カエサル不在のローマで
カエサルが想いを寄せたローマでは何が起きているのだろうか。
高くおかれた演説台で、大手を広げながら長身で引き締まった身体のクロディウスは黒い髪をなびかせながら、群衆に向かって門閥派がローマを腐らせていることを熱弁していた。
クロディウスの細身の身体から熱い思いが噴き出すようにして民衆に言葉を発する。
「彼らは民衆の上にたち、自分たち自身はいかにも無害なように振る舞っている。だが、その一方で自分の部下に金貸しをさせて高利で市民から金をむしっている。高名な弁護士であるキケロなんてな、禿鷹だよ。やはり田舎から出てきた奴は自分が儲けることしか考えていないな。どう思うよ?」
民衆は昨今の不安定な政情を意識してか、大きな賛同はしないが、皆がクロディウスの演説を聞いている。続きを待っているのだ。
「よーし、そうだよな。喋りづらい世の中だよな。俺が、このクロディウスがローマの問題点を洗いざらい喋ってやろう。同意したら脚を強く地面に打ち付けてくれ。」
一つずつ不満をあげると民衆が頷き強い力で地面に脚を叩きつける。
ドオンドオンと響き渡る音に力を感じてクロディウスは手を叩いて続けて喋っていた。
「そうだ。怒れみんな。虐げられた民衆よ。立ち上がろう。」
叫びながらクロディウスは皆を鼓舞するように手を上げた。
「今、ローマには移民たちが毎日のように訪れている。移民たちが増えて何が悪いだって?」
良い感じで聞き返す。何人かから返事が来た。クロディウスは我が意を得たり、という感じで頷き喋る。
「そうだな。移民たちは、安い賃金で働くからローマ市民の仕事を奪っている。それは大きな問題だ。さらに移民たちはラテン語が喋れなかったりする。ガリアやヒスパニア、アフリカ様々な言葉でしゃべってローマに住みつき、自分たちの仲間を増やして治安を悪化させている面もある。」
そうだ、とクロディウスに同意する市民の声があがる。
「さらに市民権も持っていないのにローマ人の社会保障である失業者への小麦の配給を強奪したり、なりすましたりして小麦の配給を得ている。これじゃあローマ市民権を持つ者はたまらないよな。市民権を持たない奴らのために俺たちは税を払っているんじゃねえ。移民だって真面目に働いてくれるのだったら問題ねえが、実際はローマにいろいろな問題を巻き起こしている。」
同意の脚音が響き渡った。
「移民だけをみてもこんなもんだぜ。こりゃ。ローマはもはや問題だらけだってことだ。」
少し笑うように言ってため息をつくクロディウスは演説の名役者だった。
それから民衆に話しかけて会話をしながら、再び壇の真ん中にたったクロディウスは今日の主目的を離し始めた。
「問題は多い。だが、最大の問題は別にあるぜ。せっかくユリウス・カエサルがユリウス法で決めた元老院の議事録を公開した件だが、あんたたちは最近の物を見たかい?」
ふたたび市民に聞く。
知らない、という声があがり、クロディウスが待ってましたとばかりに言い返す。
「駄目だぜ、せっかく手に入れた俺たち市民の権利だからな。だが、今そこに文句をつけても仕方ねえ。今度から目を通してくれよ。旦那がた。」
そこまで少しゆっくりと諭すように言うと
手を叩いて再び民衆の注目を浴びる。
「ちなみに俺は毎日読んでるぜ。教えてやろう。」
そういうと皆が関心を持ってクロディウスの言葉を待つ。
皆の関心が高まったところで役者は再び喋りだした。
「何も決まらないんだよ。なにもな。あれだけ人が集まって喋っても何も決まらねえ。いろんな問題があるのをご高説を賜るばかりで話が前に進まねえ。そりゃなんでも進むものじゃないだろうが、少しは議論して前に進めるべきだと思うよ。今の執政官たちは議論を前に進める力がねえ。議員たちは能力がねえ。だから期待できねえ。」
「皆もそう思うだろう?」
皆から不満と同意の掛け声が聞こえた。自分にではない。執政官に対しての不満だ。
心地よい賛同だと感じてクロディウスはさらに話を続ける。
「俺は俺ができる最大限のことをしたいと思うよ。例えば失職者への小麦の支援の拡大だ。スッラによって減らされた支援を正しい量に戻したいと思うよ。」
民衆の一部から熱狂的な声が上がると共に一部から不満の声が上がる。
民衆の心をつかむことが上手い元護民官は、うまく誘導した。
「さて、失職者を応援したいという義憤に燃えるローマ市民よ、ぜひ俺に力を貸してくれ。今日夕方に行われる俺たちの集会に参加してもらいたい。そして財政を気にする皆は、ぜひ次の選挙で俺の仲間が護民官になる資格を得られるよう応援してくれ。俺たちにはあなたたちの助けが必要なんだ。護民官を俺たちの中から出してローマを改革していこうぜ。」
苦々しい表情を民衆に見せて、それでも手を開いてみせて頷く役者クロディウスは、俺は分かっている。俺は皆の仲間だぜ、と皆に動きで伝えた。
皆がクロディウスを称え、新時代派をたたえた。
そのクロディウスの背中に、ゆっくりと大きな影が近づいていた。
夜になり、切りつけられた脚を押さえる。
大したことはねえ。
そう思いながらクロディウスは黒い髪をまとめあげながら自分に付いて来てくれている仲間たちを見る。
あの瞬間、
仲間から、前へ逃げろ、と言われてクロディウスの身体は反射的に身体を捩りながら前へ出た。遅れた左足に短剣の端がかかる。
それから集会場は大騒ぎになった。
大きな身体の男が続けざまに切りかかり、初撃をかわした男は、左足の痛みでうまく逃げれない。
次の一撃でやられる
そう思ったところを仲間が取り押さえに入ってくれるのが見えた。
それから這いつくばるようにしてその場を去ろうとしたが、敵の仲間たちが攻めてきた。
それを味方が防ぎ、クロディウスを抱えて逃げ出した。
夕方の演説中の襲撃事件のことを思いだし、クロディウスは足を抑えながら仲間たちを見た。
皆、疲れてはいるがまだ眼は輝いていた。
「ミロの手勢だな。」
クロディウスが確かめるように言った。
仲間の一人、精悍な顔をした男がすぐに反応した。
「間違いねえ。だが、襲ってきた奴らは今みまで見たことねえ奴らだった。あの大きさ、俊敏さ。ローマの使える奴らはある程度知っているが今日の奴らに知った顔はなかった。」
「確かにな。ミロの傘下の奴らの何人かではなかった。新しく仲間を増やしやがったか。」
「仲間を自分で増やすという頭が働くやつには見えねえが。」
参謀的な仲間が皮肉を込めて言った。
「だな。だが、今までとは違う。闇のなかで攻めてくることはあったが演説中に来るのは想定外だぜ。」
「敵も焦っているのだろうよ。」
「確かにな。カエサルがガリアで大活躍しているから若者の大半は新時代派に傾いてる。」
ガリア戦記の圧倒的な人気により、さらに漏れ聞く噂話でローマの若者の大半はカエサルと新時代派に気持ちが寄っていた。
経験の豊富な年寄たちはカエサルを認めても、金持ちクラッススのシリア遠征に対して半信半疑だったが、ローマの若者たちの中では新時代派の主要人物でもあるクラッススもカエサルのようにパルティアを撃退して来るのでは?という気持ちになっていた。
この段階でも市民から見ると門閥派は押されまくっていた。
だが、実際には今年の執政官は門閥派と新時代派が分けあっており、事情通たちは波乱に満ちた時代を居酒屋や奥様方の会合で情報を集め、どううまく生きていくか話し合っていた。
カエサルの息がかかっているとしてクロディウスの仲間になりたがるものは多かった。
だが、俺はカエサルの子分じゃねえ。同じ方向をたまたま向いているだけの、互いに利用し合うだけの関係である。クロディウス自身はそう考えていた。
もちろん、カエサルの名声は役に立つからこそ大っぴらに否定することもなかった。
俺の本心を理解して付いてきてくれる仲間はどれくらいいるだろうか?
そんな、胡乱もないことを思いながらクロディウスは皆に言った。
「とりあえず、ここから離れた郊外の根城にいこう。体制を整えて反撃をしよう。今度はこっちが門閥派を叩くぜ。」
仲間たちは静かに頷いて移動を開始した。
カエサル不在のローマで門閥派との争いを任されていたクロディウスは、今までになかった敵の動きに動揺しつつも、自分の仲間たちと共に門閥派と戦い続ける決意をした。




