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9 スノーフレイク


「新橋クレイジーソルト」ヒューマンドラマ〔文芸〕76位

ありがとうございます

 コウが『GG』のカウンターに入ってから二週間が過ぎた。

 出勤するのは週に三日か四日で、店が終わるよりも早く十時には帰る。

 目ざとい客が二・三人、新しい子を入れたんだねとヨウジに声をかけた。

 ヨウジは軽く笑顔をつくって頷いていた。


 コウの仕事はいまのところ、洗い物中心だ。

 テーブルを拭き、グラスや皿を下げ、洗うことを繰り返している。

 ヨウジが飲み物をつくり、ジロウが調理をするのが普通だから、業務のバランスはよくなったと言える。

 オーダーが一段落した時だけ、三人で並ぶ形になる。

 最初からこうしてたみたいだねと、ジロウが言う。

 いやあ、イッパイですよとコウは答える。

 大きめのトレーナーをひじの上までたくし上げて、黒いエプロンをつけている。

 自然と、店では男の子ふうの言葉になった。



 電話をした次の日、コウはアメ横の二階にある喫茶店でヨウジに会った。

 ヨウジは、最初に言っておかなきゃいけないんだけどと前置きした。

 本格的にバーテンダーの勉強がしたいんなら、学校に行ったほうがいいんだ。

 赤坂に有名なスクールがあるし、大きな料理学校には専門の科がある。

 うちで働いてもらうとすると、やっぱりバイトの仕事なんだよね。

 ときどきは何か教えるかもしれないけど。

 カクテルの作り方よりかは、客商売の基本っていうか……。

 まあ、どんな雰囲気かわかってもらえたらっていう感じかな。


 コウは内容より、ヨウジがカクテルの説明以外でそんなにまとめて喋るのを聞いたのが初めてだったので、こんな感じなんだと思った。

 まじめに考えてくれていることはわかり、自分も責任をもたなければと考えた。

 お役に立てるかどうかわかりませんけど、がんばってみたいと思います。

 よろしくお願いしますと言って、頭を下げた。

 よし、じゃあやってみようかとヨウジは言った。


「ああ、それから、うちの雰囲気はわかると思うけど、コンパニオンとかじゃないからさ。

 あんまりお洒落したり、色気のある格好はしないでね」

「あたし、色気なんかないですもん」

「いや」

 ヨウジは笑って言った。

「ないことはないと思うよ」



 一緒に仕事を始めてみると、ヨウジは見た目より仕事に集中していて、かなり神経を使っていることがわかった。

 手元で何かやっていても、いつも顔をあげて客の動きを見ている。

 きちんとオーダーする客ばかりではなく、ちょっとグラスを上げるだけの人もいる。

 そういうサインを見落とさない。

 肩の力を抜いてやわらかく笑っているように見えるけれど、そういうところはしっかりしている。

 お気楽に見えていたジロウも、基本的にはヨウジと一緒だ。


 コウはウェイトレスの経験もあったので、大丈夫だと思っていた。

 それは郷里でのことで、数えられるほどしかお客が来ていない店だった。

(全然、ちがうんだ……)

 最初の二日間はひどく緊張して、胃が痛んだ。

(失敗だったかな)と思った。


 三日目が土曜日で、縫製の会社が休みなので、コウは仕込みの始まる三時に店に入った。

 ヨウジは早めに来ていて、カウンターに立っていた。

「ちゃんと洗えてるな」

 昨夜コウが洗ったグラスを点検していたらしい。

「食器洗い機も買う予定なんだけど、基本だからさ」

 怒られなかったので、ほっとした。


「こっちに来て」

 カウンターに入って、ヨウジの隣に立つ。

 ヨウジは、紙ナプキンの上に塩を()いて、さっと手のひらで掃いた。

 ショートグラスの縁を、レモンの切れ端でまるく拭くようにして湿(しめ)す。

 手慣れた仕草でグラスを紙の上に伏せて上げると、きれいに塩がついている。

「うちじゃほとんどこれは使わないんだけど」

「ソルティードッグ」

「スノーフレイク……スノースタイルっていったかな、やってみな」


 コウは、いま見た通りにやってみた。

 ヨウジがそのグラスを取り上げて見る。

「ちょっとダマになってるかな」

「すいません……」

「いや、最初からできないし、こんなのは軽い気持ちでね」

 ヨウジがもう一回、手本を示す。

 男の大きな手、それにしては細長い指がグラスを操るのを、コウは真剣に見つめている。


「おはようっす」

 ジロウが入ってきた。

 カウンターに二人が並んでいるのを見て(コウちゃん、けっこうまいってたからな……リラックスさせてるんだ)と思った。

 教えるのが目的ではないのだ。

「音楽、かけても邪魔にならないっすよね」

 ジロウはグレン・ミラーのCDをかけてから、裏に着替えに行った。


「で、酒を注ぐ……八分目ね、ソルトの部分は濡らしちゃいけないんだ」

「あとからお酒を入れるんだね、どうやって作るのかと思った」

「……ます酒も塩を盛るしな、人間って同じことを考えるもんだな」

 きょうのお題は終わったということで、ヨウジは手元を片付ける。


(人間って同じことを考える……)

 テーブル席に上げていた椅子を降ろしながら、コウは考える。

(そうかなぁ)

 CDの曲が『イン・ザ・ムード』に替わる。

(あなたも同じことを考えていますか……なーんてね)


 ジロウが入口に足拭きマットを広げ、看板のプレート台を出した。

『GG』の開店だ。もうひとつの夜が始まる。


スノーフレーク(スズランスイセン)はヒガンバナ科の秋植え球根植物

花言葉は「純粋」「純潔」「汚れなき心」

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