ガリアの冬
敵を撃退した後、ガリアで冬を越すことを決めたカエサルだった。
雪が静かに積もっていき、秋に落ちた広葉樹の絨毯の上に積もっていく。
ゆっくりと積もる雪は、時間が過ぎるごとに積み重なり、落ち葉を覆い隠すようになった。
気温がいつも以上に低く、いつもの冬ではない。
食糧は不足気味で、民たちは少ない食事をさらに絞って何とか生き抜くことを目指す。だが、それでも耐えきれずに死ぬものが出た。
まれに南から食糧として小麦が運ばれてくることがあった。
飢えは凌げるかもしれないが、小麦ではなく肉が食べたい。
森の近くに住む男達はそう思った。
ガリアの男たちの一部はローマ軍が不当に自分たちの食べ物を奪い、代わりに小麦を寄越してきていることに腹を立てる。
最近では街道が少し整備されて、ローマの商人が馬車と商隊を引き連れて回ることもある。子供たちは珍しい遊び道具、遠い国の商品を楽しみにし、女たちもガリアとは違う装飾品や衣類、食品を運ぶ商人に好奇心を覗かせたが男たちの一部はそれを見て良い顔はしなかった。
それでもローマの商人を襲い、商品を奪うことに発展しなかったのは部族長や部族の若頭など上からの強い命令によるものだった。
男たちの不満は例えば葡萄酒であった。葡萄酒を美味しく飲む方法は各地で色々試されていたが同じような葡萄を使っても処理方法や味付けで美味しさがまるで違う。ローマでは様々な味へのこだわりのための試行錯誤が行われて広大な領土の各地で行われていた製法が試されていた。研究の結果、葡萄本来の旨味を生かせるまでに洗練されたローマと、変部族内での方法しか知らないガリアでは酒に差があるのも当然である。
だが、その試行錯誤は語られることなくローマが上手い酒を俺たちから奪っている、という噂が流れるようになり、それがあたかも真実のように語られてはじめる。
じっさい、旅でローマに行ったことがある者はローマで飲んだ葡萄酒は違う、ということを自慢したために、皆はローマがガリアを不当に搾取していると思うようになった。
部族の上層部では、交易による新しい商品や技術などの発見を得ていた。
また、ローマから来る商人もガリアで一儲けを考える者は多かった。
ローマでの過剰な争いに嫌気がさして、新天地に希望を見出そうとする者。
未開のガリアの民をだまして詐欺や力により利益をあげてやろうとする者。
それぞれの希望を胸にローマとガリア全域の交易が自由になされるようになってきた。
商人が来ることでガリアの各部族の技術や特産品が売れるようになり以前より儲かる者が出ていた。またローマの技術や知識の一端が流入することで、仕事が楽になったり、病気がよくなったりなどという効果も見られた。
その反面、野心的でずる賢い者は兵士たちの身なりで巡回と称して町を巡り税を巻き上げたりすることもあった。
ガリアの大部分はローマの支配地域ではなかったが、カエサルがガリア全土に大きな影響力を与えるようになるにつれてローマの軍隊の影響力は大きくなっていったためにそういった詐欺まがいも発生する。さらにそういったローマ人によるやり方をまねてガリア人自体が同じ部族から搾取するなども行われた。
部族での生活から外部とのつながりが発生し社会体制がより複雑化してくることによって発生した問題ではあったが、多くの人は目の前の事象にとらわれてローマが介在するようになって、部族の未来が不安定になってきていると感じるようになった。
水面下でマグマのように不満は溜まってきていた。
ガリア・キサルビナ属州では、毎年恒例となっていた総督カエサルの帰還が楽しみにされていた。
気さくで陽気な、そして気前の良い総督の帰還がなく残念がられていた。
法体系や税制が整理されてきて生活が安定して属州の民は生活しやすくなった。過剰に威張り散らし税を巻き上げる徴税役人もいなくなっていた。そのため、為政者としてのユリウス・カエサルの名は属州で知られ尊敬されていた。
属州の有力者たちはこぞってカエサルに礼を言いに来て、人好きのする為政者は、それを喜ぶから良い循環になる。
冬に属州に戻ってくると、たまにローマ流の豪華な晩餐会を開き、多くの属州民が招かれる。そこでカエサルの気さくでユーモアを持った話を聞き、年寄たちは話のわかる男だと思い、若者たちは理想の上司だと期待をする。
本人は属州の多くの人から受け入れられたことを感じ、彼らが様々な情報を教えてくれることがたまらなく好きだった。こうして息抜きの楽しい一時を好奇心を満たしながらカエサルは毎年過ごしていた。
気質として哲学者エピクロスの提唱する快楽主義哲学に多いに同意しているカエサルである。酒も雑談も地元の料理も属州の魅力的な女性とのかかわりもすべて、心の底から楽しんでいた。
属州において、総督はローマを変革に導くものと噂されていた。
だからこそ冬になると戻ってくる総督と皆が会って話をしたがっていたため、今年の冬は戻ってこないことを残念がっていた。
キサルビナ属州の若者たちは、軍団長の大敗と敵を討ったカエサルの話を耳にしていた。ルクレイアの指示で情報部がガリアでの戦いを流布したのだ。
冬の娯楽がより少ない時期に若者たちの心を沸き立たせる話がくるこもで、彼らは興奮して仲間とカエサルの下で働きたいことを語り合った。
それから幾時かが経過して、キサルビナ属州、他の属州でもカエサルの元で働く兵士の募集が開始された。
募集は瞬く間に応募で一杯になり、ローマ軍は選抜試験を行うことになった。
冬の間をかけて、兵士たちの不安を取り除き、新しい兵士たちを集める手配もしたカエサルは、初のガリアでの冬をカエサルらしく過ごす。
情報収集を任せると、雪が積もる様を見ながら現地の住民に熱心に冬の過ごし方を聞いたり、ガリア戦記とは別で何か季節論をまとめたりする。時折入る新しい情報を得たり、総司令官になっても止めない身体の鍛錬をしたりと日々を無駄に過ごしたりはしなかった。
それからガリア戦記の五冊目をまとめあげる。
本人曰く、言い訳のための言葉が綴られていることは本意ではないが、成すべきことを成すために、伝え方にこだわった、と身内に語っていた。
書には予想外の状況でローマ軍がやられることになったがカエサルはそのことも事実として書き連ねた。やきもきさせられた多くの読者がスッキリするはずの冬の裏切りへの反撃は次巻を待つ必要があった。
読者の期待に応えるためではないが、裏切りに対する対応はカエサルの中ですでに練られており、あとはタイミングを待つのみだった。
また、カエサルはいつも以上にローマの政情を把握することまで忘れなかったが、アルプスの北からではさすがに情報の鮮度、密度ともに足りなかった。
ガリアで、ローマで少しずつ時代は流れてきていた。




