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スミレ色の鑑定眼  作者: 猫じゃらし
第五章 赤の遺産
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第52話 真相より先に

 ソフィーが来て、椅子に座った。


 ミラヴェルも座った。二人きりの部屋だった。使用人を外に出していた。ソフィーを呼んだとき、そうすることにしていた。今日の話は、使用人の耳に入れるべき話ではない。入れてはいけない話だ。


 今日、ミラヴェルは扇を持ってきていなかった。机の端に置いてある。部屋を出るときに手に取らなかった。取らないことを意識しなかった。気づいたのは、ソフィーが来る前に部屋を整えているときだった。


 取りに戻ることをしなかった。


 ソフィーの綻びを確認する必要がない。その判断が先にあったのか、それとも手が動かなかっただけなのか。どちらかはわからなかった。ただ、扇は机の端に残った。


 ソフィーは来てすぐに、ミラヴェルの顔を見た。何かを言いかけて、言わなかった。いつもなら最初に何か言うソフィーが、今日は黙っていた。


 ミラヴェルもしばらく黙っていた。


 今まで、ミラヴェルは「待つ」ことがあった。情報が出るのを待つ。相手が動くのを待つ。次の問いが見えるまで待つ。待つことは、必ず何かを確かめながら行う動作だった。


 今日は違った。ただ、待っていた。


 椅子に座ったまま、手を膝の上に置いていた。扇のない手だ。しばらくして、それが珍しいことだと気づいた。


 やがてソフィーが言った。「……ミラヴェル、何かわかったの?」


 声は穏やかだった。問い詰める声ではなかった。


 ミラヴェルが答えた。


「一つ聞かせてください。あなたは、全てを知りたいですか?」


 ソフィーが少し驚いた顔をした。驚きの後、すぐに顔が静かになった。「それって……どういう意味?」


「真相を明かすことで、あなたが傷つく可能性があります。お父様が助かることと、全てを知ることは、必ずしも同時には手に入りません。それでも、知りたいですか?」


 ソフィーが黙った。


 長い間だった。ミラヴェルは待った。今日の待ち方は、昨日と同じ種類だった。確認していない。ただ待っていた。


 窓から光が入っていた。八月の終わりの午後の光だ。光がソフィーの手の甲に当たっていた。ソフィーは手を見ていなかった。どこかを見ていた。ミラヴェルにはその視線の先が何かは見えなかった。


 ソフィーが一度、小さく息を吸った。言葉は出なかった。部屋の外から、遠く使用人の足音が聞こえた。廊下を通り過ぎて、また静かになった。


 やがてソフィーがミラヴェルを見て、言った。


「……ねえ、ミラヴェル。あなた、今、私のことを考えてくれてるでしょ。真相より先に」


 ミラヴェルは答えなかった。


 ソフィーの言葉が部屋の中に残っていた。「真相より先に」という言葉だ。真相より先に、という順番は、ミラヴェルがこれまで一度も取ったことがない順番だった。真相が先にあって、その後で他のことが来る。そういう順番でしか動いてこなかった。今回は違った。ソフィーはそれを見ていた。


 答えなかったことを処理しようとして、止めた。ソフィーが言葉を続けた。


「教えて。全部。私、知りたい。怖くても。……あなたが心配してくれるなら、なおさら」



 ミラヴェルは、その言葉の意味を処理しようとして、やめた。


「あなたが心配してくれるなら、なおさら」、ソフィーは、私が心配していると言った。


 心配、という言葉を、私は今日まで自分に使ったことがなかった。

 感情を「処理するべきノイズ」として扱ってきた。

 しかしソフィーは今、そのノイズの名前を口にした。


 私はその言葉を、処理しなかった。処理しない、ということを選んだのかどうかも、わからない。

 ただ、頷いた。



 話し始める前に、一度だけ机の端の扇を見た。見て、手を動かさなかった。


 これまで、扇を使わなかった日はなかった。今日は使わない。


 知っていることを、順番に話した。シャルルがヴァラン派と接触したこと。覚書の内容。父が倒れる前の晩に姿を消していたこと。厨房に見慣れない人間が入っていたこと。アンセルムが確認した書類の形式。証明の方法。証明することで何が起きるか。


 ソフィーは一言も遮らなかった。途中、一度だけ目を伏せた。伏せた後、すぐにまた顔を上げた。その速さは、ミラヴェルが見ていた中で、ソフィーの中で何かが決まったときの速さに似ていた。


 話しながら、ミラヴェルはソフィーの顔を見ていた。見ていた、という言い方が正確かどうかを考えかけて、止めた。ただ見ていた。


 全部を話し終えた。


 部屋が静かになった。外から鳥の声が一度聞こえて、消えた。


 話している間、ミラヴェルは一度も扇を使いたいとは思わなかった。ソフィーの綻びを確認する必要がない。今日初めてそうわかった。


 しばらく経って、ソフィーが言った。「……兄が、関わっているのね」


「はい」


 ソフィーが頷いた。長い頷き方だった。


 今日初めて、ソフィーの声が少し低くなった。いつもの声より一段低い。怒っているのか、決めているのか、判断できなかった。判断しようとして、やめた。


「続けて」とだけ言った。


 その一言で、ミラヴェルは次の手を決めた。医師ベルナールを訪ねる。正式な鑑定依頼として出す。記録院に残る形で証拠を確立する。手順が、今決まった。


 ソフィーがもう一度言った。「続けて、ミラヴェル」


 二度目だった。一度目と言い方が同じだった。同じ言い方で二度言うことができる人間だ、とミラヴェルは思った。ソフィーが泣いていないことを確認した。確認する必要があったかどうかを考えかけて、止めた。


 ソフィーがいる間、お茶を出さなかった。ソフィーも求めなかった。二人の間に何も置かなかった。


 ミラヴェルはベルナールへの依頼を話した。ソフィーが何をするべきかも伝えた。


 話しながら、声の速さがいつもと違うことに気づいた。速かった。ソフィーに話すとき、声が速くなる。今日初めて気づいた。


 ソフィーが聞いていた。聞きながら、一度だけ「わかった」と言った。それ以外は何も言わなかった。


 ソフィーが帰り際に立ち上がった。立ち上がってから、ミラヴェルを一度見た。


「ありがとう、ミラヴェル」と言った。


 声が少し低かった。泣いていなかった。その二つを、ミラヴェルは聞きながら確かめた。


 ミラヴェルは頷いた。言葉が出なかった。出す前に、ソフィーが扉を閉めた。待たなかったのではなく、待つ必要がないとわかっていた、という閉め方だった。


 部屋の光が少し傾いていた。扇は机の端にあった。今日一度も使わなかった。使わないまま、一日が終わった。


 翌日、医師ベルナールを訪ねた。

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