新聞記者エルヴィス
フィフィは前置きなしで切り込んできた。
「裁判前に和解したいの」
それは普通の弁護士なら誰もが思うことだ。もちろん俺も。だがそう簡単なことじゃない。だから俺のような法廷闘争専門の弁護士がいる。
「和解の条件は?」
「そちらは婚約破棄に応じて慰謝料を支払うの。その代わりこちらは慰謝料の減額に応じるわ」
「依頼人の意向とはずいぶん異なるな。この場で同意はできない」
「金額を訊かないの?」
「依頼人は婚約の継続を望んでいるのでね」
「じゃあ依頼人を説得して。裁判で争ったらかえって損をするのよ」
こういう態度はお貴族様そのものだな。
ここまで自信満々ということは、俺の依頼人が嘘をついていることは把握していそうだな。あの気の毒な商人は原告側の証人として、いずれ法廷に引きずり出されるのだろう。
「もちろん依頼人には伝える」
「細かい条件はこれに書いてあるわ」
フィフィは大きめの封筒を俺の方に出してきた。俺はそれを手に取る。
「賢明な判断を期待しているわ」
その言葉は、これ以上ここで話し合うつもりはないという意思表示だ。そう悟って俺は封筒を持参した鞄に収め、席を立った。前フリが長い割には本題は呆気なく終わったものだ。
そこへ新しい紅茶を持った従者が戻ってきた。実に間が悪い。
「アルノエ、お客様がお帰りよ。お見送りして」
あたふたしている従者を横目で見ながら、俺は答える。
「実に貴重で有意義な時間でした、オルレード弁護士」
「私もです、マノワ弁護士。でも時間は有限でお互い多くの仕事を抱えている身。いつまでもこの楽しいひとときを続けるわけにはいきませんわ」
一方的に要求を突きつける側なら、そりゃ楽しいだろう。
「依頼人のため、共に世俗の問題に立ち向かうべき刻ですな」
まるで自分も貴族であるかのような言い回しに軽い自己嫌悪を覚える。
「そうですわね。向かう方向も同じだとよいのですが」
期待するのはそちらの自由だが、それに応える義務は俺にはない。
自分の事務所に戻ると裁判所からの通知が届いていた。それも合わせて状況を報せる手紙を依頼人に送る。手紙が到着したであろう日の翌日、依頼人は事務所にやってきた。
*
「マノワ先生、裁判になるんですか!?」
依頼人は俺の事務所に来るなり、開口一番そう訊いた。
「残念ながらサクローナ伯爵の意志は固いようです。先方の代理人は話が通じない相手でして、取り付く島もありませんでした」
露骨に肩を落とす依頼人。その前にクローディアは一番高いお茶を出した。
「クローディアくん、私にも淹れてくれないかな」
クローディアは無言でキッチンに戻った。
「これが先方が出してきた和解案です」
俺はフィフィから渡された封筒の中身を依頼人に渡す。読み進めるうちに依頼人の顔色が悪くなる。
「この条件を呑まなければいけないんですか?」
「そうと決まったわけではありません。裁判はまだ始まってもいません」
「……そうですよね」
キッチンから戻ってきたクローディアが俺の前に一番安いお茶を出した。ガチャンという音を立てて。自身への対応との差に依頼人が軽く驚いているが、俺はそれらを気にしない素振りで、お茶に口をつける。
「実はローラルド氏の商会を訪ねて、話を聞きました」
そう言ったら、依頼人の体がビクッと震えた。
「弁護士という肩書があっても、初対面の人間を信用するのは難しいでしょう。そういう依頼人は過去にも数多く見てきました」
「申し訳ありません」
依頼人は頭は下げなかったが、口先では謝った。衆民落ちが確定しているお貴族様らしい。
「先方の代理人は自信満々でした。おそらく相手もこの事実を把握している、そう考えた方がよいでしょう」
「……先生、もしかして手を引くつもりですか?」
依頼人が上目使いで見てくる。
「中には信義則を持ち出してそうする弁護士もいるでしょうな。私はこの程度ではそうはしませんが」
依頼人が露骨にホッとした表情を見せる。
「ただしお願いがあります」
「お願いですか」
一転して依頼人の表情に不安が走る。
「法廷では嘘はつかないでください。先方の代理人も裁判官も法廷のプロです。素人の嘘や演技は通用しません。嘘がバレたときは確実に負けます。訊かれなかったことは話さなくてよいですが、訊かれたことには正直に答えてください。たとえどんなに知られたくない事実でも、です」
「……わかりました」
「ご理解が早くて助かります。今日のところは帰っていただいて大丈夫です。必要なときは私から連絡を差し上げますので」
依頼人が帰ったところで、彼が手をつけなかったカップを手に取る。クローディアの蔑みの視線を無視して、来客用の高いお茶を冷めないうちに飲む。自分の物とはいえ、こんな機会でないと飲まないからな。
「◯月◯日(初公判の前日)は、ミリアナ・サクローナ嬢は友達とオペラを観劇する予定だったな」
急な話題の転換に、クローディアは少し眉をひそめた。
「ええ、モンルジュ劇場で『櫻姫』を友達と観る予定よ。派閥のブルーメル侯爵家の桟敷席で」
「確か貴賓席の隣だとか」
「そうよ。当日は王太子御一家も来られるから、みんな楽しみにしているわ」
「クローディアも?」
「もちろん」
「確かにそれは楽しみだな」
俺は椅子から立ち上がって、ハンガーに掛けてあるコートに手を延ばした。
「ちょっと知り合いに会いに行く」
「裁判関係?」
「いや、違うよ」
嘘は言ってない。後から偶然は起こりうるが。
俺が向かったのは新聞社だった。そこの受付で友人の記者を呼び出す。幸い友人は社屋におり、後日足を運び直さずにすんだ。
「なんの用だ、ガス」
友人のエルヴィスは俺の顔を見るなり、そう言った。
「久しぶりの再会だというのに、それか」
「おまえが訪ねてくるのは、用があるときだけだろう」
「違いない。近所に良いカフェがないか」
「それが用件てわけじゃないよな。いいぞ、ちょっと旧交を温めるために案内してやる」
カフェの個室に入り、注文を終えたところで用件を切り出す。
「◯月◯日に王太子御一家がオペラを観劇するのを知っているか」
エルヴィスは手帳を取り出して確認した。彼は王室や貴族を担当する記者だ。
「確かに予定ではそうなっているな。しかしおまえが王室関係の裁判を担当するのか? ちょっと信じられん」
「違うよ。確かにその翌日に公判があるが、王室関係じゃない。裁判とは直接関係はないが、劇場での取材について訊きたいんだ」
エルヴィスの俺を見る視線が変わる。記者が何かを嗅ぎつけたときの独特の視線だ。
「守秘義務があるから直接話せんのは理解している。だがあまり回りくどい質問はしないでくれ」
「忙しいのはこっちも理解しているよ。王太子一家の観劇は報道されるのか?」
「もちろん」
「写真付きで?」
「他に大事件がなければ一面か二面に載るだろうな」
「その写真に貴賓席の周囲の光景も写ったりするのかな?」
「もっと具体的に言ってくれ」
彼にしてみれば回りくどかったか。
「隣のブルーメル侯爵家の桟敷席とか」
エルヴィスは人差し指でこめかみを軽く叩いた。
「おまえさんが担当する裁判は?」
「サクローナ伯爵家とヴェルトリ子爵家の婚約に関する裁判だ」
「やはり悪役令嬢裁判か」
エルヴィスは邪悪な笑みを浮かべた。この手の裁判は衆民の興味を引きやすいということを、よく知っているのだ。
そのとき給仕が注文した品を持って個室に入ってきた。給仕がそれらをテーブルに置いて個室を出るまで会話を中断する。
「そうだな。ひょっとしたら桟敷席に両家のどちらかの人間がいて、たまたま写真に写るなんてこともあるかもしれないな」
エルヴィスはそう言うと、カップを手にとって、自分が注文した紅茶を口元に運ぶ。だが飲む直前で俺が注文したサンドウイッチを見て、手を止めた。
「お茶じゃなくて飯を頼んだのか」
「お茶はさっきたっぷり飲んだのでね」
俺はそう答えて、サンドウイッチを口に運んだ。




