なろう作家には、「商人としての気概」が欠けている。
結局のところ、なろう作家に欠けている物ってなんでしょうか。私はこう思っています。――なろう作家には「商人としての気概」が、決定的に欠けていると。
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書籍作品には、売れなければ打ち切りになると言うリスクがあります。物語の終幕は、作品の出来を左右すると言ってもいいぐらい重要です。打ち切りというのは、その重要な終幕を切り捨てる行為です。――それに比べてweb小説は、作者の意思さえあれば、完結まで続けることができます。
だから、売上一つでその終幕を切り捨てる行為が横行している書籍作品よりは、web版の方がより完成度が高くなる、そういう考え方だってできるはずです。
実際、書籍が打ち切られても、web版の方は連載を続ける作者もいるのです。個人的にはその方が、間違いなく作者のためになると思います。
作品が出版社に取り上げられたけどすぐに打ち切られた、その結果、web版も中途半端に放り投げた、そんなことをすれば、信用を無くすのが当たり前です。その人は、書籍を買ったお客さんから見れば、「作品を完結させた経験のない作家」です。信用したくても、実績が何もありません。
なろう作家の作品は、そんな、信用できない作品だと思われています。その信用はこの先、さらに無くなっていくと思います。なろう作家自身がツイッターで、嬉々として「売れない理由」を色々考えて、作家のせいではないと言いながら拡散していけば、そうなるのが当たり前です。
そんな言い訳を、拡散しながら内輪で回して、中途半端に物語を終わらせてしまうことを正当化するから、売れないのです。売れなくなっていくのです。作家である以上、納得のいくところまで物語を続けた上で、しっかりと完結させるべきです。
私は、物語を完結させる力のない人間を作家だとは認めません。それはきっと私だけではない、多くの人が考える常識的な考え方だと思います。
書籍打ち切りでweb版まで終わらせる、その行為は非難に値します。だから、そんな形で終わってしまった作品はどれだけ非難されても仕方がないと、私は思います。
同時に、どんな作者も、完結を目指して執筆を始めるものだと思います。だから、過去に何があったとしても、完結を目指してして頑張っているのであれば非難されるべきではないし、応援し続けるのがファンだと、私は思います。
編集が入ることによる品質の向上も、まともに完結できなくなるリスクを抱えた時点で帳消しです。打ち切りほど、読者を馬鹿にした行動はありません。同時に、書籍版が完結できなかったら、せめてweb版だけでも完結させる、これは、お金を出して書籍を購入した人にとっても、せめてもの救いになるのではないのでしょうか。
お金は大事です。だから、お客さんが払ったお金に対して誠実な態度で臨む、これも「商人としての気概」だと思います。
――物語をより良くするために筆を惜しまず、完結まで全力を尽くす。それができて初めて、作家としての誠実さを示せるのではないか、そんな風に思います。
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また逆に、売るために、無料で公開するのをやめてしまっても良いと思います。
なろう読者には、絵師も出版社もいりません。なぜなら、イラストも校正もマーケティングも無い状態で、すでに作品を楽しんでいるからです。そんな人たちは、書籍化されてもそう簡単に作品を買わないでしょう。それは当たり前のことだと思います。
この傾向は、なろうの知名度が上がれば上がるほど、なろうから出版される作品が多くなれば多くなるほど、そして打ち切りになる作品が多くなるほど、顕著になるはずです。
私だって、なろう作品で書籍化されたら買おうと思える位に好きな作品は、数作品程度です。そして、作品が無料で公開されている状態だと、間違いなく購買意欲は下がります。
――無料で作品を公表し続けている限り、読書の購買意欲が上がりにくくなるのは当たり前のことです。
作家として収入を得ることを目指すのなら、出版に際して作品を消すことに理解を得られないファンは、必要ありません。ファンの方も、その作品に価格分の価値を認めているのなら、書籍を購入するはずです。
そして、無料で作品を公表するのをやめる代わりに、作品の宣伝をしっかりとする。その作品で上げた実績は、そのまま作品の宣伝材料となるはずです。どれだけの人に喜ばれたのか、どんな評価を得たのか、それらはそのまま宣伝に使えるのです。
そうやって、使えるものを全て使って、一人でも多くの人に読んでもらえるよう、努力をする。それも「商人としての気概」だと思います。
そして、仮に打ち切りとなってしまったとしても、「最終的に」完結させるまで努力を続けることができれば、たとえ作品を消したとしても、作家としての誠実さは、ファンに伝わると思います。
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最後に。本エッセイを記すにあたり、「松下幸之助 商売戦術三十ヶ条」というのを参考にしています。以下、そこからいくつか抜粋したものを引用します。
・商売は世の為 、人の為の奉仕にして 、利益はその当然の報酬なり
・店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何。
・取引先は皆親類にせよ。之に同情をもって貰うか否か店の興廃のわかるるところ。
・売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客をつくる。
・資金の少なきを憂うるなかれ。信用の足らざるを憂うべし。
・無理に売るな。客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ。
・お客の前で店員小僧をしかるくらいお客を追い払う妙手段はない。
・良き品を売ることは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり。
・紙一枚でも景品はお客を喜ばせるものだ、つけてあげるもののない時は笑顔を景品にせよ。
・正札を守れ! 値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ。
・「あの店の品だから」と信用し、誇りにされるようになれ。
・店先を賑やかにせよ、元気よく立ち働け、活気ある店に客集まる。
・商人には好況不況はない、何れにしても儲けねばならぬ。
・自分の行う販売がなければ社会は運転しないという自信を持て、そしてそれだけに大なる責任を感ぜよ。
なろう作家が持っている常識というのは、はっきり言ってしまえば、アマチュアの論理であり、なろうという閉じた世界でだけ通用する常識だと思います。もちろん、アマチュアならそれでも構わないでしょう。ですが、プロはそれではいけないと思います。
――アマチュアは、読まれなくても責任は取らなくてもいい。ですが、プロは儲けなければいけないのです。
同時に、商業出版というのは、作家に対し、儲けることに対しての「結果」は求められないのではないかとも思います。
売ることは出版社が行ってくれます。だから作者は、「お金を払うお客さま」に対して誠実に、信用を失わないことを第一に考えて行動すればいい。必要であれば作品を消してもいいし、完結を最優先で取り組んでもいい。
信用さえ失わなければ、出版社がその信用を使って商売をしてくれます。だから作者は、自身の作品で「お金を取っている」ことだけを意識して、そのお客さんの方を見て活動すれば良いのかなと、そう思います。
そして、最後にもう一つ、松下幸之助の言葉を引用して、このエッセイを締めたいと思います。
――商売とは、感動を与えることである。
なろうから書籍化した作家が一人でも多く、十分な信用を得て、商売を通して感動を広げられる、そんな商業作家になればいいなと、そんな風に思います。