神木の花
シズルが寝たことでセツナ嬢がカケルに、子どもたちをそれぞれの天幕に連れて行くよう促し、この天幕からセツナ嬢以外のみんなが居なくなってしまった。
食卓に残った、空の器に視線を向ける。
片付けるか。
「あ、それは後で片付けるから。まずはクロガネの天幕に案内しようと思ってるんだけど、その前に、私の天幕に寄ってもいい? この杖の花、交換したいのよ」
持ち上げていたお盆を卓上に戻す。
セツナ嬢が杖の先端の萎れた花を指差している。
あの花は交換する物なのか。消耗品? ならば、元はどんな形をしてるんだ? 気になる。
「セツナ嬢。花を交換するのを見たいんだが、いいだろうか。そもそも、その花はなんだ?」
ここで生花が育つとは考えられない。
「これは、ハルカの神木の花よ。守護のお爺さんが持ってきてくれるの」
氷のような花を見つめる。故郷の神木が脳裏を過ぎった。
せり出した崖に空を覆われた地で、リュウ様の花が朝陽であり、陽光であり、月光だった。
あの透明な神石花が、空の光を受けて、故郷を照らしてくれていた。
「多分、絵を描かせてあげるお礼だと思うんだけど、あのお爺さん、何を考えてるのかよく分かんないのよねー」
セツナ嬢が立ち上がる気配で、現実に引き戻された。
「じゃあ、私の天幕に行きましょ?」
後ろを向いたセツナ嬢が、天幕の幕を開けて外にでる。
あとに続くと、暗い空から胞子の混ざった雪が、ぱらぱらと舞い落ちて、広場に染み込んでいた。
首に巻いたままの布を、さっと鼻先まで引き上げた。
セツナ嬢が歩きながら、ちらりと空を見上げる。
「もうすぐ……本格的な冬がくるわね……」
誰の返事も求めていなそうな、小さな呟きだ。
地上はあまり寒さを感じないが、一般人は繊細だったな。もっと寒さが厳しくなると、体に堪えるのか。この地は、どのくらい寒くなるんだ?
子どもたちの声が聞こえる天幕を通り過ぎて、しめ縄の近くにある天幕の前で、セツナ嬢が立ち止まった。
「花を取ってくるから、ちょっと待っててくれる?」
こちらを向いたセツナ嬢に頷くと、彼女はさっと天幕の中に入って行った。
腰の刀に手を置き、しめ縄の外側を見る。
枯れた木々に囲まれた獣道の先に、濁った小川があった。
木に巻き付いている腐怪や、羽虫のような腐怪が目に映る。
浄化してしまいたいが、ここが腐敗の地である以上、きりがない。
見晴らしのいい場所はないか。
村の中に視線を巡らせると、中央の広場を境にして片側に天幕と、反対側に柵で囲われた場所があることに気が付いた。
「お待たせ。これが神木の花よ。というか、蕾ね」
天幕から出てきたセツナ嬢が、手に氷で覆われた白い花の蕾を持って、こちらに見せてきた。
これは……花を蕾のまま、凍らせてるのか? 何のために? 保存か? なぜ、保存する必要があるんだ? いや待て、氷は溶けるものだろ。……神木守の力か。凍らせたのは誰だ?
「ねぇクロガネ。もういい? そろそろ本気で蹴り飛ばすわよ……?」
なぜ、耳元からセツナ嬢の声が……?
眉を寄せて顔を上げると、眦を吊り上げたセツナ嬢の顔が目に飛び込み、中腰のまま飛び退る。
前屈みでセツナ嬢の手元を覗き込んでいたらしい。
「すまない! わざとじゃないんだ……」
セツナ嬢の目が半眼になり、その口から諦めたようなため息が零れ落ちてきた。
「何がそんなに気になるのか分からないけど、もうちょっと離れて見てくれない?」
セツナ嬢が、近くの切り株の上に杖を置いて屈み込む。
彼女の背後から、近付き過ぎないように杖を覗き見る。
杖の先端に付いていた、萎れた花がなくなっていた。
天幕に置いてきたのか。
セツナ嬢が、氷に覆われた蕾を切り株の上に置き、杖に巻き付いた透明な蔦と葉の飾りを、杖から取り外す。
取り外しできる物だと? なぜ、今外したんだ?
彼女が手に持った飾りを無造作に振ると、中から水滴が飛び散り、地面に染みた。
「それは、何をしてるんだ?」
「水気を切ってるのよ。あとでカケルに水を入れて貰うの」
「なぜ、水を入れる必要があるんだ」
「なぜって、水がないと氷が溶けないじゃない。使うには花を咲かせないといけないんだから」
水気を切り終えたのか、セツナ嬢が飾りの先端部の蓋らしき部分を閉めた。
持ち手部分には押し込めそうな出っ張りがある。
押せば蓋が開くようになってるのか? 細かい造りだな! 使う時は水で氷を溶かして、花が咲く力で一気に浄化の光を放つ、と! これなら、一般人でも腐怪を怯ませることができる。……セツナ嬢が、母君の形見だと言っていたな。母君も、一般人だったのか……? いや、神木守でも腐怪を浄化できない者もいるからな。分からん……。それにしても、この杖はやはり、一級品だ。
セツナ嬢が、水を入れておく飾りを切り株の上に置き、氷に覆われた蕾の茎部分を、杖の先端に突き刺し固定した。
「よし。それじゃ、空いてる天幕に案内するわ」
片手に杖、反対側の手に飾りを持って、彼女が立ち上がった。
「セツナ嬢。俺は木の上で寝る。だから、天幕は必要ない」
「……何言ってんの? 木の上は寝る場所じゃないでしょ! 百歩譲って寝る場所だったとしても、荷物を置いておく場所くらい必要でしょうが!」
杖の先端を突き付けられて、仰け反るように背筋を伸ばした。
荷物……? 刀と、布と……小袋に入れた宝石類しかないが?
懐を探り、首を傾げる。
「木の上で寝た方が、すぐに腐怪を浄化できるだろ? 天幕を貰えるのは嬉しいが、俺には本当に必要ないんだ」
外が気になって、目が冴えるのが落ちだろうからな。
「あのね。真冬は大雪になるのよ!? いいから、場所だけでも確認して!」
セツナ嬢の勢いに押されて無言で頷くと、彼女は「全くもう!」と呟きながら、近くの天幕に案内してくれた。
「じゃあ、おやすみ。何かあったら私の天幕を尋ねて。夜は大体、天幕にいるから」
「ああ、分かった。いい夢を」
セツナ嬢が、怪訝そうな表情を浮かべたあと、カケルの声が微かに聞こえる天幕に向かって、歩いて行った。
……危ない腐怪がいないか、確認してくるか。
しめ縄の外に視線を向けて、皮膜を広げて半獣化した。
皮膜で風を切り、村の上空を飛ぶ。
広場を中心にして、すぐに外周を回れてしまう。小さな村だった。
目に付いた腐怪を軽く浄化し、天幕の近くの、しめ縄が巻かれた枯れ木の枝に降り立った。
半獣化を解いて枝に座り、木の幹に背を預けて、刀に手を置きながら目を閉じた。




