第8話 保管庫の石
ソフィーが木箱を持ってきたのは翌日の昼過ぎだった。
応接間に入ってくるなり、両手で木箱を差し出した。「はい、お預かりしてきたわ」。声が弾んでいた。
「ありがとうございます」
「エドガーさん、全然疑ってなかったよ。素直な人ね」
「そうですか」
ソフィーが首を傾けた。「ミラヴェルにしては短い返事ね」
返す言葉を選んでいたというより適切な返し方が見当たらなかった。ソフィーの言う「素直な人」という観察は正確だ。正確なだけに何も付け加えることがない。
「何か変なことでも言った?」
「いいえ」
「そう」ソフィーはしばらく私の顔を見てから「まあ、いいか」と言った。これ以上追及しないという判断をしたときのソフィーの顔だ。精度が高い。
木箱を受け取った。布越しに中の重さが伝わった。
「何かわかったら教えて」とソフィーが言った。「教えられる範囲で、でいいから」
「はい」
ソフィーが帰っていった。廊下の足音が遠ざかり、玄関の扉の音がして、静かになった。
屋敷の地下に保管庫がある。
階段を降りると温度が下がる。石造りの壁が厚く、冬でも夏でも地上より少しだけ温度が一定だ。
天井が低い。大人が立つと頭の上に余裕がほとんどない。壁の燭台に蝋燭が三本立ててあった。火を入れると橙色の光が壁に広がった。石の表面の凹凸が影によって浮き上がった。
この場所は音を吸う。地上の生活音が届かない。足音も自分の呼吸だけが近く聞こえる。静かというより遮断されているという感覚だ。
作業台の脇に棚がある。
棚の一段目に厚みのある記録書が並んでいた。表紙に手書きの文字がある。年代と分類が丁寧な筆跡で書かれていた。父の字ではない。
目を離した。
作業台に木箱を置いた。布を外して台座ごと石を出した。
蝋燭の光の下で石を見た。
楕円形。深みのある青。光の角度によって色の濃さが変わって見える。傷がない。作りは丁寧だ。一見して価値のある石だとわかる。白廊の夜会に並べても違和感がない水準だ。
扇を開いた。
石の方向へ視線を向けた。
一瞬薄い層が剥がれるような感覚が走った。
人間を見るときとは違う。人の場合、鑑定眼は輪郭の欠けとして綻びを示す。
石の場合は、あるべき深みがそこだけ欠けているという感覚だ。色彩の乱れとでも言うべきか。表面の色は正しい。しかし内側に向かうにつれて、光の通り方が違う。本物の石は光を受けると内部で屈折してそこから返してくる。この石は表面で受けて表面で返している。
深みがない。
扇を動かした。角度を変えながら層の見え方を確認した。正面と斜めで欠けの場所がわずかに変わる。光の入る方向によって、欠けが追いかけてくる。素材の問題だ。石の内部の密度が本物とは違う。
本物の石は長い年月をかけて内部の密度が積み重なる。その密度が光への応答を作る。複製にはその積み重なりがない。どんなに精巧な複製でも、時間だけは再現できない。
綻びと呼んでいいのかどうか、この石には意思がない。しかし欠けはある。確かにある。
扇を閉じた。
次に物理的な確認をした。
石を持ち上げた。重さを確かめた。同程度の大きさの本物の石よりわずかに軽い。
蝋燭の炎に近づけた。光の反射角度を見た。本物の石が持つ奥行きのある反射ではなく表面的な照り返しだ。指先で表面をなぞった。本物の石の表面は細かな摩擦がある。この石は滑らかすぎる。
ガラスだ。
丁寧に作られたガラス製の複製だ。職人の技術は高い。色の調合も正確で台座への収め方も本物と変わらない。しかし重さも光も触感も、同じ答えを出している。
最後に経年の確認をした。
台座の金属部分に細かな酸化の跡がある。ガラスの縁にわずかな曇りがある。これらは五年前後の経年に相当する。十年以上ではない。ヤニクが持ち帰った「五年前」という情報と一致している。
記録を手帳に書いた。
素材:ガラス製。制作年数:五年前後。技術水準:高い。発注者:不明。
書き終えてもう一度最初から読んだ。読みながらもう一行書いた。
十年前に詳細不明の大きな支出がある。五年前に複製の依頼があった。
なぜその順番なのか?
十年前に本物を売ったなら、なぜすぐに複製を作らなかったのか? 五年間何もなかったのか? それとも五年間は複製を作る必要がなかったのか?
なぜ五年前に必要が生じたのか?
手帳にもう一行書いた。それからその下にもう一行書いた。十年前の支出の目的について考え得る可能性を三つ書いた。
それぞれの可能性が「なぜ五年前か」という問いと整合するかどうかを横に書き込んだ。整合しないものに印をつけた。残ったのは二つだった。
その二つについてさらに条件を書き分けようとした。
「十年前に知っていた人間の数」と「五年前に知った人間の数」を横に並べようとして、情報が足りないことに気づいた。
次のページを開いた。情報が足りない部分を書き出した。書き出しながらその情報を得るためには何が必要かをまた書いた。
蝋燭の一本が小さく揺れた。
気づいたとき、手帳に書いた文字の量が必要以上に増えていた。
確認のために書くのではなく、書くことで思考を進めようとしていた。それは普段の手順と違う。手帳を使うのは情報を固定するためだ。思考の場所ではない。
手帳を閉じた。
石を布で包んだ。木箱に戻した。作業台を片付けた。蝋燭を消した。
暗くなった保管庫の中で一度だけ深く息を吸った。石造りの壁の冷たさが鼻の奥に入ってきた。
階段を上がった。地上の空気が保管庫より少し暖かく感じた。廊下の窓から光が入っている。外は曇りだ。白い光が石の床を薄く照らしていた。
地下と地上で、同じ屋敷の中で、空気がこれだけ違う。
部屋に戻って机の前に座った。
今日確認できたことは一つだ。石は複製だった。
しかし問いは増えた。
なぜ十年前ではなく五年前に複製を作ったのか?
この問いに答えるには十年前に何があったかを知る必要がある。アンセルムの財政記録は「詳細不明」で終わっていた。記録に残らない何かが十年前にあった可能性が高い。
そういう情報は記録院ではなく、人が持っている。
ヤニクに追加の依頼を出す。十年前にグロワール家の周辺で何が起きたか? 市場の話を探してほしいという内容だ。
紙を一枚取り出した。
書き始める前に保管庫の棚の記録書のことをもう一度だけ考えた。丁寧な筆跡で書かれた年代と分類の文字。父の字ではない字があの棚に並んでいる。
それから書き始めた。




