第33話 記録しないことにした
数日が経った。
結果は静かに来た。
フォンテーヌ家の侍女からソフィー経由で報告が届いた。マルグリットの部屋の扉に、外から鍵がかかっていない。廊下を自由に歩けるようになっている。侯爵夫人が昨日、侍女に何も言わずに鍵を外した。それだけの報告だった。
「何も言わずに鍵を外した」という点を、少しの間考えた。説明なし、謝罪なし、理由なし。ただ外した。それはフォンテーヌ侯爵夫人が何かを察したということだ。あるいは侯爵本人から指示があったのかもしれない。
どちらにせよ、外側から圧力がかかった形跡は見えないところにある。ランベール家への手紙が届いたのが三日前だ。その後に外れた。時間の順番は符合している。
結果は静かに来た、と思っていたが、正確に言えば結果は来ていない。変化が来た。鍵が外れたこと、申請が取り下げられたこと。それらは変化だ。結果はもう少し先にある。
マルグリットが自分の足で社交の場に戻るかどうか。あるいは戻らないことを自分で選ぶかどうか。その先まで、私の役目ではない。
翌日、もう一つ届いた。婚約に関する覚書の修正申請が取り下げられた、という記録が記録院に入った。アンセルムからの短い連絡だった。「お知らせいたします」の一行だけ。
その一行を、二度読んだ。二度読む必要はない。内容は一度で入っている。しかし二度読んだ。それから次のことへ進んだ。
マルグリットは社交の場に戻っていない。体調不良という説明が続いているかどうかは、今のところわからない。ただ、ソフィーが最後に付け加えた。屋敷の庭を一人で歩くようになったそうです、と。
ソフィーは報告を終えると少しの間黙った。
窓の外を見た。それからこちらに顔を向けた。何かを言う前の、準備をしている顔だった。ソフィーがこういう顔をするとき、次に来る言葉は短い。短い言葉ほど準備の時間が長い。
「ありがとう、ミラヴェル」
その言葉を受け取るまでに、少し時間がかかった。
「ありがとう」という言葉を聞いたことがないわけではない。仕事への謝礼、依頼の後の礼儀、形として交わされる感謝なら、数えきれないほどある。しかしそれらとは、何かが違う。
これは——社交的な礼儀としての感謝ではない。ソフィーが、私個人に向けて言っている。この感覚を、私はどう分類すればいいのか。……わからない。わからないという事実を、今回は記録しないことにした。
扇を持っていた。手の中で知らないうちに少し握りが変わっていた。
いつから変わっていたのかは、わからない。「ありがとう」の前か、後か。あるいはソフィーが部屋に入ってきた瞬間からか。確認するためには「ありがとう」を聞く前の状態に戻る必要があるが、それはできない。
ソフィーがそれを見た。
見た、とわかったのは、ソフィーの視線がそこへ向いた後に、また顔に戻ってきたからだ。一秒に満たない時間だった。ソフィーは何も言わなかった。言わなかったことで、見えていた、ということがわかった。見えていて、言わないことを選んだ。その選択が、この部屋の中に静かに置かれた。
「お礼はソフィーが動いてくれたからです。私はただ、記録を預けただけです」
言いながら、その言葉が完全に正確かどうかを確認しようとした。記録を預けた。それは事実だ。ただ、それだけではなかったかもしれない。そのただし書きを、今すぐ言葉にする必要があるかどうかを判断しようとして、止めた。
ソフィーが笑った。
「うん」と言った。それだけだった。
信じていないのではない。もっとよく知っている、という笑い方だった。「記録を預けただけです」と言うことを、ソフィーはあらかじめ知っていた。知っていながら、それを遮らなかった。言わせた。その上で、「うん」と言った。
その笑い方に、以前に会ったことがある。どこで会ったかは、今は確認しない。確認すると、別の何かに繋がる。今日はそこまで行かない。
ソフィーが帰っていった。
廊下を歩いて、玄関に向かう足音がしばらく聞こえた。急いでいない足音だった。来たときのソフィーは急いでいることがあった。帰るときは急がない。その違いを、以前から知っていた。今日改めて聞きながら確認した。
扉が閉まる音がした。音が消えた。
応接間に一人で残った。いつもより部屋が静かな気がした。ソフィーがいた場所が、空気の質として残っている。そういうことが起きることを、今日初めて知った。
窓へ行った。
四月の光が窓を透かしている。昼を少し過ぎた時間の光で、角度はまだ斜めになっていないが、朝の直角の光より少し柔らかく広がっている。庭が見えた。
灌木の枝の先に、ほころんだものがあった。
紫の蕾だった。四月の初め、硬い突起が整然と枝の先に並んでいたのを窓から見た。あれがいつの間にか一つだけ開いていた。いつほころんだのかはわからない。見ていなかった。
「春になると、綻びが増える」。四月の初めにそう思った。
綻びとほころびは同じ字だが、意味が違う。
綻びは何かが解れることだ。ほころびは何かが開くことだ。解れることと開くことは、見た目が似ていても、方向が違う。
灌木の蕾が解れたのではなく、開いた。
その違いに、今まで言葉を持っていなかった。持っていなかったというより、考えようとしていなかった。今日、一輪を見ながら、初めてそれが気になった。
窓の内側に立ったまま、庭を見ていた。庭の向こう、塀の向こうには、フォンテーヌ家がある。さらにその向こうには、マルグリットが今一人で歩いている庭がある。見えない。しかしある。
マルグリットは庭を歩いている。
まだ、窓の内側にいる。
どちらが先に外に出るかを、競っているわけではない。ただそういう配置になっている。それだけを見て、言葉を与えなかった。
何かが動いた。それだけは確かだ。
春の光が、庭の灌木の上に落ちている。ほころんだ一輪が、その光の中に、白い粒のように光っていた。
見ていると、蕾の縁に、かすかな滲みが走った。
光のせいだと思った。あるいは目の疲れだ。四月の間、扇を何度開いただろうか。夜会で、白廊で、応接間で、フォンテーヌ家の廊下で。使うたびに、日常の輪郭に何かが残る。今夜は軽い、と以前に処理したことがある。今日は、軽いとも言いきれない。
滲みは消えた。蕾はただの蕾に戻っている。
紫だと思っていたが、光の中では白に見えた。
どちらが正しい色かは、光の当たり方によって変わる。正しい色が一つではないことは、もともと知っていた。ただ今日、庭の一輪を見ながらそれを思った。
扇は閉じている。
それが何を意味するのかは、今日のところは記録しないことにした。




