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2 灯ともし頃


 ともしごろ 浅川マキ(1976)

 向かいの洋食屋は、夜に客が入っているのをあまり見ない。

 昼間のランチが主な収入源で、夜はついでに開けているという感じだ。

 使われることのない空席待ちのための椅子には、年取った猫が横たわっている。

 ほとんど動かないので、通りすぎる人々の何割かは置物だと思っている。



 ヨウジたちの店は、夕方五時に開ける。

 勤め帰りの中年男性が客筋の大半を占めているからだ。

 近所の商店主たちも、奥さん方の眼を盗んで息抜きに来る。

 あとは、盛り場の外れにあるので出勤前のホステスたちがたまに寄る。


 以前は、マスターがときおり彼女たちをかまってやっていた。

 豊富すぎる人生経験をもっていたマスターの話は面白く、それが楽しみで来ていた女性もいたと思う。

 ヨウジには、その真似はできないし、無理にそうしようとは思っていない。

 もともとそういう接客をする店ではないから、彼女たちは連れ立ってやってきて、お互いに喋る。

 その場にいない同僚の悪口を言い合ったり、条件のいい店に移る相談をしたりしている。

 聞くつもりはなくても耳に入ってくる、それらの話のえげつなさには慣れた。


 もっと厄介なのは、三・四人でやってくる一般女性のグループだ。

 ここの客の多くは、ウイスキーのストレートやジントニックを二杯ばかり駆けつけでやって、すっと帰る。

 誰が決めたわけではないがそういう店で、亡くなったマスターがその形を(たも)ってやってきた。

 いつも来るその女性グループは、ワンドリンクで延々と喋りつづけて席をふさいでいるので、採算のことはまだいいとして、ほかの客が入りづらくなる。

 ヨウジはいつも考える。マスターならどうしていただろう?



 ジロウのほうが女性客の扱いはうまい。

 お客さん、混んできたんでこっちの席に移っていただけますか。

 申し訳なさそうにジロウがそう言うと、自然と帰ってくれることが多い。

 笑顔が自然なので、あまりいやな顔はされたことがない。


「ねっ、帰ってくれたでしょ」

「きみは巧いねぇ、ホストクラブのほうが合ってるかもしれない」

「マスターにも言われましたよ、それ」

 ジロウは悪びれるということがない。

「ヨウジさんは意識しすぎなんすよ、おばさんたちだって人間なんすから」

「そっちのほうがひどくないか……」

「内緒っすよ」


 いつもひとりでカウンター席に来ている女の子がそのやり取りを聞いていた。

 小さくやせていて吊り上がり気味の眼だけが大きい。

 怒っているように見えるが、笑うと一気に顔の印象が柔らかくなる。

「まずいよ、お客が聞こえるとこでそんな話したら」

「すいませんね、聞かなかったことにしといてよ、コウちゃん」

 ジロウはあくまで調子がいい。

「でも、ヨウジさんも硬すぎるかもね、自分もちょっとは飲んで仕事したら?」

「……おれはマスターと違うから」


 死んだマスターは本人もかなりの酒飲みで、仕事の合間に気付け薬だといって飲んでいた。

 それでやられてしまった面もある。

 ヨウジ自身は、素人の時からカクテル作りを始めたくらいだから飲めなくはないが、酒が好きで日常的に飲むという習慣はない。


「もちろんだよ、ヨウジさんはヨウジさんでいいんだよ」

 ふだん、そんな調子で話しかけられたことがなかったので、少し意外だった。

「それはどうも……酔ってます?」

「あたしゃまだまだ、酔ってませんって」

 コウは、酔っぱらいの口調を真似して答えた。



 店がひけて、ジロウと二人で後片付けをする。

「ねぇ、ヨウジさん」

「ん? なんだよ」

「コウちゃんって、ヨウジさんが好きなんだと思いません?」

「……おまえ、今日、喋りすぎ」

「すいません、でも悪い気はしないっしょ?」

「そんなことねえだろうし、仮にそうだとして」

 ヨウジは言葉を選ぶ。

「……おまえだったら、自分に気がありそうな女はすぐ食っちゃうのか」

「基本でしょ?」

「話になんねえな、高校生の不良じゃねえんだからよ」

「ほんとにカタいっすねぇ」

「おれがおまえと二人でバカやってたら、店できねえじゃねえか……帰るぞ」


 ヨウジがそんなふうに言うのは、ジロウが口で言うよりは真面目な男だと知っているからだ。

 本当にどうしようもない男だと思ったら一緒に仕事はできないし、相手にもしなかった。


 ふと気が向いた。

「今日、飲んでいくか」

 ヨウジたちの店は、始まりが五時と早いせいもあり、十一時には閉める。

 それから飲める店はいくつもある。

「えっ、珍しいじゃないですか、自分から飲もうなんて」

「勉強だよ」

「またぁ、そんなこと言って、ユカリさんとこ行くんでしょ?」

 ユカリは駅の反対側のパブに勤めていて、ジロウとは二回、一緒に行った。

「たぶん、いないよ」

「たぶんって、電話とかメールで()いてみたらいいじゃないすか」

「これから行くよってか」

「そうっすよ」

「おれは、そういうのはキライだ」

「勘弁してくださいよぉ」

「とにかく行くわ、ついて来なくてもいいぞ」



 この辺りには風俗店まがいに色気を売る酒場も多いが、ヨウジたちの店と同じく昔ながらの形を守っているところもある。

 女性はいても役割は水割りを作ったり、たまに客の話し相手をするだけの店だ。

 ユカリの勤めていたバーがそうで、水商売というほどの収入にはならないので、若い女性はあまりいたことがない。

 ヨウジは以前から、自分の店がひけた後に時々そこに寄っていた。


 客商売で受け身の接客ばかりしていると、経験したことのない人間にはわからない独特の疲れが残る。

 酒飲みとはいえないヨウジでも、気分を変えてから部屋に戻りたい時はある。

 女性と接するのが目的ではなかったから、ちょうどいい場所だった。


 ユカリの存在を意識しはじめたころ、彼女は年齢もいっていないし美人といっていいのに、なぜこの店なのだろうといぶかったものだった。

 がつがつ稼ぐほどの事情ではないのだろうと、その時は思った。


 連絡をとっていないので、いまユカリが店にいるのかどうかは本当に知らない。

 なぜ半年も空けてしまったのかは、自分でもわからなかった。

 店にいてくれたら、なんでもないように挨拶をすればいいだろう。

 いなくても、それでいい、仕事帰りの気分転換に寄っただけなのだから。


(なんか変かもしれないな、ただ酒を飲みに行くだけなのに……)

(おれは何に、誰に向かって言い訳してるんだろう?)

 そんな考え事をしていて、ヨウジは無口だった。

 その後ろを、なんとなく行く方向が一緒だったとでもいうようにジロウがついていく。


コウちゃんはレギュラー入りするでしょうか?

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