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5 Cool, clear water


コウが『GG』とヨウジに出会うまで

 コウは仕事が休みで、自分の部屋にいる。

 ワンルームのマンションの中にはおよそ飾り気というものがない。

 着る物を掛けるスタンドと、本棚と、ベッドだけがある。

 余計なものを置いておく習慣がない。


 コウは、中部の地方都市から東京に出てきた。

 最初は姉と暮らしていた。

 姉妹ふたりならいいだろうと、両親が許可してくれたのだ。

 三年目に姉が結婚して、帰ってこいという親の意見は聞かなかった。

 縫製の仕事でやっと認められたところだったし、帰ってもしかたがない。

 ひとり暮らしを始めて二年になる。


 何か自分に合う飲み物はないかと思い始めたのは、いつからだったろう。

 それまでは、コーヒーや清涼飲料水を普通に飲んでいた。

 ある時から、それらの中に入っている人工的な甘味や香料が気になりだした。

 自分は濁ったものを飲んでいると感じて、いったんそう思ったら我慢できなくなった。

 べつに極端な潔癖性ではないつもりだったし、自然食品とかには興味がない。

(体質が変わったのかなあ……大人になったとか)

 コウはそう考えた。


 売っているミネラルウォーターやスポーツドリンク、各種のお茶はひと通り試してみた。

 中には(これがそうかな)と気に入りかけたものもあったが、どれも一週間とはもたなかった。

 結局、水道水をひと晩おいたものか、湯冷ましを冷蔵庫にストックしておくことにした。

 それを使って、自分で()れた日本茶なら飲める。

 ポットに入れて、仕事場にも持っていく。

(ばあちゃんみたいかな?)

 最初は同僚の目が気になったが、そのうち周りもコウ自身も慣れた。


 理想の飲み物を、酒に求める考えはなかった。

 飲めない体質ではないが、日常的に飲むわけではないから当然だ。

 それに、会社の宴会でえんえんと注がれるビールとか奇妙な色の酎ハイは、コウから見れば論外だった。

(どっちかっていうと、この世でいちばん飲みたくないかも……)



 ある日そうやって職場の付き合いで飲まされて、同僚の女性とふたりで帰る途中だった。

 コウは歩きながらバッグからいつものポットを取り出し、冷たいお茶を飲んだ。

「あなたは、こだわりがあるよねぇ」

 コウより三つか四つ上のその女性が、笑顔で言った。

「べつにそんなんじゃないけど、何かスキッとしたの飲みたいじゃないすか」

 同性と喋るときのコウは、ほとんど男言葉だ。

「それは、何かに(かわ)いてるってことかもねぇ」

「なんですかぁ、それ」

 コウは笑った。コウにはふだん女性同士で群れる習慣もないが、同僚の中ではよく話す人だった。


「ねっ、お茶もいいけど、カクテルを飲んでいかない?」

「かくてる……もう酒はいいっすけど」

 それまであまりカクテルを飲む機会はなく、知識もなかった。

 気取った人たちが飲む高価たかい酒で、たいしてうまくもないのだろうとなんとなく思っていた。

「おいしいお酒をちょっとだけいただくのは、またちがうのよ、行きましょう」


 連れて行かれたのはスタンドバーという見たことも聞いたこともない場所だった。

 トモコさんはどうやってこういうお店を見つけるのかなぁ?

 店の名前は『GG』だった……何の略だろう?

 コウは、絹のシャツに黒い前掛けを締めた、白髪のおじさんにいてみた。


「それはおれがじじいだから……じゃなくってよう、ここはもと『時々』って言ったんだよ、ときどき寄ってくれればいいと思ってな。

 それをジジって読むやつがいて、エーゴのほうがしゃれてるだろうってことで、いまになったんだよ」

 ずいぶん乱暴な話し方なのでびっくりしたが、おじさんは笑顔だ。

「マスター、アルファベットにしただけで英語っていわないすよ」

「ヨウジ、お嬢ちゃんはおめえに訊いてないんだよ! おめえは黙って酒つくってりゃあいい」

 若いほうの男の人は、黙って苦笑いを浮かべていた。

 そんなふうに言われるのに慣れているらしく、すこし嬉しそうにも見えた。

 それが、コウがヨウジというバーテンダーを知った最初だ。



「うちで作ってみたけど、全然ちがうねぇ」

 コウはヨウジに話しかける。二度目にひとりで行った時だ。

「うちで……ギムレットとか?」

「そうだよ」

「カクテルってのは、いい氷とライムをいやっていうほど使わないといけないんですよ」

「うちじゃ無理なんだ」

 その日はマスターが外出していた。

 そのせいもあったのか、ヨウジは説明してくれた。


「居酒屋なんかでカクテルって言って出すのは、氷が浮かんでたりするでしょう?

 基本、氷は酒をくぐらせて冷やすのに使うんで、あれじゃ薄くなっちゃう。

 いまみたいに氷を使ってアレンジする時もあるけど」

「うんうん」

「ほんとのカクテルっていうのは、氷より冷たくなくちゃいけない……っていうのは、ときどき来るおじさんが女の子を口説く時に言うんだけど」

「それって……ちょっといきすぎみたいな」

「そうだよねえ?」


「てめえ、ずいぶん偉くなったじゃねえか」

 マスターが帰ってきていた。

「お嬢ちゃんに講釈たれるのはなあ、百年(はえ)えんだよ」

「はいはい」

「はいは、一つだよ」


 楽しい。コウは『GG』の雰囲気に慣れてきたらしい。

 コウの前にミント・ジュレップが置かれる。

 クラッシュした氷にバーボンを注いでミントを散らしたものだ。

「お客さんは、けっこうハードなほうが好きなんですね」

「……あたし、コウです」


 マスターのべらんめえ口調とヨウジの笑顔が、店の空気を清潔にしているとコウは思った。

 あまり飲み屋らしくないところがいい。

 ちょっとアルコール度は強いけれど、澄んだ味の飲み物。

(これが……そうなのかな)

 自分は、理想の飲み物を見つけたのか。

 そこにヨウジがいなくてもそう思ったかどうかは、自分ではわからなかった。



 コウは、最初にマスターがくれたのと、昨夜ヨウジがくれたのと二つの名刺を並べて見ている。

 あれからジロウっていう人が来て、マスターが亡くなって。

 もう一年以上か、最初に行ってから一年半……?

 コウは、二十六歳になった。


『時々』は実在した店名で、亡くなったマスターのキャラクターもそのままです

物語との直接の関係はありません

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