弁護士オーギュスト・マノワ
舞台は架空の世界です。法律や裁判制度は現実のものを参考にしていますが、全て架空のものです。
俺の法律事務所を貴族が訪れることはめったにない。理由は簡単で、俺の依頼人に貴族はほぼいないからだ。
といっても貴族が弁護士と縁遠いわけではない。特に領地や商会を経営している貴族は法律とは無縁でいられない。だから彼らはお抱えの顧問弁護士を雇っている。だが俺に声がかかることはない。俺が裁判での弁護を専門とする法廷弁護士だからだ。
貴族は裁判で決着をつけるのはエレガントでないと思っている。古くからある貴族同士の様々な裏工作で決着をつけるのが最良だと思っているのだ。裁判になるとマスコミに騒ぎ立てられて醜聞になりやすいからだ。もちろん衆民から訴えられる可能性もあるが、そういうケースは我が国では稀だ。
だが何事にも例外はある。本日はその例外らしい。
「フィゲロ・ヴェルトリ様ですね」
俺は渡された名刺を見て、目の前の来客に確認する。二十代半ばと思われる男性で、名刺に書かれた肩書は王室財務局二等職員になっている。衆民ならただの職員と記載されるはず。だが二等という修飾がついているので、中位か低位の貴族の文官らしい。普段の依頼人に貴族はいないので、貴族年鑑にはほとんど目を通したことがなく、ヴェルトリ家がどういう家なのかは知らない。
「今回はどのようなご相談でいらしたのですか?」
ヴェルトリ氏はちょっとためらったようだが、重い口を開いた。
「実は、マノワ先生が悪役令嬢防止法に強い弁護士だという評判を聞きまして……」
別に強いわけじゃないが、この手の裁判を引き受けたがる弁護士が少ないのと、ちょっと目立つ成果を上げてしまったせいで、そういう風に誤解されているらしい。
悪役令嬢防止法というのは俗称だ。正式にはレオノーラ・フラウゼン法という。これは隣国のレオノーラ・フラウゼン公爵令嬢の名前に由来する。
フラウゼン嬢は自国の王太子と婚約していたが、他の女にうつつを抜かした王太子に冤罪を着せられ、処刑という建前で殺害されてしまった。王太子が断罪の際にフラウゼン嬢のことを悪役令嬢と罵ったことから、この事件は悪役令嬢事件という通称で知られることになる。
後に真相が明らかになったことで、隣国の王家の権威は失墜し、最終的には革命を招いて、隣国は王国から共和国に政体が変わった。
これを見た周辺国は、自分の国には同様の醜聞が起きないよう、予防策を講じた。我が国の場合は、それがレオノーラ・フラウゼン法だ。
レオノーラ・フラウゼン法では王侯貴族による一方的な婚約破棄を禁じており、必ず裁判を経ないと婚約の破棄や解消ができないようになっている。両者がすでに合意していれば、争点がないので裁判では即刻合意どおりの判決が出るが、婚約解消の条件は必ず公にされるので、有利な立場を濫用した不当な婚約解消はできにくいようになっている(完全に防げるわけではないが、相当な抑止効果はある)。
いくら貴族が裁判嫌いだといっても、婚約の破棄や解消だけは、裁判を避けられない。
「そういう裁判の弁護は、何度か引き受けています」
そう答えると、事務員兼助手のクローディアに指示を出す。
「ヴェルトリ様にお茶をお出しして」
来客を様付けで呼んで、暗に一番高いお茶にするように指示する。貴族の来客は想定していないから、一番高いといっても大したお茶じゃないが。
「それで、婚約を解消されるのはヴェルトリ様でしょうか? それともご親族かご友人の方でしょうか?」
たぶん本人だろうが、来たのは代理人の可能性もある。こういう仕事では、肌理の細かい確認が必須だ。
「私です」
「お相手はどなたでしょうか?」
「サクローナ伯爵家のミリアナ嬢です」
サクローナ伯爵家か。聞いたことがないな。後で貴族年鑑でまとめて調べないと。
「先方とはすでに合意ができているのですか?」
その可能性はまずないが、確認は必要だ。
「いいえ……揉めています」
だろうな。でなきゃわざわざ『強い弁護士』を探して頼むわけがない。争わない裁判なら、不慣れなお抱え弁護士でもできるからな。
「お待たせしました」
クローディアが来客にお茶を出す。一番高い茶碗で。ちゃんと一番高いお茶にしたようだ。
「それでは、詳しいお話を聞かせてもらえますか」




