7 A列車で行こう
Take The "A" Train - Clifford Brown, Max Roach Quintet 1955
ずっと雨が降って寒いほどだった天気。
夏の終わりになって、駆け込んできたように暑い日が続いた。
ヨウジは昼下がりに、黙々と店の仕込みをやっている。
掃除、酒類の補充、食材の下ごしらえなどだ。
ジロウが来ているが、今日はむだ口をたたかない。
カウンターの頭の上、二列に設置されたボトルサーバーを点検している。
ウィスキーやバーボンにも種類があり、開けたその日のうちに香りが飛んでしまうものもある。
そういうものは少なくとも二・三日のうちにハケてほしいが、そう思惑どおりにはいかない。
常連の人たちはサーバーの上に逆さに立った瓶の減り具合を見ている。
順調に減っていかないものはいつまでも出ないので、サーバーから外す。
ずっと上を見上げる姿勢になっていたジロウが、ひと通りの作業を終えた。
「首がこりました……」
冷凍庫の中身を見ていたヨウジが、顔を上げずに言う。
「ご苦労さん」
(やっぱりユカリさんのことが、こたえてるのかな)
ジロウはそう考える。ヨウジがユカリとその子どもたちに会ったことは聞かされていない。
「なんか、音楽かけましょうか」
「店が始まってからでいいよ……」
言いながらヨウジは顔をあげた。窓越しに見える通りの路面が光っている。
「いや、適当にかけとくか」
(今日はジロウが喋らないと思ったら、おれが気詰まりにさせてたのかな)
『GG』の音楽はコルトレーン、マイルスといったジャズだけだ。
マスターが持っていたLP盤を少しずつCDに買い換えていた。
それがほぼ終わったころにマスターは倒れた。
亡くなったあと、奥さんと娘さんに差し上げますと言われたのでそのままにしている。
ジロウが新しいのを買ってきましょうかと提案したこともあった。
べつにこだわってはいないけど、歌ものとかはお客の邪魔になるからとヨウジは言った。
「慣れるとけっこういいもんですねえ」
ジロウはいわゆるモダンジャズではなく、その前の時代のビッグバンドジャズを好んでかける。
『A列車で行こう』が店内に流れた。
「酒場やってる、って感じですよ」
アメリカか。ヨウジは思った。
公園で会った子どもたち、キャッチボールをしていたユカリたちの姿が浮かぶ。
ちょっと、現実じゃないみたいな感じだったな。妖精たち?
ええーっ、あたしたち妖精?
ユカリの声が聞こえてきそうだ。
ばかやろう、そんないいもんじゃねえよと、頭の中でヨウジは答える。
そんないいものではない。そう、実際には大変な話だ。
どこから、何から手をつけていいのかわからない。
彼女に何をしてほしいと頼まれているわけではないが……。
おれの気持ち……おれの気持ちか、それってなんだろう?
ヨウジは、いつも最後までそれを後回しにしていることに気づかない。
今度はふたりで会うからねとユカリは言った。
店の電話が鳴った。ヨウジが取って、ジロウが音楽のヴォリュームを下げる。
はい『GG』です……ああ、はい……いま出られないけど、電話で話せること?
ああ、そういうことだったの……こう言っちゃなんだけど、二・三日でイヤになることもあるじゃない。試しにちょっとやってみれば?
うん、経営者の人はべつにいるんだけど、そこらへんのことは大丈夫だから。
じゃ明日、昼めしの時にね、わかりました、よろしく。
「……いまの、コウちゃんですね」
「ん? ああそうだ、店の手伝いがしてみたいんだってさ」
「ずいぶん簡単に返事してませんでした?」
めずらしくジロウが突っかかった言い方をしている。
「二人だといっぱいな時あるしさ、マスターの時には何人か交替でバイト使ってたじゃん、そろそろと思ってたからな」
あの子はそういうんじゃないでしょうよと、ジロウは思った。
仕事仲間でいいからヨウジさんのそばにいたいとか、そう思ってる。
でもそうなったら絶対ヨウジさんは手をつけないから、残酷な話だ。
そういうのは見たくないと、ジロウは思った。
そこまで考えたことは、口には出さなかった。
「まあ、来てみてからの話ですもんね」
「なんだお前、あの子とけっこう仲良さそうだったじゃないの」
救いがたいなとジロウは思う。
「女はねぇ、ちょっと遠くから見てるぐらいがいいっすよ」
「そうだったのか? 意外だな、どういう苦労してるんだよ」
(……あんたほどじゃないっすけど)
ジロウはCDを替えながら(でもまあ、少しはヨウジさんの気分がほぐれたみたいだし)と考える。
(心配するほどのことはないだろうな……それなりに楽しいかもしれない)
男のバーテンダーと同じ格好をしたコウの姿を思い浮かべた。
きりりと吊り上がった目の彼女に、よく似合いそうだ。
実際にはそこまでしないはずで、普段着の上にエプロン程度だろう。
受話器をおいたコウは、そのまま仰向けに寝ていた。
携帯にかけるのがためらわれて、結局は店の電話番号を押したのだ。
ずいぶん軽いんだなあ……そりゃあ昼間の仕事は辞められないし、バイト程度って言ったのはあたしだけど……そういう子って何人もいただろうし。
何をやってるんだろう?
とにかく明日の昼に話をしてくれるとヨウジは言った。
コウが遅くとった夏休みの最後だ。
それが終わったら、平日の夜のなん日かと土曜日は『GG』で過ごすつもりだ。
すれ違う思いはいつも、誰にでもあります
ジロウはこんなことを考えていたんですね




