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ひとひらびより  作者: 追川雪乃(追兎電鉄広報部)
お嬢様も、いつもの駅で

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わたしの制服

挿絵(By みてみん)


 その日の追兎天神駅は、朝からいつも通りだった。


 改札の前には通学の学生たち。

 切符売り場の前には、少し急ぎ足の人たち。

 そして駅の奥では、見慣れた顔ぶれがそれぞれの持ち場で動いている。


「おはようございますっ!」


 みこの元気な声が、朝の駅に明るく響いた。


「おはよう、みこちゃん」

「おはよー、みーちゃん」


 うさぎが返し、マリーが片手を上げる。


「おはようございます、みこさん」


 しおんの落ち着いた声が続き、


「おはようございますわ」


 と、アリスも小さく会釈した。


 その少し離れたところで、つむぎは静かに床を見ていた。


 朝の光の中では、ほんの小さな埃や砂もよく見える。

 人が多くなる前に気づいておけば、すぐにきれいにできる。


 つむぎは小さなほうきで、改札脇にたまっていた砂をそっと集めた。


 音を立てないように。

 邪魔にならないように。

 でも、きちんと。


「つむちゃん、ありがとう」


 通りかかったうさぎが声をかける。


「そこ、気づかなかった」

「……ううん。わたしが気づいただけ」

「それがすごいんだよ」


 うさぎがやわらかく笑うと、つむぎは少しだけ目を伏せた。


「……そうかな」

「そうだよ」


 短いやり取りのあと、うさぎは改札のほうへ向かっていく。

 つむぎは残った砂をちりとりに集めながら、ほんの少しだけ口元をやわらげた。

 追兎天神駅で過ごす時間は、前よりずっと自然なものになっていた。


 最初は、手伝っていいのかも、ここにいていいのかも、よくわからなかった。

 でも今は、やることがある。

 気づくことがある。

 自分にも、この場所でできることがある。


 そう思える時間が、少しずつ増えていた。


「つむぎさん」


 その時、後ろからしおんの声がした。


「はい……?」

「こちらの案内板、少し傾いているのですが、直せますか」

「……うん」


 つむぎはすぐに立ち上がり、案内板の前へ行く。

 角度を見て、少し持ち上げて、位置を整える。


「これで……どう?」

「ええ、ちょうど良いです。ありがとうございます」

「……うん」


 つむぎが戻ろうとすると、今度はみこが駆け寄ってきた。


「つむちゃん、こっちこっち!」

「どうしたの?」

「ホームのベンチの下に、どんぐりみたいなの落ちてるんです!」

「どんぐり“みたい”なの?」

「見たらわかりますっ!」


 そう言って腕を引っ張られ、つむぎは小さく笑った。


「……行くから、急がないで」


 追兎天神駅の日常は、今日もそんなふうににぎやかだった。


 午前の忙しさがひと段落したころ。

 つむぎはホームの端に置かれた小さなごみ箱を整えていた。


 袋の口を直し、まわりに落ちた紙くずを拾う。


 その時だった。


「つむぎちゃん」


 不意に、やわらかな声がかかる。

 振り向くと、そこには駅長と駅員が立っていた。


「はい」


 つむぎは思わず背筋を伸ばした。

 怒られるようなことをした覚えはない。

 それでも駅長に呼ばれると、少しだけ緊張する。


 駅長は、いつものように穏やかに微笑んでいた。


「ちょっといいかな」

「……はい」


 つむぎはごみ箱のふたを閉め、小さくうなずいた。


 休憩室の奥。


 みんながまだ表に出ている時間で、そこには駅長と駅員、そしてつむぎがいた。


「失礼します……」

「そんなに固くならなくて大丈夫だよ」


 駅員がやさしく言った。

 駅長は机の上に置いてあった包みを、そっとつむぎの前へ出す。

 きれいに畳まれた布の包みだった。


「つむぎちゃんに」


 駅長は、それだけ言った。


「……わたしに?」


 つむぎは目を瞬いたまま、その包みを受け取った。

 思っていたより少しだけ重い。


 駅員が、にこりと笑う。


「開けてみて」

「……はい」


 つむぎは、そっと布をほどいた。

 中に入っていたのは、見覚えのある制服だった。


 追兎天神駅の駅員制服。


「……え」


 小さな声が漏れる。


「つむぎちゃん用の制服だよ」


 駅員が説明する。


「サイズも確認してある。雪乃さんが、ずいぶん張り切ってくれてね」

「……わたしの」


 つむぎは制服を見つめたまま、しばらく動けなかった。


 よく知っている制服だった。

 うさぎが着ている。

 マリーが着ている。

 みこが着ている。

 追兎天神駅の子たちが着ている制服。


 その制服が、今、自分の手の中にある。


「でも……」


 ようやく出た声は、ひどく小さかった。


「わたしが、着ても……いいんですか」


 駅員は、静かにうなずいた。


「もちろん。これは、つむぎちゃんのために用意したものだから」

「でも、わたし……」


 つむぎは制服を見つめたまま、言葉を探した。


 まだ、自分はそこまでではない気がする。

 まだ、みんなみたいに明るく働けない。

 まだ、自分がここにいていい理由を、ちゃんと言葉にできない。


 そんな気持ちが、喉の奥につかえていた。


 駅員は、その迷いごと受け止めるように、ゆっくり続けた。


「つむぎちゃんは、目立つことをたくさんするタイプじゃないよね」

「……」

「でも、誰も見ていないところをきれいにしてくれる。案内板の小さなずれに気づいてくれる。困る前に、そっと動いてくれる」


 つむぎは顔を上げた。


「そういう仕事も、駅にはとても大事なんだよ」

「……」

「追兎天神駅は、つむぎちゃんにたくさん助けてもらってる」


 その言葉は、大きくはなかった。

 でも、つむぎの胸の奥へ、まっすぐ届いた。


 駅長が、静かに言った。


「ちゃんと、見ているよ」


 それだけだった。

 けれど、その一言は、駅員の説明よりもさらに深いところへ落ちてきた。


 つむぎは、もう一度制服を見た。


 指先で、そっと布地に触れる。

 やわらかい。

 でも、ちゃんとした重みがあった。


「……はい」


 そう返した時、自分の声が少し震えていることに気づいた。


 それからしばらくして。


「駅員さん、あの書類どこ置けば――って」


 休憩室の戸を開けたマリーが、ぴたりと止まった。


「えっ」


 その後ろから、うさぎとみこも顔をのぞかせる。


「どうしたの?」

「わっ……」


 みこの目が、すぐに大きくなった。


 つむぎは休憩室の隅で、制服を着て立っていた。


 まだ少しだけ落ち着かない顔。

 袖も、襟も、ちゃんと整っているのに、本人だけがどこかそわそわしている。


 でも、その姿は確かに――追兎天神駅の制服姿だった。


「つむちゃん……!」


 みこが一歩前に出る。


「わぁ、お揃いだね」


 その声は、まっすぐで、うれしそうで、少しも迷いがなかった。


 つむぎが目を瞬く。


「……お揃い」

「うんっ。みこの制服とお揃いですっ」

「そっか……」


 つむぎの目が、少しだけやわらぐ。


 その横で、うさぎも自然に笑っていた。


「つむちゃん、似合ってるよ」


 その一言に、つむぎは今度こそちゃんと顔を上げた。


「……ほんとですか?」

「ほんとに。すごく自然」

「うんうん」


 マリーも大きくうなずく。


「思ってた通り、似合うじゃん。ちゃんと“追兎天神駅の子”って感じ」

「ええ、とてもよくお似合いです」


 しおんも静かに言う。


「落ち着いた雰囲気が、そのまま制服にも合っています」

「つむちゃん、すてきですわ」


 アリスまでにこにこしている。


 そんなふうに次々に言われて、つむぎは困ったように目を伏せた。

 でも、困っているというより、照れている顔だった。


「……なんか」

「うん?」


 うさぎが聞き返す。


「まだ、ちょっと変な感じ」


 つむぎは制服の袖をそっとつまんだ。


「これ……ほんとに、わたしのなんだって思うと」


 その言葉に、休憩室の空気が少しだけやわらかくなる。

 うさぎはつむぎの姿をもう一度見た。

 たしかに少し照れていて、少し落ち着かなくて、でもうれしそうだった。

 それはきっと、制服が似合うからだけではない。

 この制服が、自分のものになったことを、つむぎ自身が少しずつ受け取っているからだ。


「じゃあ、なおさら大事にしないとね」


 うさぎがそう言うと、つむぎは小さくうなずいた。


「……うん」

「今日はそのまま働いてみる?」


 マリーが楽しそうに言う。


「絶対そっちの方がいいって」

「えっ、いきなり?」


 つむぎが目を丸くする。


「いいじゃん、見たいし」

「そうですね」


 しおんが続ける。


「実際に動いたほうが、すぐ慣れると思います」

「みこは、つむちゃんと一緒に立ちたいですっ!」


 みこが元気よく手を挙げる。


「つむちゃん駅員さん、ですっ!」

「駅員さん……」


 つむぎはその呼び方を、小さく繰り返した。


 まだ少し実感のない響き。

 でも、嫌ではなかった。


 むしろ胸の奥に、あたたかく落ちてくる。


「……じゃあ」


 つむぎはみんなを見て、それからもう一度、自分の袖口を見る。


「少しだけ、着たままでいる」

「少しだけじゃなくていいよー」

「まずは少しずつ、でいいんじゃないかな」


 駅員がそう言うと、マリーが「駅員さんまで保護者みたい」と笑った。


 駅長は、いつものようにただ微笑んでいた。


 そのあと、制服姿のつむぎは、少しだけぎこちない足取りで改札前へ立った。

 最初は袖が気になって、襟が気になって、歩き方まで変になりそうだった。


 でも、


「つむちゃん、こっちの時刻表ちょっと見ててくれる?」

「……うん」

「ありがとう。助かる」


 うさぎにそう言われて。


「つむちゃんっ、これ運ぶの手伝ってくださいっ」

「……わかった」


 みこに呼ばれて。


「つむぎさん、その箱はこちらで大丈夫です」

「……うん、ありがとう」


 しおんに声をかけられて。


 そうしてひとつずつ動いているうちに、不思議と少しずつ落ち着いてきた。


 制服の重みも、袖の感触も、さっきより自然になっていく。


 改札前のガラスに、ふと自分の姿が映る。

 見慣れないはずのその姿は、でも思っていたほど遠くなかった。


「……」


 つむぎは足を止めて、ほんの少しだけその姿を見つめた。


 追兎天神駅の制服。

 それを着た、自分。


 まだ自分の制服姿には、ちょっとおかしい気がする。


 でも、似合わないとも思わなかった。


 そこへ、駅長と駅員が通りかかった。

 そっと声をかける。


「どうかな。少しは慣れそう?」


 つむぎは、制服の胸元をそっと押さえた。


「……まだ、ちょっと変な感じです」

「そっか」


 駅員はやわらかく笑った。


「最初は、みんなそうだよ」

「みんな……?」

「うん。うさぎちゃんも、マリーちゃんも、最初は少し緊張していたからね」

「……そうなんですか」

「そうだよ。制服って、ただ着るだけじゃなくて、少しずつ自分のものになっていくものだから」


 つむぎは、もう一度ガラスに映った自分を見た。


「少しずつ……」

「うん。つむぎちゃんのペースでいい」


 駅員の言葉に、つむぎは小さくうなずいた。


 そして、少しだけ息を吸う。


「でも」


 つむぎは静かに言った。


「……うれしいです」


 駅長が、ほんの少しだけ目を細めた。


「それなら、よかった」


 それだけ言って、またいつものように歩いていく。

 ぶっきらぼうではないけれど、多くを語るわけでもない。

 その背中にはちゃんと、見守ってくれている人のあたたかさがあった。


 つむぎは制服の袖をもう一度そっと撫でた。


 これはもう、借り物ではない。

 見慣れた誰かの服でもない。


 自分が受け取った、自分の制服だ。


 少し離れたところで、みこが大きく手を振っている。


「つむちゃーん!」

「つむちゃん駅員さんっ!」


 その呼び方に、つむぎは思わず小さく笑った。


「……いま行く」


 そう返して歩き出す足は、さっきよりほんの少しだけ軽かった。


 追兎天神駅の一日は、今日もいつも通りに過ぎていく。

 けれど、そのいつもの中に、つむぎの新しい一歩がちゃんと加わっていた。

 胸の奥に残るのは、まだ少し照れくさくて、でもたしかにあたたかい気持ち。

 それはきっと、制服の重みだけじゃない。

 この場所にいていいのだと、少しだけ信じられたことの重みでもあった。


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