↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スミレ色の鑑定眼  作者: 猫じゃらし
第四章 金の契約
34/63

第34話 七年目の夏

 庭の手入れは、まだ誰もしていない。

 母が死んでから七年目の夏だ。


 七年が経てば木は伸び、草は入り組み、手入れされた庭とそうでない庭の差が、誰の目にも明らかになる。それを、誰もしていない。私も。父も。兄も。


 これは単なる事実だ。

 そこに何かの意味を読む必要はない。


 六月の光は、真上から落ちる。


 四月の朝の光は石畳を斜めに撫でて白く光らせていたが、六月はそうではない。影が短い。正午を待たずに水気が飛び、運河を抜けてくる風にも湿り気がなかった。春に戻ってきた水鳥たちは、もうどこにもいなかった。六月の運河は、鳥が去った後の沈黙を水面に張っている。


 ヴォワール家の庭を、窓から見下ろした。


 四月にほころびかけていた紫の低木の蕾は、もう花を過ぎていた。小さな緑の実が密に集まって、枝の重さをわずかに変えている。誰も手を入れていない木は、今年も誰に頼まれたわけでもなく、自分の判断で枝を伸ばし、実をつけた。庭師を呼べば一日で片付く作業量だ。それを、誰もしなかった。


 扇を一度開きかけた。


 閉じた。


 今日は、まだ見なくていい。


 六週間前に終わった仕事の余韻が、今もどこかに薄く引っかかっている。マルグリット・ド・フォンテーヌは庭を歩いているとソフィーが言っていた。ランベール家への参照記録は記録院に届き、婚約の条件変更は取り下げられた。記録しないことにした、という選択の輪郭だけが今もわずかに残っているが、今日はその扉を開かないと決めていた。


 今日はまだ六月だ。



 夕食の席は、いつも三人だった。


 父エティエンヌが上座に座り、フェリクスが向かいに座り、私がその間に座る。父と兄の間で話が行き来し、私は料理を適切な量だけ取り、適切な頃合いに相槌を打つ。この構造には七年間、変化がなかった。


 その夜も同じ構造で始まった。父が葡萄酒のグラスを一度傾けてから、何気ない口調で言った。


「ムーラン子爵が最近、霜市場の周辺を視察しているらしい。王宮調達部門の管轄外の地域だがな。……あの男はヴァランが信頼している人間だ。ヴァランが信頼している人間が、本来の管轄外で動くときは、何かを始めようとしているか、何かを隠そうとしているかだ。どちらかは、私には分からない。」


 父はそれ以上言わなかった。葡萄酒をもう一口飲み、料理に視線を戻した。


 少し間があって、フェリクスが続けた。


「霜市場、最近近衛の私服が増えてる。公式の巡回じゃない。おれの班には連絡が来てない。誰かが非公式に頼んでいる。……まあ、内部の問題ならおれたちの管轄外だが。」


「そうでございますか」


 私はそれだけ答えた。フェリクスが、少し間を置いてから言った。


「……気になるのか?」


「いいえ」


「そうか」


「ええ」


 フェリクスは何も言わずに、自分の皿に目を戻した。


 父を見た。父は「管轄外で動く人間」という政治的な異変を正確に嗅いでいた。兄を見た。兄は「非公式の私服」という現場の変化を精確に持ち帰っていた。二人の口から同じ「霜市場」という場所が出て、同じ「管轄外」という言葉が出た。父のそれは地理を指し、兄のそれは組織を指している。二つが、同じ方向を向いている。


 可能性だ。今は証拠ではない。



 自室に戻った。


 窓の外に庭がある。夜の中でも緑の実の輪郭が薄く見えた。


 お茶を一口飲んだ。


 正しい温度だった。しかし今夜は、味が薄く感じた。


「霜市場」「ムーラン子爵」「非公式の私服」。三つの情報を、頭の中に並べた。隣に置いたとき、接続線が引けるかどうかを確かめる作業だ。細い線が一本、引けそうだった。しかしそれは証拠にならない。予感を証拠と混ぜてはいけない。


 明日、確認する。


 窓の外、手入れされていない庭の木の影が地面に長く伸びていた。七年目の夏だ、ともう一度、頭の中で繰り返した。



 翌朝、ヤニクが来た。いつもより少し早い時間に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。