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ひとひらびより  作者: 追川雪乃(追兎電鉄広報部)
お嬢様も、いつもの駅で

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落とし物は、またケーキ


 午後の追兎天神駅は、少しだけ落ち着いた空気に包まれていた。


 朝の通勤通学が終わり、夕方の混みあう時間までにはまだ少しある。

 改札前にも、ホームにも、穏やかな時間が流れていた。


「こういう時間って、ちょっと眠くなるよね」


 受付台のそばで、マリーが小さく伸びをする。


「だめだよ、マリーちゃん」


 うさぎが苦笑しながら言った。


「まだ仕事中なんだから」

「わかってるってー。ちゃんと起きてるし」

「起きてる人は、そんなこと言わないですっ」


 みこがぴしっと言い返す。

 その横で、アリスはなぜか感心したようにうなずいていた。


「たしかに、今のマリーちゃんは少しだけ、午後のおひるね前みたいなお顔でしたわ」

「それ褒めてないよね?」

「とても正直な感想ですわ」

「アリス様、それはたしかに正直ですが、あまり助けにはなっておりません」


 しおんが静かに補足すると、みこが吹き出した。

 その少し離れたところで、つむぎは落とし物台帳を見ていた。

 駅に届いた小さな忘れ物や、保管中の品を確認するのも、少しずつ慣れてきた仕事のひとつだった。


「……あれ」


 つむぎが、小さく声をもらす。


「どうしたの、つむちゃん?」


 うさぎがのぞきこむと、つむぎは台帳と、その横の箱を見比べていた。


「……これ」


 つむぎが指さしたのは、保管棚の上に置かれた白い箱だった。

 見覚えのある箱。

 いや、見覚えがありすぎる箱だった。

 うさぎは、なんだか嫌な予感がした。


「……ケーキ?」


 マリーの声が、一番早く弾んだ。


「また?」


 うさぎの声は、逆に少し沈んでいた。

 そう。

 また、だった。

 保管票には、落とし物として届けられた時刻と場所がきちんと書かれている。

 昼前、改札近くのベンチ。

 届けてくれたのは、通りがかった乗客らしい。


「またケーキですっ!」


 みこが、なぜか少しうれしそうに言う。


「運命ですわね」


 アリスも、上品に目を輝かせた。


「追兎天神駅は、ケーキとご縁が深いのかもしれませんわ」

「そんな駅は困ります」


 しおんの返しは、今日もまっすぐだった。

 うさぎは箱を見つめながら、そっとため息をつく。


「でも、またってことは……」

「そう。これからみんなで、“落とし主が現れるかどうか”を見守る時間が始まるんだよ」


 マリーが妙に真面目な顔で言う。


「なんでそんな儀式みたいに言うの」

「だって大事でしょ」


 その言い方があまりにも本気で、うさぎは少しだけ笑ってしまった。

 つむぎが箱のそばに寄って、そっとラベルを見る。


「……今日まで」

「えっ」

「賞味期限……今日まで」


 その一言で、空気が変わった。


 みこが箱を見る。

 マリーも見る。

 アリスも見る。

 うさぎも、しおんも、つむぎも見る。


 みんなの視線が、見事なくらいきれいにケーキの箱へ集まった。


「今日まで……」


 マリーが、ぽつりと言う。


「つまり」

「つまりじゃないよ」


 うさぎがすぐに止める。


「まだ落とし物だからね?」

「でも賞味期限だよ?」

「それはそうだけど」

「今日のうちは、待たないとだめです」


 しおんが静かに言った。


「むぅ……」


 マリーが不満そうに口をとがらせる。


「でも、明日になったらどうするんですかっ?」


 みこが素直に首をかしげた。


「その時は、駅長さんに聞いてみるしかないかな」


 うさぎが答える。


「勝手にはできないし」

「そうですわね」


 アリスもまじめにうなずいた。


「気にはなりますけれど、そこはきちんとしませんと」

「アリス様、そこを守ってくださるのはとても助かります」

「わたくし、こう見えてちゃんとしておりますのよ」

「時々、忘れそうになってます」

「しおん!」


 いつものやり取りに、みこがまた笑った。


 それからしばらく、六人はそれぞれの仕事に戻った。

 でも、誰も完全にはケーキのことを忘れていなかった。


 改札の向こうを見るふりをしながら箱を気にしているマリー。

 書類を持っていても、時々そちらを見てしまうみこ。

 アリスは「気にしていませんわ」という顔で、いちばん気にしている。

 しおんは平静を保っているけれど、なぜか箱の位置だけはきれいに整えた。

 つむぎは表情こそ変わらないものの、通るたびにラベルを見ていた。


 うさぎはそんなみんなを見て、少しだけおかしくなる。


「……みんな、気にしすぎだよ」

「うさちゃんだって、さっき三回見たじゃん」

「見てないよ」

「見てた」


 マリーに即答されて、うさぎは言葉につまった。


 結局、その日最後まで、落とし主は現れなかった。


****


 そして翌日。


 ケーキの箱は、変わらず保管棚に置かれていた。

 うさぎは保管票を見てから、少しだけ困った顔で駅長のところへ向かった。


「駅長さん、落とし物のケーキなんですが……」

「うん」

「昨日が賞味期限だったみたいで……いつまで保管しておくんですか?」


 駅長は、ケーキの箱を見て、それからうさぎたちの顔をひとりずつ見た。

 みんなが少しそわそわしていることまで、きっと見えているのだろう。

 そして、いつものようにやわらかく微笑む。


「あぁ、それなら食べていいよ」


 一瞬、しんと静かになってから。


「やったーっ!」


 真っ先に声を上げたのはマリーだった。


「よかったですわ!」


 アリスもぱっと顔を輝かせる。


「ほんとですかっ?」


 みこまでぴょこんと跳ねた。

 うさぎは苦笑しつつも、少しだけほっとしていた。


「ありがとうございます」

「ちゃんと分けるんだよ」


 駅長はそう言って、またいつものように穏やかに笑った。


 休憩室に戻って、うさぎがそっと箱を開ける。


「開けるよ」


 そのひと言で、なぜか全員が少し身を乗り出した。

 箱のふたが開く。


「……わあ」


 中には、きれいに並んだショートケーキが入っていた。

 白いクリームに、赤いいちご。

 とてもまっとうで、そしてとてもおいしそうなケーキだった。


「ショートケーキですっ」


 みこが目をきらきらさせる。


「王道ですわね」


 アリスもうれしそうだった。


「しかも」


 つむぎが静かに数える。


「……七個ある」

「えっ」


 うさぎが見直す。


「ほんとだ」

「七個ですっ!」

「でも、ここにいるのは六人だよね?」


 マリーが改めて部屋を見回した。


 うさぎ、マリー、みこ、アリス、しおん、つむぎ。

 たしかに六人だ。


「ひとつ余りますわ」


 アリスがきっぱり言う。


「じゃあ、それはアタシで」

「早いよ、マリーちゃん」

「いやだって、余らせるのもったいないじゃん?」

「公平に決めるべきです」


 しおんが落ち着いた声で言う。


「じゃんけんですっ!」


 みこがすぐに手を挙げる。


「いえ、一番小さい子が優先ではありませんか?」

「なんで一番小さい子が優先なのですか、アリス様」

「理にかなっておりますわ」

「かなってないよ!」


 あっという間に、休憩室は大混戦になった。


「えっと、まずは六個を分けてから……」


 うさぎがどうにかまとめようとした時だった。


「……あら?」


 みこが小さく声を上げる。

 みんながそちらを見る。


 少し離れた席で、雪乃がもうケーキを食べていた。


「雪乃さん!?」


 みこの声が跳ねる。

 雪乃はフォークを持ったまま、きょとんとした顔でこちらを見た。


「駅長さんが食べていいって言うから……」

「あぁーっ!」


 うさぎが思わず立ち上がる。


「お姉ちゃん、そのいちごショートはわたしが食べたかったのに……!」


 雪乃は手元のケーキを見て、それからうさぎを見る。


「これ?」

「それ!」

「ごめんなさい。いちばんおいしそうだったから、つい」

「つい、じゃないよぉ……」


 うさぎが本気でしょんぼりして、マリーが吹き出す。


「うさちゃん、狙ってたんだ」

「だって、いちご大きかったし……」

「言ってくれていれば、半分こしておいたのに……」


 雪乃は少しだけ困ったように笑う。


「でも……もう食べちゃったけど」

「遅いよぉ……」


 そのやり取りを見て、みこはとうとう声を上げて笑った。


「なんだかんだで、やっぱり追兎天神駅にはケーキの落とし物は定番ですっ」

「そういう定番にしないでください」


 しおんは言うけれど、その声もどこかやわらかい。


「では残り六個を、改めて分けましょうか」

「うん……」


 まだ少し名残惜しそうにしながらも、うさぎはうなずいた。


 結局、残った六個はきれいにひとりひとつずつ分けることになった。


 みこは最初のひとくちで幸せそうに目を閉じ、アリスは「上品なお味ですわ」と満足そうに笑い、マリーは「やっぱケーキは正義」とよくわからないことを言い、しおんは静かに食べながらも少しだけ表情をやわらげていた。

 つむぎも、フォークでそっとひとくち切り分ける。


「……おいしい」


 その小さな声に、みこがすぐ反応する。


「つむちゃん、おいしいよねっ」


「……うん」


 つむぎはうなずいて、ほんの少しだけ笑った。


 休憩室には甘い匂いと、やわらかな笑い声が広がっていた。

 落とし物のケーキから始まった、いつものようににぎやかな時間。

 きっとまた、こういう日が来るのだろう。

 その時も、みんなきっと同じように少し悩んで、少し期待して、最後には笑うのかもしれない。


「……でも」


 うさぎが、まだ少しだけ名残惜しそうに雪乃の皿を見る。


「やっぱり、そのいちごショートがよかったなぁ……」


「そんなに?」


 雪乃がくすっと笑う。


「今度、ちゃんと買ってきてあげる」

「ほんと?」

「ほんと」


 その答えに、うさぎはようやく少しだけ機嫌を直した。

 みこがそんなふたりを見て、うれしそうに言う。


「それなら次は、落とし物じゃなくて最初から人数分を買ってきてもらうケーキですねっ」

「それが一番平和だね」


 うさぎがそう返すと、みんながまた笑った。


 追兎天神駅の夕方は、今日もやさしく、少しだけ甘かった。

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