第4話 依頼の書き方
霜市場の石畳は中層より角が残っている。
靴底が薄ければ一歩ごとに足の裏に伝わる。昨夜のうちに替えておいた。この判断を誰かに報告する必要はない。転ばずに目的を果たせればそれで十分だ。
中層から下りてくる人間は一目でわかる。歩き方が石畳に慣れていない。私もその一人だが、歩幅を少し狭くすれば目立たない。荷台を押す音。焦げた炭の匂い。誰かが怒鳴る声。全部が一度に来る。霜市場は朝の七時から動いている。
昨夜、机に向かった。
羊皮紙を一枚出して、アンセルム・ノワレ宛の書状を書いた。グロワール子爵家の財政記録の照合依頼だ。書き始める前に少しだけ考えた。何をどこまで書くかという問題だ。
記録院の人間に情報を渡しすぎると整理した上で送り返してくることがある。それ自体は有用だが今の段階では自分の手元で情報を整理したい。だから書いたのは三項目だけだ。照合の対象。確認したい時期。返答に要する期間。それ以上は書かなかった。
アンセルム・ノワレ。記録院の第三書庫管理官。接触はこれで二度目になる。一度目は昨年の秋で父の知人の遺産問題に際して資料を参照した。窓口として対応した人間の名前をそのとき控えておいた。
几帳面な文字で、行間が均等で、訂正がどこにもない返書が来た。内容は正確でこちらが求めた以上のことは書かれていなかった。ただし一行だけ依頼の外側にある情報が末尾に添えてあった。
意図的なものかどうかは今もわからない。
書き終えた書状を確認してから封蝋をした。深夜でも記録院の受付には当番がいる。それが記録院の規則だ。外套を羽織って一人で届けに出た。中層の夜は静かで石畳に自分の足音だけが返ってきた。
返事が来てから判断する。
霜市場の外れに大ぶりな魚の干物を吊るした軒先がある。その陰に人待ちの姿勢で立っている人影があった。
小柄で身軽そうな体格。くせのある茶色い短髪が毛糸の帽子の端から少し出ている。服は実用的な作りで、よく見ると薄汚れているが、動きやすいよう縫われている。目だけが年齢に合わない鋭さを持っていた。こちらを見るとき少し長く見る。顔を確認しているのではなく、何かを記憶しているような動き方だ。
「お嬢さん」
声をかけてきた方が先だった。
「遅かったですね」
「七時半の約束です」
「おれは七時十五分には来てました」
返す言葉がなかったので軒先の陰に入った。ヤニクがついてくる。足音がほとんどない。
「お願いがあります」と言った。
「なんですか?」
「グロワール子爵家。五年以内に、青い石の複製の依頼を受けた職人の情報がほしいのです。依頼人は貴族階級と思われます。霜市場か、その周辺にいる宝石師か石工が手がけた可能性があると思います」
ヤニクが少し視線を上げた。計算しているときの静止の仕方だ。
「複製と偽造、どちらですか?」
「複製を想定しています。ただし偽造の可能性も排除しません。両方の線で探ってほしいのです」
「五年前だと覚えている人間がいるかどうか、その確認から始めます。早ければ三日、場合によっては一週間かかります」
「かまいません」
「手間賃は?」
「これでどうですか?」
金額を言った。ヤニクはまた少しの間だけ止まった。
「その倍あれば二日早くなります」
「では倍で」
「助かります」
それで話は終わりだった。ヤニクが踵を返しかけて止まった。
「お嬢さん」
「何ですか?」
「今朝、飯は食べてきましたか?」
答えを待たずにヤニクは人混みの中へ消えた。三秒もかからなかった。魚の干物が風に揺れている。
私はしばらくその場に立っていた。
ヤニクが消えた方向を少しの間だけ見ていた。人が流れている。荷台が通る。誰かが笑う声がした。ヤニクはもうどこにもいない。
食べていなかった。
わからないという事実を今回はそのままにした。
帰路に確認した。
依頼は出た。返事を待つ間にグロワール兄弟を直接見ておく必要がある。白廊に兄弟が現れる時機はフェリクスに一言聞けばわかる。兄は白廊の人の動きを正確に把握している。意図を深く掘り下げない。「誰かに会うのか」と訊かれたら「社交の挨拶です」と答えれば終わる。
社交の挨拶であることに、変わりはない。
屋敷に戻る。礼装に替える。
霜市場の石畳の角を踏みながら歩くと、白い息が顔の前で広がっては消えた。




