけが並んでいる。


「店に入った仕事は、最低限だけ控えています。三年前のその日も、客の名前は書いていません。ただ、持ち出された箱の番号なら残っている」


 私は帳面を覗き込む。


 数字の横に、短く一行。

 

 ”外引継・灰架関連控え”


 喉がまた少し乾いた。


「この番号を追えば、どこへ渡ったかが分かるかもしれないんですね」

 

 私が言うと、マルグリットは頷いた。


「どこで追える」

 今度はライナルトが聞いた。


「西書庫では無理です。あれは書庫の外で付く番号ですから」


 マルグリットは帳面を閉じた。


「追うなら、外廷側の引継ぎ台帳です」


 ライナルトが封蝋片を包みに戻す。


「場所は」


「王城の手前です。荷と記録の受け替えだけを扱う小さな棟がある」


 また、新しい建物だ。


 私は切れ端を包みに戻した。


「一つだけ、最後に聞きたいことがあります」


 マルグリットが私を見る。


「その上の一行は、子どもが自分で考えた文だったんですか」


 しばらく間があった。


「……いいえ」


 その答えに、胸の内側がひとつ沈む。


「それは、ヴェラがあの子を試すために与えた文でした」


「何を試すの」


「その子を学院側に残すのか、宮廷側へ出すのか。文にどう応じるかを見ていたんです」


 それだけ言って、マルグリットは口を閉じた。


 店を出ると、外はもう薄暗かった。青い布の色も、さっきより深く見える。通りの端で、ライナルトが一度だけ足を止める。


「引継ぎ棟へ行く」


「今夜ですか」


「ああ」


 私は頷いた。

 扉の内側で切られた一行より、もう少し大きな線が見えはじめている。

 白紙本はまだ遠い。けれど、それを誰がどこへ渡そうとしたのかは、ようやく人の手つきで追えるところまで来た。


 背後で扉が閉まる前に、私は一度だけ振り返った。

 マルグリットはもうこちらを見ていなかった。机の上に残っていた紙端を一枚ずつ揃え、帳面の横へ戻していた。


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