第十九話
◇第十九話
清潔な白いシーツに包まれたベッドの上で、シーラは眠っていた。余程穏やかに眠っているのか寝息一つ聞こえない。死んでいると誤解しかねないほど熟睡しているが、胸が上下に動いていることから生きていると判断出来る。
熟睡するシーラの傍には椅子に座った男が一人、眠り姫を守護する騎士ように寄り添っていた。
「ふああぁぁぁ。しっかし、暇だぜ。いい加減、早く目覚めやがれってんだ」
……騎士は言いすぎだったか、相変わらずいつものエルである。退屈そうに欠伸を上げるからは、騎士はおろか付添い人にも見えない。不謹慎極まりない行動だが、彼に言わせれば最低限の良識は護っているらしい。
その証拠にシーラの顔に悪戯書きをしていないし、クロスボーの手入れもしていなかった。悪戯書きはともかく武器の手入れは、冒険者にとって必須の行為であり時間潰しになるのだが、病室でする行為としては不適切だろう。
当たり前と言えばそれまでだが、良識的配慮のおかげで手持無沙汰になっているのも事実。余程やることがないのか、特徴的な木目がいくつもある天井に視線を向ける。
(天井の木目を数えるのも、いい加減飽きてきたぜ)
退屈ならさっさと立ち去ればいいのだが、その気はないらしい。ときおり付添い人らしく、ズレた布団を直したり窓を開けて空気を入れ替えたりしている。
案外、まめである。
窓を開けたついでに外に目をやると、冒険者達が徐々にダンジョンから帰還し始めているのが感じられた。
迷宮内にも昼と夜が存在する。
冒険者は光の神々の陣営に属し、魔物は闇の神々に属している関係上、それぞれにとって有利な時間帯が存在する。陽が落ちてくれば家路につくように地上に帰還するか、ネストのような中継地に移動するのが冒険者の常であった。
病室は円形状の多目的施設の奥に存在するため、どれだけ人が集まり始めているのかは見えないのだが、それでもネストに集まり始めた冒険者達の喧騒の欠片くらいは分かる。逆に言えば喧騒の欠片くらいしか分からない位置に、病室が配置されているとも言える。少しでも静かな環境が与えられるように配慮なのだが、弊害として救急患者に対応しにくい面もあった。
何事にもベストな解決策などない、ということだろう。
『けっ、五月蠅い奴等がまた増えたぜ。ろくに空気に入れ替えもできねぇなんざ、くたびれ儲けもいいところだ』と、エルは心で呟く。苛立ちからシーラに額にデコピンを喰らわせてやろろうか、と一瞬考えた。『痛いです、エル』と半泣きしながらシーラが起き上がる姿が想像できたが、それは想像にすぎないだろう。病人に必要なのは冗談ではなく安静なのだ。
小さく溜息をつくと、エルは静かに窓を閉めることにした。
◇
彼らが現在滞在している場所は、ネスト内に設置されている私設の病院である。
私設と聞いて困惑するかもしれないが、この世界には冒険者ギルドなるものは存在しないのだ。冒険者が群れて団結することを恐れた王国により、ギルド創設の芽は尽く潰されていた。結果、「私設」と但し書きが必要になる施設が整備されるに至っている。
ギルド創設を例外とすれば、王国は基本的に迷宮内で行われる活動について干渉しない。それは組織を上げて人員を派遣しようとしない教会も同様である。
王国は不干渉主義の筈だが、迷宮探索には許可証が必要と布告は存在する。実に矛盾ある布告だが、迷宮に入る前は王国の管轄下とでも主張したいのだろう。道理があるようでない。
そもそも迷宮は誰の物でもないのだが、自国の領土内に存在する所有者不明の建造物は、国家に所有権や使用権が認められると法律を制定したらしい。
権力者など大抵我儘で理不尽な政策を推し進めるものだから、らしい布告とは言えるが、もし迷宮を建造したのが神々だとしたら、天罰が当たること間違いなしだろう。
この迷宮探索許可証が癖モノなのだ。
発行時は無料なのだが、更新には経費が発生する。
その金額は一人当たり銀貨五百枚、現在の価値にしておよそ五十万円。
安いと思うかもしれないが、半年ごとに更新しなければいけないため、年間銀貨千枚の支払いが発生する。冒険者として生活していれば充分払える金額だが、無能者には銀貨五百枚は厳しい数字だろう。
しかし、これは最低金額なのだ。
更新費用は毎年増額されていく。累進課税制度とまでは言わないが、ベテラン冒険者ほど懐が豊かになりやすい点をついている。
ただし、迷宮挑戦から最初の支払いとなる半年目の更新費用は、特例として免除されていた。この配慮がいやらしい。一見すると大盤振る舞いと思える配慮により、一獲千金を夢見る者達を惹きつけるのだ。一年後、更新費用を支払えるだけの資金的余裕がない者は王都サイスから放逐され、二度とこの地に立ち入ることを許されない。
玉石混交状態から、玉だけを選び出すための知恵であろう。
王国は未経験者であろうとも迷宮探索許可証を発行するが、あくまで受け入れるだけで剣や鎧などの装備は支給しない。全て自前で用意しなければいけないのだ。傭兵や騎士でもない限り開始時点で経費が発生し、その装備は摩耗していくため、買い替えやメンテナンスで経費が発生する。
冒険者は実入りが良さそうにみえて諸経費がかなり発生する職業でもあるが、必要経費という概念が存在しないため、収入金額から控除されることはなかった。下手に冒険者になるよりも鍛冶屋になったほうが、安全で安定した収入が得られるかもしれない。
19世紀のアメリカ西部で起きたゴールドラッシュと状況は似ている。この件で富を得らたのは金鉱掘りというより、彼等を相手に商売した人達であり、ジーンズがこのとき誕生したのは有名な話だろう。
実入りが良さそうにみえて、冒険者を取り巻く現状は優しくない。
収入が減少することを恐れ、装備の買い替えやメンテナンス費用を安く済ませようとする者も少なくなかった。まるでどこかの大企業のような行動だが、そのリスクを社員に押し付けないだけ、冒険者の方がマシな存在だろう。文句があるなら、稼ぎが足りない自分を恨むしかないのだ。
王国は甘そうな蜜の香りを匂わせて人々を迷宮に引き寄せるブラック企業と言えなくもないが、少なくとも強制はしていなかった。
年間銀貨千枚以上も支払っているのに、王国は迷宮内になにもしない。迷宮を出れば適当に理由をつけて高い税金やら寄付金やらを要求するにも関わらず、その資金を一銅貨たりとも投資する気がないのだ。
迷宮は王国にとって金の卵を産むガチョウだが、そのガチョウに価値があるのは飼育に手間をかけずとも、価値あるものを生みだすからに他ならない。
労少なくして功多し、生かさず殺さず。それが王国の方針だった。
教会にしても、組織を挙げて人員を送り込まないのだから似たり寄ったり。
結果として、迷宮内の問題は冒険者達で対処するしかなかった。
食料などの生活物資は、鉄回収業者が地上から帰還する際に持ち込むことで解決できる。
問題は医療である。
魔物と戦えば怪我をするのだが、神聖魔法士は全てのパーティーに存在しない。治癒の呪文は切り傷や骨折等の外傷には有効だが、病気には効果がなかった。
どれだけHPとMPが削られようとも一晩寝れば全回復する、などと思うのは幻想にすぎない。迷宮が戦場である以上、医療機関の設置は必須事項だろう。
安全地帯であるネストに私設の病院が存在するのは、このような事情があった。
ここで問題が一つ生じる。
誰が資金を拠出するのか?
根源的にして根本的な問題である。
冒険者として成功するパーティーには神聖魔法士が存在する。準備を万全にするだろうから、医薬品等の用意をするだろう。相対的に考えて医療機関を利用する確率が高いのは二流以下の冒険者であり、一流冒険者達には不要とは言わないが、他者のために資金を投じたがる物好き者は少ない。
迷宮と呼ばれる巨大な塔が地上に現れて百年程経つが、数年前までこの問題を誰も解決できなかった。
ケチ、守銭奴と罵ることなかれ。
金の切れ目が縁の切れ目。迷宮で危険なギャンブルに明け暮れる者達が、最後に頼りとするのは、結局金なのだ。
金は人を裏切らない。
状況に変化が訪れたのは、数年前。
後に五傑と呼ばれる者達が中心となって資金を出し合い、迷宮内に私設の病院を整備し始めたのだ。
一人目は、剣奴王ウォレス。
二人目は、聖騎士プレスター・ジョン。
三人目は、大魔術師ジェシカ。
四人目は、名を出される事を好まないスカした野郎。
そして、五人目は自分達だと各々が語る。
冒険者ギルドなるものは、未だ誕生していない。
それでも迷宮の奥底で、確実に芽吹き始めていた。
◇
「シーラさんの容体に変りない?」
いままで二人っきりだった個室にファルシアが訪れる。個室といっても各ベッドを白いカーテンで囲んだ程度のもの。最低限と、但し書きが必要な代物だが、それでもプライバシーが守られているには違いない。女性には有難い配慮であろう。
『お前かよ』と言いたげなエルの視線に、ファルシアは文句ではなく苦笑いを浮かべながら、やや暗くなり始めた室内を明るくするため照明の呪文を唱える。
魔術師としては二流かも知れないが――消滅の呪文を覚えるまでは三流だったのだから、成長速度は遅いものの進歩そのものはしている――照明係として充分であり、おかげで部屋が蝋燭やランプとは異なる灯火がともる。
迷宮内では物資は貴重であり、魔術師が存在するなら照明の呪文の方が安上がりなのだ。病院が五傑によって運営されているといっても、働く人達は実質ボランティアといえる程度の給金しか支払われておらず、ファルシアに至っては個人的理由から一銅貨の受け取りも拒否していた。
それでも気にせず照明の呪文を唱えてくれる人物は、多くないのが現状だった。
「相変わらず便利な呪文だな」
「このくらいしか僕に役立てることがないけどね」
「――そんなことはねぇよ」
「ありがとう」
自傷気味に笑うファルシアを、珍しくエルが気遣う。
ファルシアの服装は、看護士のような白い正装を身に付けている。『看護士のように』は正しくないか、文字通りネスト内に存在する診療所で看護士として働いているのだ。魔法剣士が看護士として働くのも妙な話だが、彼にも彼なりに事情があるのだろう。
「陽が落ちてきたよね」
「ああ、馬鹿共が帰ってきたな」
「皆、無事に帰ってくるといいけど」
「そうだな。怪我でもされたらお前の仕事が増えるしな」
「――エルらしい言い草だね」
「けっ」
「それでシーラさんの容体に変りない?」
「相変わらずだぜ、ファルシア。日なが一日ベッドで寝ているなんて、良い御身分だぜ」
「病人にそういうこと言うもんじゃないよ、エル」
「三日も待たせたんだ。俺には文句を言う権利があるぜ」
「エル」
「けっ」
窘めるような口調で話しかけるファルシアに、エルはそっぽを向く。
付添い人とは思えない態度を『困ったものだな』というような表情で許すのは、口や態度はひねているが、一応心配しているのを知っているからだろう。
「おい、ファルシア。ジェシカの奴は、いつ回診に来るんだ?」
「ジェシカ先生でしょ。仮にも家庭教師だった人に対して、奴は失礼だと思うよ」
「うるせい。俺はあの女から学問は学んだかもしれないが、お前と違って師弟関係になった覚えはないんだ。俺があいつをどう呼ぼうが、俺の勝手だ!」
「……エル、病室で静かに」
「――悪かったよ」
いつもはファルシアの意見を適当にあしらうエルであったが、今回ばかりは素直に非を認めた。素直に非を認めるくらいなら声を荒げなくてもいいのだろうが、三日も付きっきりだったためストレスが溜まっていたのだろう。
相手がいつ起きるか分からない状態で、傍に付きっきりでいるというのは、精神的に結構キツイものなのだ。
立ち話が止まる。
二人の間で沈黙が訪れるのは珍しい。
大抵どちらかが何かを話しているのだ。
沈黙にエルは耐えかねていたが、先程非を認めたので口を開きにくかった。
患者の体温を確認するため、ファルシアはシーラの額に手をおく。
体温計のような器具は、未だ発明されていないため、人の感覚で確認するしかないのだ。
原始的と思うかもしれないが、この世界において医学の進歩はかなり歪だった。
全ては魔術の発達が原因である。
魔術の発達は切り傷や骨折など、外傷による治癒率を飛躍的向上させた。お陰で不慮の事故で死亡する人は激減している。
ただし病気の治癒に関しては未発達なのだ。
病気の治療に用いられるのは、効果があるのか科学的――この場合には魔術的にというべきか――に証明されていない、薬草などの民間医療に毛が生えた代物。本当に効果がある例もあるが、効果があると信じ込ませることに意義を見出している例が多い。
本人の生命力。つまり、生きようとする力に依存しているのが現状だった。
解毒薬や解毒の呪文は存在するが、病気は解毒で対応できないのだ。治癒呪文も症状に確認せず使用すれば、返って害となるケースもあり得る。仮に癌患に治癒呪文を使用すれば、癌細胞を活性化することで症状を悪化させるだろう。
魔術があろうとも、医学の分野は現代医学に遠く及ばないのだ。
「熱はなしと。容体が安定してきているようだね。僕は他の患者の容体も診なければいけないから席を外すけれど、後で彼女をポーションの浴槽に入れに来るよ」
「診療とはいえ男同伴で湯船に入ったなど、シーラの奴には言えないよな」
「僕は連れていくだけ。女性にはジェシカ先生や女性の方が対応しているよ」
「そういうことに、しておいてやる」
「酷い言い草だよね」
「ところでマックスの奴はどうしている? あの野郎、ちっとも顔を出しやがらねぇ」
「……エルに気を使ったんじゃないかなぁ? 冗談冗談。マックスなら他の冒険者の治療で手一杯で、とても来られる余裕がないよ」
「まあ、仕方ねぇか。ボランティアで治癒呪文を唱えてくれる、奇特な神聖魔法士は普通いねぇよな」
「それは違うよ。ネストに辿りついてなおも、治癒呪文を唱えるほど魔力を残している神聖魔法士が少ないだけ」
「ふん。そういうことにしといてやる」
エルの口が悪いのはいつものことだが、今日はどこか機嫌が悪かった。それを察したのだろうか、ファルシアも席を外そうとする。
「それじゃあ、僕は他に診なければいけない患者さんがいるから、もう行くね」
「――ああ」
生返事で返答すると、再び椅子に腰をかけ天井に視線を送る。
木目の数を数えるのも飽きたのだが、他にやることがない。いや、ないでもない。シーラの枕元に、彼女が所有している聖書が置いてあった。無神論者のエルには不要なものだったが、暇つぶしにはなるにだろう。
(けっ、こんなもの死んでも読むのか!)
神であるヴァハを同行者として認めている以上、神の存在を否定できない。が、存在を肯定するのと信じるのとは別の次元の話である。
(神が創造種か父親的存在だとして、その創造物である俺達が奴らを信じなければいけない理屈はねぇ。子って奴は、親を越えてこそ存在価値を証明できるんだ。それが神だとして、なんだって言うんだ。大体、神を信じやがるシーラをとっとと起こせねえ神に、信じる価値などあるものか。くそっが!)
ほとんど八つ当たりである。
光の神々は、自分達を信じない者を罰しない気量があるらしく、どれほど悪口雑言を心の中で叫ぼうとも天罰が落ちることはなかった。我儘な子ほど、可愛いのかもしれない。
聖書を手に取らない以上、エルのできることは、特徴的な木目を眺めながら想像を膨らませることだけだった。




