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スミレ色の鑑定眼  作者: 猫じゃらし
第二章 灰の証言
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第14話 机の上の書類

 朝の光は、夜と昼の中間にある。


 夜が明けて一時間ほどの三月の朝は、まだ柔らかい灰白色をしている。

 太陽の位置が低く、光が斜めから差し込むので、部屋の角に影が長く伸びる。午後の光とは種類が違う。


 午後は輪郭を照らす。朝は奥行きを削る。この時間帯に書類を読もうとすると、字の細部が飛びやすい。だから私は朝食を済ませてから机に向かう習慣がある。食堂の窓は東向きで、朝食の時間帯は光がそのまま差し込んでくる。それだけは都合がいい。


 父はすでに出ていた。


 夜明け前に馬車の音がして、使用人が戸口で見送る声がした。王宮への出仕は朝が早い。


 昨夜の夕食でこれ以上の情報が来なかったことは確認済みだ。「帳簿の一部を担当していた」という一文が、父から引き出せる情報の上限だったと判断していい。


 私は朝食の席に着いた。


 フェリクスはまだ戻っていなかった。夜番明けは引き継ぎに時間がかかることがある。パンを一枚切って、お茶を一口飲んで待った。


 兄が戻ってきたのは、私がパンを半分食べたあたりだった。


「おう、まだいたか」


 外套を椅子に掛けながら言った。夜番明けにしては顔色が悪くない。姿勢だけが、非番のときと変わらない。


「いました」


「父上は?」


「もう出られました」


 兄が席に着いた。使用人がパンと温かい飲み物を運んできた。兄は外套も脱がずに飲んだ。夜番明けは体が冷えている。毎回そうする。


 しばらく沈黙があった。


「今夜も当番ですか?」と私が聞いた。


「明後日まで続く。昨夜は遠回りした。マルタン邸の周辺も回ったぞ」


 私は何も言わなかった。パンを一口食べた。


「なんか最近ざわついてる地区だからな」と兄が続けた。「現場は封鎖されてる。封鎖前に確認に入ったが、特に荒らされた様子はなかった。机の上に書類が広げたままになってたのは気になったけどな」


 それだけ言って、兄は飲み物を半分まで口に運んだ。


 続く気配はなかった。窓の外に目をやって、今夜の巡回のことを考えているらしかった。


「一人で出るか? 今日」


「少し考えています」


「一人で遠出するなら言ってくれ。都合をつける」


「必要になったら」


「……そうか」


 兄がパンを手に取った。それ以上は何も言わなかった。聞かなかった。その「聞かない」の理由は、信頼からか遠慮からか、今朝の兄の顔では判断できなかった。



 食後、私は自室へ戻った。


 昨夜整理しかけた書類を端に寄せて、手帳を開いた。


 父は「政治的な匂い」を嗅いだ。

 兄は「現場の状態」を持ち帰った。

 しかし二人とも、その二つを繋げていない。

 机の上の書類と、政治的な揉み消しの間にある距離を、

 誰も測っていない。


 三つの情報が揃った。


 ソフィーが持ち込んだのは「マルタン男爵の死と、呪いの主張と、オベール神父が大助祭への上申を進めようとしていること」。

 父が昨夜言ったのは「帳簿の一部を担当していたこと」と「揉み消したい者がいるかもしれないという政治的な読み」。

 兄が今朝持ち帰ったのは「現場が荒らされていないこと」と「机の上に書類が広げたままだったこと」


 三点はまだ一本の線で繋がっていない。しかし三点が揃ったことで、欠けているものの輪郭だけは見えてきた。


 欠けているのは「帳簿の詳細な範囲」と「なぜ机の上に書類が残っていたのか」


 急死した人間の書斎に残る書類には、大きく分けて二つの状態がある。

 一つは、作業の途中で倒れたために残った書類だ。最後まで読んでいたもの、書きかけていたもの。

 もう一つは、誰かに見せるつもりで、あるいは見せた後に、意図的に机の上に置かれた書類だ。


 後者が成立するなら、マルタン男爵には死の前後に、何かを共有しようとした相手がいたことになる。しかし現場は封鎖されており、書類の中身は今の段階ではわからない。どちらの状態だったかを判断するには、もう一つ情報が必要だ。


 クレールに会う方が先だ。


 アンセルムへの問い合わせより、クレールを先にする理由がある。


 クレールは夫を最後に近くで見ていた人間だ。夫が何に怯えていたか、書斎に何があったか、鍵をかけるようになったのはいつからか。

 その話を先に取ってから記録院へ行く。担当していた帳簿の範囲を調べるとき、クレールの証言と照合できれば、アンセルムへの問いの立て方が変わる。問いの立て方が変われば、返ってくる情報の密度が変わる。


 手帳に書き付けた。最初にクレールに会うこと、次いで帳簿の担当範囲をアンセルムに確認すること、書斎の鍵の所在を把握すること、オベール神父の上申の進行状況を確認すること。四行で収まった。


 見直した。順番を変える必要はなかった。書いた順番のまま動けばいい。ペンを置いて、書類の束を整えた。動作の順番が決まると、手が速くなる。それだけのことだ。


 問題は、クレールをどうやって最初に呼ぶかだった。


 ヴォワール家は「鑑定の家」として知られている。クレールが「呪いかどうかの鑑定」を求めてこちらを訪ねてくる可能性は、はじめからあった。それを待つか、こちらから打診するか。待つ方が手間は少ない。しかし来ないまま時間だけが過ぎる可能性もある。


 その答えは、翌日に出た。


 クレールがヴォワール家を訪ねてくるのは、その翌日だった。

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