第64話 重かったでしょう
深夜の第三書庫は、静かだった。
食べ終えてそれぞれが落ち着いた後、サンクレールが先に眠った。毛布を体に巻いて、壁際に座ったまま眠った。横にならなかった。長く隠れてきた人間は、横になって眠ることを忘れるのかもしれない。そのどちらかは、今夜ここでは判断できない。
サンクレールが眠ったことで、書庫の空気が少し変わった。一日かけて背負ってきたものを、眠ることで少し降ろした人間の気配に変わった。降ろした、という言葉が正確かどうかはわからない。ただ、体から何かが抜けた、という変化が気配に出ていた。ミラヴェルはその変化を見た。見て、そこに置いた。
ヤニクも目を閉じていた。起きているかもしれなかった。眠っていても、何かがあれば目が覚める。そういう眠り方ができる人間だと、今日見てきた。
ミラヴェルとアンセルムが、蝋燭の前に座っていた。
蝋燭は四本になっていたが、今は三本に減っていた。一本は燃え尽きた。残りの三本が、書庫の中を照らしていた。光の届かない書棚の奥は暗かった。羊皮紙の乾いた匂いが、部屋全体に満ちていた。石の壁から冷気が来ていた。夏より深い、十月の石の冷たさだ。外の音は何もなかった。この静けさの中に、今夜は四人がいる。息の音が、静けさの中に混ざっていた。
お茶はなかった。
なかった、ということに気づいたのは、静けさが落ち着いてからだった。なかった。それだけが、そこにあった。これまでこの記録院でアンセルムと話すとき、いつもお茶があった。熱かったことも、正しい温度だったことも、苦かったこともあった。今夜はなかった。なかった、という形の変奏が、今夜初めて来た。
「ミラヴェル様。私が隠していたことを、怒っておられますか?」
アンセルムが静かに口を開いた。
夜の声だった。昼間の声とは違った。音量が小さいだけではなく、重さが違った。この問いを持っていたのは、今夜が初めてではないだろう、と思った。今朝から今夜まで、ずっと持っていた問いが、今出てきた。
ミラヴェルは少しの間、考えた。怒っているかどうかを内側で確かめた。時間がかかった。なかった。朝に感じた何かは、怒りではなかった。怒りに似た何かだったが、怒りではなかった。その何かに名前をつけようとして、やめた。名前のないまま、持っておくことにした。それから、答えた。
「怒っていません。ただ。あなたが五年間、一人でそれを抱えていたことが。……重かったでしょう」
アンセルムが、眼鏡を外した。
外した眼鏡を両手で持ったまま、少しの間、下を向いた。外すのを見たのは初めてだった。この記録院で、この人間が眼鏡を外す場面を、今まで見たことがなかった。今朝からずっとかけていた眼鏡だ。かけていることが当然だったものを、今外した。
眼鏡を外したアンセルムの顔が、少し違う顔に見えた。同じ顔だが、少し違った。何かを外したとき、人間の顔は少しだけ変わる。今夜初めてそれを見た。
外した眼鏡を持ったまま、アンセルムが言った。
「リリアーヌ様も、同じことをおっしゃいました。私が調査に協力することを心配して。『重くないですか』と」
ミラヴェルは、ただ、蝋燭の火を見た。
火は揺れていなかった。空気が動いていない。書庫の奥にある、窓のない部屋の、動かない空気の中で、火は静かに燃えていた。アンセルムの言葉が、まだ空気の中にある気がした。「リリアーヌ様も、同じことをおっしゃいました」という言葉だ。その言葉が、どこかに引っかかっていた。
引っかかっている場所がどこかを、ミラヴェルは火を見ながら探した。場所より先に、言葉が来た。
母は、人のことを心配していた。調査の最中でも。証拠を集めながらも。
私は今、アンセルムのことを心配した。推理の途中で。
それは。母と同じだ。
私は母の目を持っている。では、母の何かを。他にも持っているのか。
この問いを、ミラヴェルはアンセルムに言わなかった。
蝋燭の火が、三本とも揺れた。空気が動いた。揺れた火が、また戻った。書棚の影が動いて、止まった。揺れて戻る。揺れて戻る。問いもそれに似ていた。浮かんで、戻る。浮かんで、また残る。
アンセルムが眼鏡を戻した。かけ直す動作が、昼間と同じ動作だった。何かが戻るときの動作だ。眼鏡をかけ直したアンセルムの顔は、今夜の残りを続けるための顔に戻っていた。外していたときの顔とは、少し違った。それだけだ。
「休んでください、ミラヴェル様。朝になったら考えましょう」
「そうします」
答えた後、しばらく二人とも何も言わなかった。問いは、まだ頭の中にある。「母の何かを、他にも持っているのか」という問いだ。今夜この書庫で答えが出るものではない。答えを出そうとして、出ないまま、眠ることにした。ただ、体が横になった。横になった後も、しばらく火を見ていた。
サンクレールの寝息が、どこかから聞こえた。規則正しい音だった。長く安心して眠れなかった人間が、今夜ここで眠っている音だった。その音を聞きながら、目を閉じた。
眠る前に、上着の内側に手を当てた。手帳があった。扇があった。両方、まだそこにあった。今日のことが、まだ頭の中にあった。朝の裏口から始まって、記録院の書庫、霜市場、サンクレールの住処、また記録院。一日の中に多くのことが詰まっていた。
問いは消えなかった。消えないまま、目を閉じた。そのまま、眠った。
蝋燭が、一本ずつ消えていった。最後の一本だけ、残した。




