第39話 粉の正体
商館を出てから、まっすぐ屋敷に戻った。
粉が、まだ指の感覚に残っていた。
実際には紙に包んで外套の内側にある。すでに屋敷に戻り、外套も脱いだ。手には何もない。それでも床の隅で膝をついたときの感覚がある。白っぽい軽い粉が指の腹に触れた質感が、まだそこにあった。
記憶の中の感触を、ミラヴェルは一度だけ確認して、先に進んだ。
机の上に、紙包みと帳簿の切れ端を並べた。これが今日手に入れたもの全部だ。どちらも、このままでは何も証明しない。証明するためには次の手が必要だ。設計するためには今日のうちに確かめておくことがある。窓の外はまだ昼の光が残っていた。今日中にできることは、まだある。
書庫に行く前に、廊下でフェリクスと行き合った。
兄は非番らしく、外套を着ていなかった。ミラヴェルが書庫の方向に歩いているのを見た。
「今日、どこに行っていた?」
「用事がありました」
「霜市場か?」
一拍、間があった。
「そうです」
「……分かった」
フェリクスの目が、一度だけ書庫の方向を見た。何かを確かめるような視線だった。
フェリクスは何も足さず、廊下を引いた。なぜ分かったのか、どこで知ったのか、ミラヴェルは聞かなかった。聞く必要がある問いではないと判断した。
書庫は一階の奥にある。
四面を棚が囲んでいて、天井まで文献が詰まっている。父の書斎の扉に鍵がついているのとは対照的に、書庫の扉には鍵がない。入ろうと思えばいつでも入れる。この家の誰もがそれを知っているが、書庫に来るのはミラヴェルだけだ。
棚の分類は、母が整えたままになっている。背表紙の角度が、揃っていた。並べた人の癖が、何年経っても棚に残っている。
金属素材の項を引いた。合金の性質に関する文献、各国の製造記録の覚書、鑑定士向けの素材一覧。ヴォワール家が「鑑定の家」であることの痕跡が、この棚の並び方に残っている。必要な文献を三冊抜き出した。床に積んで、隣に座って読んだ。
紙の匂いが、書庫特有の乾いた匂いと混じっていた。ページを繰るたびに、かすかな埃が舞う。夏の書庫は空気が少し重く、集中するには悪くない。
白色系の合金。軽い。融点が低い。加工が容易。こうした性質を持つ素材のうち、偽造金貨の「芯」として過去に用いられた記録があるものを拾い上げると、候補が五つ出た。そこから王宮の調達経路で入手できるものに絞ると、三つになった。
今日床の隅で確認した粉の重さ、色の白さ、質感、粒の細かさ。それぞれと照合すると、二つになり、一つになった。
仮説として確定に近い。
しかし確定ではない。自分の手と目だけでは届かない場所がある。アンセルムに頼む必要がある。それは最初から分かっていたことで、今日書庫に来たのはアンセルムに頼む前に自分で絞れるだけ絞っておくためだ。渡す情報の精度が高いほど、返ってくる結果が早い。
文献を棚に戻して、書庫を出た。
自室に戻り、机の前に座った。お茶を一杯用意した。窓の外で、夕方の光が傾き始めていた。
アンセルムに依頼することを三つに整理した。
一つ。この粉の成分と、偽造金貨の芯材として文献に記録されている素材の照合。二つ。ムーラン子爵が統括する王宮調達部門の支払い記録の確認。三つ。帳簿の切れ端の書式が、王宮調達部門の内部書式かどうかの確認。
三つを一度に告げることにした。
以前は段階的に頼んでいた。一つ結果が出てから次を告げる。それには理由があった。何を求めているかを一度に全部見せると、アンセルムが情報の扱いに困る場面があった。今は違う。アンセルムとの間に積み上がったものがある。三つを一度に渡しても、処理の順番は向こうが判断できる。
書簡を書きかけた。
止まった。書簡ではなく直接行く方がいい。これは第三章で確認した判断だ。紙の上に書けることと、直接届けられることの間には、埋まらない差がある。
ペンを置いた。
ただ、その前に。
考えておくことがある。
情報屋に危険が及ぶのは、珍しいことではない。
それはこの仕事の性質上、避けられない。
ヤニクもそれを承知している。はずだ。
しかし。
ナタンが消えたのは「断ったから」だ。
ヤニクはナタンの件を私に報告した。
それはすでに「知っている」に等しい。
……これを先に処理しておく必要がある。
考えを置いて、目の前のお茶に戻った。
お茶を一口飲んだ。
苦かった。
温度の問題ではなかった。適切な温度で入れてあった。それでも苦かった。「二、三、確認してみます」と言って通りに出て行った背中が、頭の中に出てきた。出てきたものを、ミラヴェルは一度だけ確認して、横に置こうとした。
うまくいかなかった。
苦いお茶を机の端に置いた。明日の朝、記録院へ直接行く前に、もう一つ確認しておくことがある。ヤニクに対して何をするか。「先に処理する」と考えたが、何をもって処理とするかが、まだ決まっていない。
これは今夜、決めておく。
窓の外はすでに暗くなっていた。
翌朝、記録院へ直接行った。アンセルムは第三書庫にいた。




