第15話 綻びのない嘆き
使用人がクレール・ド・マルタンの来訪を告げたとき、ミラヴェルは書斎で手帳の余白を確認しているところだった。
来ると思っていた。
正確には「来るか来ないか」ではなく「いつ来るか」の問いだった。三週間前に夫が死に、呪いの認定が進みかけている状況で、「鑑定の家」の存在を知れば動く可能性はある。
来なければ別の入り口を使うつもりだったが、その必要はなかった。手帳を閉じ、応接間へ向かった。
廊下を曲がったところで父の声がした。
父はすでに来客の前に立っていた。先に客間へ通してしまったらしい。政治的な嗅覚で何かを感じているとき、父は相手を迎えに行く前に少し時間を取る。
今日はそれをしていない。迷いながら出てきた、という足取りだった。
応接間に入ると、クレールはまだ立っていた。
外套はすでに脱いでいた。濃い藍色の服で、袖口に細い黒の縫い取りがある。喪中の装いだ。
年齢は四十代の後半に差しかかっているくらいだろう。体つきは中肉で、背中が少し内側に入っていた。長い時間をかけて縮こまってきた人間の姿勢だ。一週間や二週間でそうなる背中ではない。
目が赤かった。最近泣いたのとは違う赤さで、何週間も続いている充血だった。
「失礼します」とミラヴェルが言うと、クレールが振り向いた。表情が硬い。怒っているのではなく、怒りと悲しみと困惑が一か所に押し込められて、どれも出口を見つけられていない表情だ。
「ミラヴェル」と父が言いかけた。声が低かった。
「少し聞かせていただけますか?」
父の方は向かず、クレールに向けて言った。父が止まった。クレールが小さく息を吸い込んで、ミラヴェルを見た。
ミラヴェルはソファを勧め、自分は少し離れた椅子に腰を下ろした。扇は持ったまま、膝の上に置いておく。
「何から申し上げればいいか」とクレールが言った。
「順番はどこからでも構いません」
クレールが話した。
夫のマルタン男爵が亡くなったのは三週間前のことだ。自室で倒れているところを使用人が見つけた。医師は心臓発作と診断した。夫に持病があったことは確かで、ここ一年は体の調子が波打っていた。発作が起きても不思議ではない状態だったと、医師は言った。
しかし、それだけでは説明のつかないことがあった。
「亡くなる三日前から、書斎に鍵をかけるようになりました。それまでに一度も、そんなことはありませんでした。」
「ご結婚から何年になりますか?」
「十八年です」
「その間、一度も」
「はい。一度も。鍵がなかったわけではないんです。書斎の扉に錠前はありました。でも使ったことがなかった。それが突然。わたし以外の誰にも、書斎には入れないようにして」
クレールは手を握り直した。
「何かに怯えている様子もありました。食事が喉を通らないと言っていて、夜中に物音がすることもあって。でも何かお聞きしようとすると、大丈夫だと言うだけで。もう少し」
そこで止まった。
「もう少し気にかけていれば、と思っています」
ミラヴェルは何も言わなかった。クレールの言葉が少しの間、部屋の中に残った。
その後、クレールはオベール神父が「呪いによる死」の認定を大助祭ジルベールへ上申しようとしていることを話した。
補償が出るからというわけではない、ただあの怯え方は心臓の持病だけで説明がつかない、何かが夫をあのような状態にしたのだ、とクレールは言った。
声が少し高くなっていた。その「何か」に名前をつけたかった、という切迫が声の端にあった。
ミラヴェルは聞きながら、扇を開いた。
クレールの声が、少し遠くなる。視野の端が変わった。クレールの全体が同時に届いてくる。服の端から、声の揺れ方から、手の置き場所から。
淀みがなかった。
どこを探しても、引っかかりが出てこなかった。嘘の輪郭も、隠している何かの形も、見えなかった。均された布の地目のように、表面の全体が一続きだった。話す声も、手の動きも、視線の向け方も、どこにも段差がない。
この人は、本当のことを話している。
扇を閉じた。クレールは気づいていなかった。
「一つ確認させてください。書斎に鍵をかけるようになったのは、亡くなられる三日前から、ということでよろしいですか?」
「そうです」
「その間、ご主人が何かをおっしゃっていたことは?」
「何も。何も言ってくれませんでした」
声が変わった。怒りではなかった。何も言ってくれなかったことへの、言葉にならない感情だった。
「わかりました」
それだけ言って、ミラヴェルは少し間を置いた。
父がソファの後ろに立っていた。視線を感じた。
今この案件に踏み込むことへの懸念と、娘が何かを判断しようとしていることへの、どちらとも言えない目だった。
政治的な重さを嗅ぎ取っている。しかしその重さが何に繋がっているかは、父にはまだ見えていない。見えないから動けない。それがこの人の限界だ。
ミラヴェルの頭の中には、一点だけ引っかかりが残っていた。
書斎に鍵をかけた。十八年間、一度もなかった行動が、死の三日前に現れた。
なぜ、その日から?
隠したいものがあったのか?
あるいは、守りたいものがあったのか?
二つは違う。隠すのは自分のためだ。守るのは誰かのためだ。動機の向きが逆を向いている。
どちらかはまだわからない。しかし、その答えは書斎の中にある。書斎には鍵がかかっていた。鍵の所在を知っているのは、今ここにいるクレールだ。
父の足音が廊下に向かった。お茶を追加で頼みに行ったのだろう。足音が扉の向こうに遠ざかっていく。
父が席を外した。今しかない。




