第16話 鍵の在処
「奥様。書斎の鍵は、今どこにありますか」
声を落として言った。廊下へ向かった父の足音はまだ遠かった。
クレールが振り向いた。ミラヴェルは立ち上がらずに、椅子のまま向き直った。質問の意図を測るような間があった。クレールの目が細くなった。怪しんでいるのではない。何を言おうとしているかを考えようとしている目だ。
ミラヴェルは何も加えなかった。説明は後でいい。
「ルシアンが持っています。息子が」
「書斎を最初に開けたのは、ルシアン様ですか?」
「……はい。私より先に」
ミラヴェルは扇を膝の上で静かに持ち直した。夫が死んで、妻より先に息子が書斎の鍵を開けた。鍵を持っていた。あるいは、見つけることができた。
どちらにせよ、書斎の中を最初に見た人間がいる。何があったかを最初に知った人間がいる。
「そうですか」
それだけ言った。
「奥様。後日、鑑定のご相談として、お屋敷に伺わせていただいてもよろしいでしょうか。正式な形で」
クレールの表情が変わった。「鑑定、というのは?」
「ご主人の書斎を確認したいと思っています。ただし、ご家族のどなたかのご同席が必要になります」
クレールが少し考えた。何を確認したいのかという問いが表情に出たが、声には出さなかった。信頼から答えを出したわけではない、という顔だった。今のところ他に頼れる場所がない、という判断の顔だ。
「……わかりました」
クレールが頷いた。
廊下の足音が近くなっていた。時間がなかった。ミラヴェルは立ち上がって、クレールに向けて短く礼をした。
クレールが立ち上がった。帰る準備をしながら、一度だけミラヴェルを見た。何かを言いかけて、言わなかった。
ちょうど扉が開いて、父が入ってきた。父がクレールを見送るために一歩引いた。その間に、ミラヴェルは元の椅子に戻った。
使用人がクレールを玄関まで案内する声が、廊下を遠ざかっていった。
父が応接間に入ってきた。
扉を閉め、立ったまま部屋の中を見渡した。そうするとき、父はいつもまず部屋の壁際から目線を始めて最後に人物に落とす。見えているものを先に確認してから、人間を見る。政治家の習慣だろう。
「何か分かったか?」
「少し調べてみます」
「調べるというのは、どういう意味だ?」
「記録を確認したいことがあります」
「……記録、か」
父が窓の方に歩いた。座らなかった。庭を一度見た。三月の庭はまだ何も咲いておらず、枯れた茎が土から出ているだけだった。その庭を少し見て、それからミラヴェルの方を向いた。
「ミラヴェル。これは政治的に難しい。お前が首を突っ込む……」
そこで父が止まった。
ミラヴェルは椅子から動かなかった。父の横顔を見ていた。「首を突っ込む」の先に続くはずだった言葉が、出てこなかった。出てこないまま、部屋が静かになった。窓の外の枯れ茎が風で小さく揺れた。
父がゆっくりとミラヴェルの方を向いた。娘の顔を見た。
何かを測っているのか、何かを諦めているのか? 今日の父の目はどちらか読めなかった。笑っているわけでもない。困っているわけでもない。ただ、何かを言いかけてやめた人間の顔だった。
「……まあ、女の勘というものは侮れないものだな」
ミラヴェルは何も言わなかった。
「女の勘」という言葉が浮いたまま部屋の中にある気がした。否定するための言葉なら出てくる。しかし今、否定を返すのは違う。肯定も違う。適切な返しが手元にないとき、ミラヴェルは答えない。それが今夜だった。
父が先に部屋を出た。扉が静かに閉まった。
ミラヴェルはしばらく、扉の閉まった方を見ていた。父が何を言いかけて止まったのか? 止まった後の間に何があったのか? 今夜の父からはまだ読めなかった。わかることと、まだわからないことがある。わからない方は今夜は置いておく。
夜、自室の机の前に座った。
昼間の手帳を開いて、「クレール:後日の訪問・承諾」「鍵:ルシアンが所持」という二行を書き加えた。書き終えて、羽ペンを取り出した。別の紙を引いた。
「アンセルム・ノワレ殿」と書いた。一行書いたところで、止まった。
一月の依頼は書簡で出した。「グロワール家の宝石に関する文書の確認」という内容で、返答も書簡で来た。その方法は問題なかった。しかし今回は違う。「マルタン男爵が担当していた帳簿の記録を確認したい」という内容を書簡に書くと、その書簡自体が証拠の一つになる。記録として残る。今の段階で何を記録に残すかは選ばなければならない。
書き方を選んでいる時間があるなら、直接行った方が速い。
それだけのことだ。
書きかけた紙を引き出しに入れた。羽ペンを置いた。
手帳の二行を見た。ルシアンが鍵を持っている。書斎を最初に開けた。書斎の中に何があったかを知っている。その事実は変わらない。記録院で帳簿の範囲を確認した後、この事実と照合する。順番を違えない方がいい。
明日、記録院へ行く。直接。




