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スミレ色の鑑定眼  作者: 猫じゃらし
第一章 青の鑑定
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第3話 夕食の情報

 フェリクスがグロワール兄弟の話を持ち出したのは、スープの二皿目が来てからだった。


 白廊での話だ。長男が次男と向き合っていた。謁見の廊下だったから声は届かなかったが、長男が次男の腕を一度掴んで、それから離した。なだめているのか止めているのかは、あの距離からではわからなかった。


「遺産争いだろうな」とフェリクスは続けた。「先月子爵が亡くなったばかりだし、ああいうのはよくある」


 父が書類から目を上げないまま「そうか」と言った。


 少し間があった。


「……あの家は晩年、金銭に問題があったと聞いたことがある」


 父の声は変わらなかった。書類を読みながら思い出したという調子だ。「詳細は知らんが。あのくらいの規模の子爵家には珍しいことでもない」


 フェリクスは特に反応しなかった。


 今日の警備で起きた別の出来事に話が移った。子爵家の馬が白廊の前で転倒した話、大助祭の予定にない来訪。


 どちらも細部まで正確で、兄の記憶の精度は高い。軍人として必要な能力なのだろう。

 しかし今日の話の中でグロワール兄弟の件に戻ることはなかった。あれはただの景色だった。景色として処理した後で、景色のまま話したのだから。


 私は何も言わなかった。


 兄の目の色は父と同じ深緑で、今夜は少し疲れた色をしていた。白廊の警備は長い。軍人らしく鍛えられた体格は礼装より私服の方が少しだけ緩む。今夜は私服だ。それだけを観察として記録した。


 食事が終わって各々が席を立った。廊下でフェリクスが私の隣に並んだ。「なんかあるなら言えよ」と小声で言った。食卓での会話より低い声だ。


「特に何もありません」


「そうか」


 フェリクスは階段を上がっていった。振り返らなかった。



 夕食後、部屋に戻った。


 窓の外は夜になっていた。中層街の灯りが石造りの建物の壁に反射して、雪の積もった道が白く光っている。今夜は雲が厚く、星は見えない。寒い夜だ。ガラスの内側を指で触れると、昨夜より冷たかった。


 机に座り、今日集まった情報を並べる。


 ソフィーの情報:次男シモンが「魔法によるすり替え」を主張している。長男との対立。

 兄の情報:白廊で兄弟が接触した。兄がなだめる側だった。公的な場での動きがある。

 父の情報:財政悪化の可能性。詳細不明。


 三つとも持ってきた人間はそれを「繋げていない」。


 ソフィーは面白い噂として持ち込んだ。兄は景色として話した。父は「詳細は知らん」で終えた。三人がそれぞれ持っている情報のどれ一つも欠けてはいけなかった。そのことを三人は知らない。


 欠けているのは二つだ。


 一つ目は「宝石そのもの」。複製かどうかの物理的な確認。

 二つ目は「財政悪化の詳細」。いつから、どの程度、何が原因か。


 次の手はそこだ。



 お茶を一杯いれた。


 机の上に置いて湯気が落ち着くのを待つ。自分で淹れると毎回同じ温度になる。そのことに気づいたのはいつだったか、記録がない。今夜は正しい温度だった。


 飲みながら、二通の書簡の送り先を考えた。


 一つは記録院の第三書庫管理官、アンセルム・ノワレ。財政の記録を横断的に照合できる人間はこの王都に何人もいない。書簡を送ると几帳面な細かい文字で返事が来る。訂正がない。行間が均等だ。その返事にほぼ例外なく有用な情報が一行だけ余分についてくる。それが意図的なものかどうかはまだ判断できていない。


 もう一つは霜市場の情報屋。こちらは書簡より直接会った方が早い。ヤニクという名で呼ばれているが、それが本名かどうかも確かめたことがない。確かめる必要がないと考えている。必要な情報を正確に持ち帰る人間の名前の出所は今のところ重要ではない。


 問題は、アンセルムは記録院の外を好まず、ヤニクは屋敷に近づきたがらないことだ。


 どちらもそれが「正しい習性だ」と私は考えている。自分の生態に正直な生き物を無理に動かそうとする方が効率が悪い。こちらが合わせる方が速い。


 書簡を書き始める前に、もう一度整理した。


 グロワール子爵は晩年、財政悪化を抱えていた。次男が「魔法によるすり替え」を主張している。次男の確信はソフィーによれば本物らしい。「言い張って」という言葉を使ったということは、それだけの力がある主張だ。兄弟が白廊で接触し、長男がなだめる側だったというのは、告発の動きが既に実際の場に出てきていることを示す。長男は止めようとしている。なぜ止めるのか? 「告発に意味がないと知っているから」か、「告発されると困る何かがあるから」か。両方かもしれない。


 宝石の真贋は見なければわからない。


 見るためには宝石が手元に来なければならない。宝石が手元に来るためには信頼できる媒介が必要だ。


 ソフィーに頼むという選択肢が一つある。


 エドガー・ド・グロワール。長男は白廊での様子から判断して、騒ぎを大きくしたいわけではない。告発を制止しようとしている人間は「鑑定の相談」という名目を断りにくい。ソフィーはそういう橋渡しが得意だ。情報の精度は低いが、人を繋ぐ速度は速い。


 書簡の書き出しを考えながら、窓の外に目をやった。


 中層街の灯りが一つ消えた。夜が少し深くなる。雪の光がわずかに白さを増した。


「グロワール家は財政に問題があった」。父はその先を言わなかった。「詳細は知らん」。それは事実だろう。しかし父がその情報を「どこかで聞いた」という事実はある。誰から聞いたか? いつ聞いたか?そちらの方がむしろ有用かもしれない。


 今夜は訊かない。


 父に直接訊くことは今の段階では得より失が多い。父は情報を与えながらこちらが何を考えているかを測る。それが父の習性だ。もう少し手元の材料が揃ってからの方がいい。


 ラマール子爵の件は、今夜は置いておく。


 日付の矛盾と扇が見せた綻び。あの件はグロワール家の件が片付いてから改めて手をつける。順番の問題だ。忘れたわけではない。


 羊皮紙を一枚、机の上に広げた。


 書き始める前に一度だけ止まった。


 アンセルム・ノワレへの書簡。グロワール子爵家の財政記録の照合依頼。丁寧な文章が必要だ。記録院の人間は手順を踏まれることを好む。いきなり核心を頼むより文書の形式を整えた方が返事が早い。経験から補正した結果だ。


 書き出しを決めた。インクを取り一字ずつ書く。羊皮紙に文字を置く音が部屋の中でひそかに続く。


 窓の外で風が鳴り始めた。


 明日、霜市場へ行く。

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