徴税官吏フィゲロ・ヴェルトリ
ヴェルトリ氏は茶碗に口をつけると、口内を湿らす程度に飲んだ。
「私は子爵家の三男、ミリアナ嬢は伯爵家の三女で、どちらも家督を継げません。他家への嫁入りや婿入りも難しく、衆民になる前提でご縁を探していました」
「なるほど」
昨今の医療技術の目覚ましい進歩で、我が国の乳幼児の死亡率は大幅に下がった。そのため昔なら死んでいた子供も助かるようになり、我が国の若年人口は大幅に増加した。だがそのせいで、家督を継げずに衆民落ちする貴族の子供も大幅に増えた。来客の元カップルもそのパターンか。
昔なら裕福な商家にあぶれた貴族の子供を押し込むことは容易かった。子供の数が少なかったし、貴族の威光も価値が高かった。だが経済の自由化と産業革命の発生により衆民の富裕層が台頭し、彼らが稼ぐ資産が貴族が溜め込んだ資産に迫るようになった。つまり貴族のブランド価値が落ちたのだ。嫡男・嫡女以外の貴族の子供は、よほどの高位貴族でなければ衆民並みに就活や婚活をしなければならなくなった。
裕福な家と縁組できなければ、元貴族同士でくっつくというのは悪い選択肢ではない。嫡男・嫡女の婚姻には遠く及ばないが政略結婚の要素はあるし、衆民落ちの屈辱もある程度は紛らわせることができる。
来客は文官で、衆民の中間層として安定した生活が期待できる。サクローナ伯爵家の財政状況は知らないが、普通に考えれば衆民落ちする伯爵令嬢にとって、来客は優良物件だ。
「ヴェルトリ様は徴税官吏ですか?」
「ええ、そうですが、なぜそれを?」
「お名刺に所属部署が載っていませんでしたので」
税金を取り立てる徴税官吏は世間からの風当たりが強い。だから無用な軋轢を避けるため、名刺には所属部署を載せないようにしている。
「なるほど……詳しいですね」
「こういう仕事をしていますと、色々と世間のことには詳しくなりますもので」
徴税官吏は財務局の中でも出世コースのひとつだ。一部の金持ちの金に対する執着は、普通の人間の想像を絶するものがある。そんな金持ちがその才能を脱税に使うと、巨額の脱税事件が起きる。それを暴くのは容易なことではなく、徴税官吏には犯人を上回る有能さが求められる。
それに巨額脱税事件の摘発は、国家にとって重要だ。税収の確保という点ではもちろん、国民の政治に対する不満をそらすガス抜きという点でも重要だ。国は金持ちも貧乏人も公平に扱っていますよ、というアピールにもなる。
昔なら政府は貧乏な衆民の機嫌など取る必要はなかったのだが、今はそういう時代ではない。隣国の政変もきっかけは悪役令嬢事件だったが、それだけだったら王族と貴族の間のトラブルで終わって、革命までは行かなかっただろう。
要するに、来客は文官のエリート候補というわけで、結婚相手としては超優良物件といってもいい。
その後は来客は婚約に至った経緯(なれそめともいう)を語ったが、その大半は俺には要らない情報だった。弁護人としては裁判に関係ありそうな人物が誰かがわかればよかっただけなのだ。だがお貴族様の話を遮るとろくなことにならないので、営業スマイルを顔に貼り付けて、適当に相づちを打った。
なれそめの話(ノロケ話ともいう)が終わったところで、俺は本題を促した。
「それでは、婚約解消に至った経緯を話していただけますか」
来客は一瞬つらそうな表情を見せた。
「実は、徴税官吏を辞めることになったのです」
ああ、なるほど。来客は優良物件ではなくなるわけか。
「先方にはどのような説明をなさったのですか?」
「友人たちと新しい事業を興すことにしたと説明したんです」
急にうさん臭い話になったな。
「どのような事業でしょうか?」
「日用雑貨の輸入です。物作りが盛んなザーブルク共和国には、安価で高品質な製品がたくさんあるんです」
おやおや、レオノーラ・フラウゼン公爵令嬢の母国の名前をこんなところで聞くとは。いや、母国は現共和国ではなく、今はなき王国だな。
「その説明に先方が納得しなかった、ということですか」
「はい。辞職を思いとどまるか、婚約を解消するかのどちらかを選べと言われました。解消する場合はこちらの有責だから、慰謝料を払えとも言われました」
「それは誰に言われたのですか?」
「サクローナ伯爵です」
「婚約者様ご本人から言われたわけではない?」
「会わせてもらえませんでした」
「ふむ、なるほど」
俺は手帳を取り出して、これまで聞いた話の要点のメモを取る。
「ヴェルトリ様にとって、辞職しないという選択肢はありえませんか?」
「ありえません」
即答か。
「辞職を決めたのはいつごろですか?」
「一ヵ月ほど前です」
「では一ヵ月も先方と話し合っているのですか。できれば婚約は解消したくない?」
「先方の理解を得たいと思っています」
俺はペンの柄で頭を掻いた。
「先方の理解を得たいというのであれば、弁護士を代理人に立てるのではなく、ヴェルトリ様ご本人が誠意を持って、粘り強くお話をされた方がよいと思いますが」
「それが、できないのです」
「とおっしゃいますと?」
「サクローナ伯爵は弁護士を雇って、代理人にしたんです。今後は代理人交渉のみを行うと通告してきました」
なんだろう、ものすごく嫌な予感がする。
「私では代理人に全く歯が立たないのです。そこでこちらも弁護士を代理人に立てるしかないと考えたのです」
「その先方の代理人の弁護士というのは誰ですか?」
「これを」
来客は別の名刺を出してきた。そこに印刷された名前を見て、嫌な予感が当たったことを知った。
「できれば正直に話していただきたいのですが、ここに来る前に他の弁護士に相談しましたか?」
「……ええ、二、三人ほど」
「でもこの名刺を見せたら、みんな断られたと?」
「……はい」
まあ、普通の弁護士はそうするだろう。しかめっ面で名刺を見ながらそう考えていたら、来客は不安になったようだ。
「やはり、引き受けていただけませんか?」
「いえ、受任……お引き受けします」
「本当ですか!」
「最善を尽くしますが、どこまでご希望に沿えるかはわかりません。それでもよろしいでしょうか」
「はい。よろしくお願いします!」
この喜びようじゃ、断られたのは二、三人じゃきかないだろうな。
「クローディアくん、弁護士報酬について説明して差し上げて」
「かしこまりました」
法廷弁護士が依頼人から受け取れる金は三種類ある。ひとつは着手金。これは依頼を受任した時点で発生する報酬だ。法廷ではなくリングで戦う拳闘士に例えるなら、ファイトマネーに相当する。
もうひとつは成功報酬。これは裁判に勝ったときにのみ受け取れる報酬で、拳闘士の賞金に相当する。
最後のひとつは必要経費。文字通り裁判にかかった費用を請求するもので、報酬ではない。
着手金と成功報酬は特に決まっていないが、相場はある。必要経費は裁判の内容から、おおよその見積もりを出す。見積もりをオーバーしそうになったら、依頼人と改めて相談することになる。もちろん見積もりより少なかった場合は、差額は返金する。
クローディアの説明が終わったところで、俺は各々の金額を記入した書類を渡した。それを見たヴェルトリ氏は、びっくりしたような表情を浮かべた。こちらとしては適切な金額を提示したつもりなのだが。これまで相談した弁護士たちには、金額の提示の手前で断られたのだろう。
「なにかご質問があれば、お答えしますが」
あとあと揉めないように、そう伝える。
「いえ、よろしくお願いします」
ここで断られたら後がないと思ったのか、ヴェルトリ氏は表情を引っ込めた。




