第13話 帳簿の一部
夜が来ると、ヴォワール家の食堂は蝋燭二本で灯される。
父の趣味だ。いつだったか「余分な明かりは食卓に向かない」と言っていた。
私がその根拠を尋ねると、「そういうものだ」と返ってきた。それ以上は展開しなかった。
伝統の根拠を尋ねると「そういうものだ」という返答が来る確率は、私の経験では概ね八割を超える。食堂の外の廊下には灯り台がある。食堂の中は二本だけだ。端の方は暗い。
父は今夜も遅かった。
書斎から食堂まで、歩けば一分もかからない。
しかし父は、食事の直前まで書斎にいる習慣があった。席についてからも、内側の胸元に何かが入っている感じがするとき、必ず書類を持ち込んでいる。
今夜は入っていた。上着がわずかに膨らんでいたから。食事の席に書類を持ち込むことについては以前に一度指摘した。
父は「気になるか?」と訊いた。「気になりません」と私は答えた。
それ以来、父は書類を折りたたんで内側に入れてから席についてくる。形式を守ることで不満を解消しようとする傾向がある。政治家の習慣だろう。
フェリクスは今夜、夜番だった。
「最近、ソフィー・ド・カルヴェが来ているようだな」
スープを運んできた使用人が戻った後、父が言った。視線は手元の匙に向いたままだった。
「はい」
「若いご令嬢同士の交流は大切なことだ」
「はあ」
「……お前は興味がないか?」
「交流に関しては、特段」
父が少し目を細めた。笑っているのか何かを測っているのか、その顔では区別がつかない。匙をスープに戻した。
「マルタン男爵が死んだのは知っているな。奥方が呪いだと騒いでいるらしい。……厄介な話だ。マルタンは王宮の帳簿の一部を担当していた。誰かが揉み消したいと思っても、不思議ではない状況ではある。」
それだけ言って、父はまた手元に戻った。
私も何も言わなかった。
「明日は王宮へ行かれますか?」
「午前中は行く」
「お戻りは?」
「昼には戻る。何かあるか?」
「いいえ」
父はそれ以上聞かなかった。追わない。これも父の習慣だ。娘から情報が来なければ、それ以上は踏み込まない。踏み込まないのが優しさだと思っている節がある。
あるいは、踏み込んで何が出てくるかを知ることを、父自身が避けているのかもしれない。どちらかまでは、今夜の父の顔からは読めなかった。
夕食は静かに終わった。
食後、父は書斎に戻った。私は二階の自室に上がった。
机の上に昼間の書類がある。ソフィーが来る前に途中まで整理していたものだ。端から揃え直しながら、今夜の情報を並べた。
今日入った情報は三点ある。
ソフィーが持ち込んだのは「マルタン男爵の死と、呪いの主張と、オベール神父が大助祭への上申を進めようとしていること」。
父が今夜言ったのは「マルタン男爵が王宮の帳簿の一部を担当していたこと」と「揉み消したい者がいるかもしれないという政治的な読み」。
クレールはまだ直接会っていない。彼女が持っている情報の中身はまだ手元にない。三点は今のところ接続できていない。
使える情報が一つある。
「帳簿の一部を担当していた」。父はこの言葉を、よどみなく言った。政治家がよどみなく言うとき、その情報は彼らの中で「既知」として処理されている。
父はマルタン男爵の職務の詳細を把握している。そうでなければ「一部」という言い方は出てこない。「帳簿に関わっていた」で終わるはずだ。「一部」という言葉は、担当範囲に区分があることを知っている者の言葉だ。父はその区分を知っている。そしてその区分の中に、問題があると嗅いでいる。
しかし「何が問題か」には到達していない。政治的な鼻は働いているのに、その先の物証に繋げられない。父の限界はいつもそこにある。
一月の事件のとき、情報は兄から来た。兄が現場を持ち帰り、父が政治的な意味を付け足し、ソフィーが社交的な噂を加えた。今回は父が先だ。父の方が先に口を開いた。
「帳簿の一部」の「一部」が何を指すのか?
王宮の会計帳簿は複数の担当者に分割されている。どの部分を担当していたかで、マルタン男爵が何を見ることができる立場にあったかが変わる。
それを確認できるのはアンセルムだ。記録院に問い合わせれば、担当範囲の記録は取れる。
ただしその前に、明朝の兄の話を聞いた方がいい。フェリクスは警備の巡回でマルタン邸の周辺も把握しているはずだ。現場の情報が加わることで、記録院への問い合わせの精度が変わる。遠回りに見えても、情報を重ねてから動く方が後の手が減る。
手順が見えた。
明朝、兄の話を聞く。それからクレールに会う。クレールに会ってから、記録院へ行く。その順番が今のところ最も無駄が少ない。変更するとしたら、明朝の兄の話の内容によってだ。
書類の束を揃えて端に置いた。
窓の外に月はなかった。三月の夜は一月と違って、暗さの質が少し柔らかい。雪が積もっていないぶん、夜が地面に馴染んでいる感じがある。馴染んでいても、まだ冷たいことに変わりはないのだが。
明朝、兄が何を持ち帰るかはわからない。
しかし持ち帰るだろう。




