不安なジュリエット
裁判における証言は、第三者の証人に原告側と被告側がそれぞれ質問をして、証人がそれに答えるという形で行われる。
だが当事者にしか判らないこともあるので、原告人や被告人が証言台に立つケースもあり得る。しかし反対尋問で相手のプロの弁護士から質問攻めにされるので、一般的には証言台に立つ方が圧倒的に不利になる。またそのような質疑応答は、客観的な事実を聞き出すというより、相手を論破して失言を引き出そうとする方向に走りがちだ。だから原告側が被告人を、被告側が原告人を証人として呼ぶことは禁じられている。
つまり被告側の弁護士の俺が被告人に証言をさせようというのは、ルール上はアリだが普通は選ばない選択肢だ。やるとしたら勝利が確定しているか、それ以外に活路がない追い詰められた状況だ。
「原告側に異議はありません」
訊かれる前にオルレード弁護士が答えた。それを聞いた裁判長は珍しくムッとした表情を露わにした。この裁判は貴方たち弁護士の私闘ではない、腹の中ではそう思っているのだろう。俺の方はそんなつもりはないのだが、他人には俺がオルレード弁護士を挑発しているように見えるだろう。
「証人尋問を認めます。被告人は証言台へ」
堅物として知られるヴィエンヌ判事が証言をさせない可能性もあったが、事件と婚約の関わりが気になるらしく、証言をさせることを認めた。
依頼人は証言台に立ち、宣誓をした。
「被告代理人、証人尋問を始めてください」
俺は依頼人とアイコンタクトを取った。
「証人にお訊きします。貴方の上司は二ヵ月前から仕事のパフォーマンスが落ちたと証言しましたが、それは事実ですか」
「事実です」
「暴漢に襲われた事件と時期が近いようですが、関係がありますか」
「あります」
「どのような関係があるのですか」
「仕事に迷いが出るようになったのです。この滞納者から本当に取り立てをしてよいのかと」
「逆恨みをされて、身に危険が及ぶことを危惧したのですか」
「そういう部分もありますが、一家が全員亡くなったと聞いたときの衝撃が大きすぎました」
「確かに三人の命が失われたのは重大ですが、貴方の責任ではありませんし、亡くなったのは赤の他人です。それでも責任を感じるのですか」
「実はシャルバック氏とは面識がありました。父が経営する工房で、仕入れのために訪れていたシャルバック氏と何度か会ったことがあるのです」
再び傍聴席がざわつくが、裁判長が静止するほどではなかった。
「そのときのシャルバック氏は温厚な人物でした。ですが事件のときは鬼のような形相でした。自分が彼をこんなに変えてしまったのかと衝撃を受けました」
「面識があったのに、税金の取り立てを行ったのですか」
「それが徴税官吏の職務であり、上司から命じられたのは私です。納税の面から社会の公平を保つという役目に私情を挟む余地はないと考えていました」
「考えていた? 事件後はその考えが変わったのですか」
「大筋では変わっていません。ただ機械的に一律に取り立てをすることが正しいとは思えなくなりました。取り立てをするためには相手の資産状況を調べなければなりません。そうでないと財産の差し押さえができないからです。調べた結果、取り立てをしても問題ないと思える相手からはこれまでどおり取り立てをしましたが、そうでない相手にはなるべく督促ですませるようにしました」
「それが上司の目にはサボタージュに映ったわけですか」
「そうだと思います」
いつの間にか傍聴席は静かになっていた。
「しかし上司の指示に従って取り立てができないのでは、徴税官吏は務まらないのではありませんか」
「自分でもそう思います。だから退職を決断しました」
「それは今後の生活に大きな影響がある決断です。婚約者には伝えたのですか」
「伝えるためにサクローナ家を訪ねました。ですがミリアナ嬢は不在で、サクローナ伯爵と話をしました。そうしたら退職後の生活はどうするのかと訊かれました」
「それは当然の疑問だと思いますが、どう答えたのですか」
「ローラルド氏と共同で事業をすると嘘をつきました」
「なぜ嘘をついたのですか」
「実は当時は退職後のことを考えていなかったのです。訊かれて初めてそのことに気づきました。今から考えると余裕がなかったのだと思います。しかし正直にそう言うのは躊躇われたので、とっさに嘘をついてしまいました」
「色々と言い訳をされていますが、嘘をついたことを正当化されるおつもりですか」
「いいえ、嘘をついたことは反省しています。後から伯爵が経営する工房と競合する商品をローラルド氏が輸入していることを知りました。だから伯爵の怒りを買い、裁判になるまで問題をこじらせてしまったのだと気がつきました。全く愚かなことをしたと後悔しています」
「退職後について、現在はどう考えているのですか」
「税理士になろうと考えています。今は退勤後に資格を取得するための勉強をしています」
「なぜ税理士を目指すのですか」
「今後は税金を徴収する側ではなく支払う側の立場から、専門知識を活かして公平な税負担の実現に努めたいと考えています」
証人尋問の途中でも、裁判官に対するアピールはある程度は大目に見てもらえる。堅物の裁判長がどの程度認めるかは判らないが、やっておく必要はある。
「被告人は原告側が主張するような、安易に約束を違える無責任な人物ではありません。むしろ責任感の強い人物なのです。ただ今回は責任のとり方が下手だったのです」
裁判長からの制止はなかった。これが実質的な冒頭弁論だと思っているのだろう。
「証人にお訊きします。もし税理士になれたとして、徴税官吏のときと同程度の生活はできるのでしょうか」
「しばらくは無理だと思います。いずれは今以上に稼げるようになりたいと思いますが、具体的にいつまでに実現すると言えるものではありません」
「つまり退職した場合は、将来は今より不確実になるのですね」
「はい、そのとおりです」
「それでもミリアナ・サクローナ嬢と結婚したいのですか」
「ミリアナ嬢は素晴らしい女性です。私にはもったいないほどの人です。ですが私自身の未熟さから迷惑をかけてしまいました。なので私の口からこれ以上のことを申し上げるのは控えたいと思います」
これを謙虚と受け取るか敗北宣言と受け取るかは、人によって分かれるだろう。どっちへ転ぶか不確定だが、ここまで来たら最後のアピールをするしかない。
「このまま裁判を続けても、慰謝料の金額が決まるだけです。そしてそれを受け取ってしまったら、この縁は完全に終わってしまいます。果たしてそれでよいのでしょうか」
オルレード弁護士がすかさず手を挙げた。さすがにここまで露骨やったら、こちらの意図が理解できたようだ。
「異議あり! 今のは不規則発げ……」
だがオルレード弁護士は最後まで異議を唱えることができなかった。今まで黙って隣りに座っていた原告人が、立ち上がって大声を発したのだ。
「裁判を止めます!」
予想外の発言に、全員が絶句した。俺も例外ではなかった。俺の狙いは原告人に和解を決断させることだったのだが、彼女はそれを飛び越えて裁判そのものを中止することを選んだ。よく考えれば相手は裁判の素人なのだから、そういう選択をする可能性は十分あった。そこまで想像できなかったのは俺のミスだ。
予想外とはいえ、今の状況は最大限に活用しなければならない。
「裁判長、原告は訴えを取り下げるそうです」
裁判長は表情では冷静を装っていたが、顔は赤くなっていた。表情筋は訓練すればある程度は制御できるが、血管はそうはいかない。異例づくしの裁判だが、堅物の判事としてはこんなイレギュラーな終わり方は認めたくないだろう。だが原告の意思表明を無視するというのは、彼女にとってそれ以上にあり得ないことのはずだ。そうなると彼女の中の怒りが向けられる先は限られる。
「原告代理人は、訴えの取り下げに必要な書類を速やかに提出するように」
裁判長の怒気を含んだ声がオルレード弁護士に向けられる。
「……はい」
オルレード弁護士は殺意がこもっていそうな視線を俺に向けてきた。反対尋問という舞台を取り上げられたうえに、とばっちりを食らったのだから当然だろう。梯子を外したは自身の依頼人だが、そうなるように誘導したのは俺だから、その怒りは間違ってはいない。
だが最大の予想外はこの後だった。
「フィゲロ様、私と結婚してくださいますか」
先ほどと同じ大声でミリアナ嬢が問うた。おそらく家族によって婚約者と会うことを制限されて、ずっと不安だったのだろう。
「自分でよければ、喜んで」
そう答える依頼人の目には涙が滲んでいるように見えた。
傍聴席の女性たちから黄色い歓声が上がった。まだ怒りがくすぶっていたらしい裁判長は、すかさず木槌を手にして連打した。
「静粛に、静粛に、静粛に! これにて閉廷!!」
最後にカンという木槌の音が、ひときわ大きく法廷に響いた。




