第二十話
◇第二十話
ネスト内に滞在する冒険者達。安全地帯で休息をする彼等の影が、徐々に長くなっていく。それは迷宮内に夜が訪れようとしていることのシグナル。
ネスト内を照らし出す光が徐々に光量を失い始め、連動するように光苔の群生も光量を落としていく。光苔は自ら発光しているのではなく、暗所にある光を反射しているに過ぎない。
二つが連動しているならば、光源は同じなのではないだろうか?
誰も抱く疑問だが、高名な賢者であっても明快な答えを与えることはできないだろう。唯一分かっているのは、迷宮内には夜が訪れるという事実。
夜は闇の神々の先兵たる魔物達の時間であり、光の神々の陣営である冒険者にとって不利な時間である。時間という名の天秤は、両者の均衡を保つように昼と夜とで肩入れ先を変える。
リスクに狂ったギャンブラーですら、夜に迷宮を闊歩しようとは思わない。そんなリスクを取りたがる愚か者は、破滅願望の持ち主くらいだろう。
冒険者は過剰なリスクを冒さない。
度胸と経験と勘だけを頼りに死地に挑んでは、命がいくつあっても足りだろう。命と金を天秤にかけ許容可能なリスクを計算する、それがギャンブラーという存在なのだ。
無謀な集団にみえて、時にジッと待つことも重要な仕事。
待つことは決して保留や逃げではない。明日、或いは明後日、勝利をつかみ取るために必要な戦術であり、猟師は漁に備えて漁具を直すように、冒険者も己の体を整える。
防具も装備も身体の延長上にすぎないのだから。
地上と迷宮を常に行き来するのも手ではあるが、それでは宝が眠る迷宮の奥底までは辿り付けない。なにより効率が悪かった。一度山に入った猟師や羊飼いは、山小屋や洞窟で体を休める。冒険者も迷宮内で羽を休める場所を必要とするのだ。迷宮内に滞在する限り、次の朝日がさしこむまで待機する場所はどうしても必要だった。
ネストが持つもう一つの側面であり、朝日が昇るまで安全地帯の存在する円形状の建物で食事と休息、そして疲れと傷を癒す。円形状の建物は、中国に存在する客家の人達が住む円形状の円楼や、ルーマニアに存在する要塞教会に似た構造を持つ。一つ変わった特徴としては窓が円楼内の内側にしか存在しない点だろう。言いかえれば円楼の外側には外壁のみが存在することになる。
この構造の利点は安全地帯に魔物が押し寄せたとき、外壁がそのまま城壁となる点であろう。円楼は防衛上の拠点となるように設計されているのだ。
水や草木があるから安全地帯となるのではない。
迷宮で疲れた傷ついた身体を安心して休める場所があるから、ネストとなりえるのだ。
魔物とトラップだらけの迷宮を潜り抜け、夜を避けるために冒険者達が続々とネストに訪れ始めていた。
その中にクリストフェルという名の男も混じっていた。
◇
「誰か! 誰か助けてくれー!」
ようやく円楼に辿りついたクリストフェルは必死に助けを求めるが、入口付近には多数の冒険者達が屯する喧騒に打ち消された。ようやく安全地帯に辿りついた安堵感から、誰も彼もが好き勝手に叫びまくり、持っていた酒を煽り飲む。
そんな彼等に、他者の悲痛な叫びは届かない。
クリストフェルの肩には、共に迷宮へ挑んだ仲間の一人が担がれていた。背負われている仲間の右腕は逆方向に折れ曲がり、体中にある無数の切り傷からは大量の血が流れている。他の仲間もいたが途中で逸れてしまい、消息は分からなかった。
「誰か! 誰か!」
無視されようとも叫び続ける悲痛な声に、酔いのまわった冒険者達もようやく異常に気付く。ある者は気遣うように「おい大丈夫か」と声をかけてくるが、「見ればわかるだろう、大丈夫でないのは!」と、怒りの言葉を返す余裕はクリストフェルになかった。
「あれは酷い」
「奥にある大魔術師ジェシカ様の診療所まで持つのか?」
「あの切り傷からみて、キラーウルフの群れにでも遭遇したんだろうぜ。いるんだよ、少しばかり自信が付いたから自分達の力を過信する新人共が――」
「大方、迷宮探索許可証の更新費用捻出のため、無理をしたのかもしれないぜ」
「それもありえるか」
「他人事みたいだが、そろそろお前のところも支払時期だろう?」
「ふん! 更新費用を支払えない、などという不様な理由で放逐されてたまるかよ!!」
仲間の容体を心配のする声が聞こえるが、同時に嘲笑する声も聞こえる。悔しくてたまらなかったが、クリストフェルは反論ができなかった。迷宮探索許可証の更新費用として銀貨五百枚を捻出するため、無理をしたのは事実なのだから。
更新費用は1パーティーに対して課されるのではなく、一人事に課される。クリストフェルのパーティーは6人であるため銀貨五百枚×6で銀貨三千枚、現在の価値にして三百万円。
新人である彼等にとって支払うことできるギリギリのラインであり、期日まで用意するため無理に無理を重ね、そして彼等は判断を誤った。
相手を侮り自分達の力を過信したのも、他の仲間と逸れたのも、そして背中で仲間が傷ついているのも、全て自分達が弱く愚かな存在であると無言の内に物語っていた。
あまりに不様で、悔しくて情けなくて涙を溢れてくる。
このまま泣き崩れれば、どれほど楽だろうか。
感情に流されそうになりつつも必死に助けを求め続ける。その姿を見かねたのか、一人の冒険者がポーションを差し出す。背負われた仲間の状態を鑑みれば気休めにしかならないだろうが、かつての自分を見ているようで耐えられなかったのだろう。
「ありがとう」
「気休めにしか過ぎないだろうが使ってくれ」
既に仲間のためにポーションを使い尽くしたクリストフェルにとって、それでもありがたい申し出だった。
「……すまない」
背負っていた仲間を床に寝かせる。
いままで背負われていたためよく見えなかったが、仲間はどうやらエルフの女らしい。その証拠に尖った耳は人間とは思えないほど大きかった。シーラと大差ない――それでも多少ボリュームのある――胸が上下に動いていることから、性別や年齢だけでなく、未だ生きていることも判断できた。ただし、その灯は急速に消えつつあるのか、提供されたポーションに口を付ける体力も残っていないようだった。
クリストフェルはポーションを口に含むと、女に口移しで飲ませる。そんな方法では効果が薄れてしまうのだが、戦士である彼には他にできる手はなかった。「……ルル。なあ、ルル。起きろ、起きてくれ――」女の名を何度も呼びながら、何度も何度も女の口移しで飲ませる。
「おい、誰か神聖魔法士はいないのか」
見ていられなくなった誰かが問いかけるが、その誰かのパーティーもようやくネストに辿りついたため、神聖魔法士の魔力は底を尽いていた。なにより神聖魔法は、どのパーティーにもいる存在ではないのだ。
迷宮内に教会は干渉しない。
その政策が、このような現状を生みだしていた。
「早く、大魔術師ジェシカの診療所に運ぼうぜ」
「いや、下手に動かした方が返って危険だ」
「このまま死ぬのを待てというのかよ」
人だかりは女の容体を心配しているが、どこか他人事だった。当然だ。ポーション一本を無駄にする行為が、後々命取りに繋がりかねないのだ。彼等を責めてはいけない。見ず知らずの人間のために危険を犯せる者が讃えられるのは、それが誰にでも行為ではないからだ。
冒険者ギルドが誕生していない弊害が、ここにも表れていた。五傑と呼ばれる有志達が現れているが、成果は未だ限定的であった。
クリストフェルは提供されたポーションを、最後の一滴までも口移しで注ぎこんだが、それでも女の容体は好転しなかった。
「誰か、誰か、彼女を、ルルを助けてくれ! なんでもするから」
「……本当に何でもするんだな?」
いままで人だかりの奥で黙っていたフードを被った人物が口を開く。
「あいつか」「おい、あのアラムかよ」「ちっ、下衆が」と口々に他の冒険者達は非難の声を上げるが、アラムと呼ばれるフードを被った人物は臆する気配はなかった。
「する、なんでもする」
「もしルルって女が助かったら、そいつの体で支払ってくれるなら考えても良いぜ」
「――えっ」
「えっ、じゃねよ。おい、返事はどうした?」
「俺はどうなってもいい。だから、ルルは、彼女は勘弁してくれ」
「はっ、馬鹿を言うな。俺はこれでも神に使える身だ。そんな自然の摂理に反した行為ができるか」
「……か、金なら銀貨三千枚くらいは支払える」
「ふ・ざ・け・る・な。そんな端金で、てめーの女の命を買えると思っているのか?!」
「――くっ」
「おいおい、なんでもすると言ったのは嘘なのかよ。てめーみたいな嘘つきなら、神が見放されたとしても仕方がねぇよなぁ」
自分を小馬鹿にした上でルルを舐めまわすように見つめるアラムを、クリストフェルは咎めることができない。
(エルフの女か。こいつは良い獲物じゃねか。充分味見した上で、それからは――)
背教者アラム、守銭奴アラム、天使の屑アラム。
腕のよい神聖魔法士として有名な人物であるが、その二つ名が示すように最低のクズ野郎でもあった。
「どうする? 早くしないと、ルルって女が死んじまうぜ」
クリストフェルは答えない、否、答えられない。
肩を震わせながら、卑劣な申し出を拒否できない自分を責める。
(俺が、俺が付いていながら)
「いやなら、他をあたるんだな」
時間にして数秒間だったが、それは数時間の出来事に思えた。
「……」
結論の決まっていた葛藤にクリストフェルの心が折れつつあることを知り、アラムは嫌らしい笑みを浮かべる。これまでも実力以上の迷宮探索で負傷した新人を、何人も食い物にしてきたのだ。おかげで背教者アラム、守銭奴アラム、天使の屑アラムなどと蔑まれるようになったが、その程度の悪名を気にする良心など、とうの昔に捨てていた。
(五傑の野郎の登場で俺の仕事もやりにくくなってきたが、まだまだ稼がしてもらうぜ)
迷宮内に教会は干渉しない。
教会関係者の中で迷宮に挑む者達は、辺境地に赴く宣教師のような義務感から冒険者になっているが、中にはアラムような屑も紛れている。そして、このような屑であっても需要があるのが迷宮の現状なのだ。
「おいおい、いつまで待たせる気だ。本気でその女が死んじまうぜ」
「……わか――」
涙を流すクリストフェルが声を発し終えようとしたとき、アラムは不意に腰のあたりを後ろから殴り飛ばされた。「うっ」と呻きながらも腰砕けにならなかったのは、どれだけ屑野郎であっても、冒険者として身体を鍛えるのは忘れていなかったからだ。
一瞬呼吸が止まりかけたが、大きく息を吸い込み、呼吸を整える。
「くそ、どこの、どいつだ!」
「ここにおるわ、この屑が!!」
アラムの視線には怪しい者は誰もいなかった。いや、いないように見えた。怒りと疑いの眼差しに向けられるが、誰も彼もが「俺じゃない」と主張するように視線を合わせようとしなかった。
(フッ、人ごみに隠れる臆病者か。いるんだよ。なにも出来もしないくせに、青臭い義侠心にかられる馬鹿が)
人だかりでよく見えなかったのもあるが、それでも怪しい者は誰もいないと判断したのは致命的な誤りだった。人だかりに紛れてよく見えなかったが、髭面の小男がすぐ近くにいたのだ。無論、それだけが理由ではない。アラムの発言に怒りを覚えていた他の冒険者達が、壁となって死角を創り上げていたのだ。
見えないのではなく、見えなかっただけ。
アラムが見えないと誤解したように、髭面の小男も、自分が視界に入らないほどチビだと馬鹿にされたと誤解してしまった。髭面の筋肉達磨は貯めを造ると、渾身の右ボディブローをアラムの脇腹に叩き込んだ。
流石に耐えきれず倒れ込む。
同時に喝采が上がる。
丸太のように太い右腕を、薪を割る感覚で急所に叩きつけたのが余程効いたのだろう。アラムの表情は苦悶に満ち、床に崩れ落ちたまま身動き一つできなかった。
少しやり過ぎな気もするが髭面の小男を非難する声は一つも上がらない。それどころかアラムを介抱しようとする者が一人もいなかった。
予想もしなかった状況の変化にクリストフェルの理解が追いつかない。
「――あんたは」
「ええい、退け。退かぬか」
若干呆然とするクリストフェルを引きはがすと、手早く回復の呪文を唱える。髭面の小男の両手から生み出された神々しい光は、ルルと呼ばれる女性の体を包み込む。
出血は止まるが、彼女の体温は未だ温まらない。
再び、回復の呪文を唱える。
その繰り返し。
何度も何度も回復の呪文を唱えているため、髭面の小男の額に汗が溢れてくる。
汗を拭いてやるべきかもしれない。
容体について問い質したい。
クリストフェルならずも誰もが感じていたが、髭面の小男の真剣眼差しに圧倒され、声一つ上げることができなかった。
「ふう、終わったわ」
「彼女は、ルルは大丈夫なんですか?」
「意識は戻ったが容体は決してよくない。手遅れになる前に、早くジェシカ殿の診療所に連れていくのだ」
「ありがとうございます。ありがとうございます」と泣きながら謝礼を述べていたが、クリストフェルは小男の名前も御礼の話もしていないことにようやく気付く。
「なにをしておる。早く行かないと手遅れになるぞ」
「――あの、貴方の御名前は?」
「ワシか? ワシはエルフォード様の第一の従者、マックスじゃ」
「マックス様ですね。御礼は後ほど必ず!」
「――礼か、それならいますぐ払ってくれ」
(助けてくれたと思ったが、いますぐ礼の話をするなどこいつも屑か)
「叫べ。『エルフォード様万歳』と」
「はあ?」
「はあ? ではない。我が主の名を讃えよと言っておるのだ」
マックスがなにを言っているのか、クリストフェルには理解できなかった。あれほどの行為の対価が賛辞であり、その賛辞の対象がマックスや神々ではなく、彼の主に対する賛辞を要求するなど到底信じられなかった。
理解を超える要求だったが、「いいから叫んでやれよ。マックスの奴はそれで満足するから」と苦笑いする周りの冒険者達に即され、クリストフェルは叫び出す。
「――エルフォード様万歳」
「声が小さいわ!」
「エルフォード様万歳」
「心が籠っておらん!」
「エルフォード様万歳!」
「ネストに響き渡るくらい大きな声で叫べ」
「エルフォード様万歳!!」
「……いいじゃろう。はやく、その女性をジェシカ殿の診療所に連れて行くがいい」
男は何度も頭を下げるとルルを抱き上げ、教えられた方向に向かって走って行った。
「ふう、一仕事終えたか。ところで誰でもよいから、そこでうずくまる屑を円楼の外に放り出しておけ」
倒れ込むアラムを誰も介抱しようとはしなかったが、私刑もされていなかった。こんな屑でも、自分がいつ世話になるかもしれなくて怖いのだ。
迷宮内に教会は干渉しない。
故に神聖魔法士は、重宝されると共に恐れられる。
マックスの行為にしても讃える相手が神でなく主の名を要求するなど、本来越権行為として責められる代物だろう。
それもこれも迷宮内に教会は干渉しないからだ。
だとしても、マックスの例はかなりマシな例である。彼はそれ以上の謝礼を求めないのだから。マックスの世話になった対価として「エルフォード様万歳」と叫んだ冒険者は数知れない。
エルの預かり知らぬところで、彼の人望と人脈はこのようにして造られていくのだった。




