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ひとひらびより  作者: 追川雪乃(追兎電鉄広報部)
お嬢様も、いつもの駅で

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つむちゃん、駅に行く


 二学期が始まってから、みことつむぎは一緒に帰ることが増えた。


 朝も一緒に登校して、帰りも途中までは同じ道を歩く。

 同じクラスになったことが、つむぎにとってどれだけ大きかったかは、本人があまり口にしなくても、みこにはなんとなく伝わっていた。


 最初のころより、つむぎは学校でよく笑うようになった。

 休み時間に声をかけられて、少し困ったようにしながらもちゃんと答えている。

 みこの隣でお弁当を食べる時の表情も、もう朝ほど固くはない。


「今日は、つむちゃん疲れてない?」


 下校途中、みこがそう聞くと、つむぎは少しだけ考えてからうなずいた。


「少しだけ」

「でも、前よりは大丈夫です」


「よかった!」


 みこはすぐに笑う。


「最初の日なんて、つむちゃん、朝からすごく緊張してたもんね」

「だって、初めての学校でしたし……」

「でも、今はだいぶ慣れてきたでしょ?」

「はい」


 つむぎはやわらかく笑った。


「みこちゃんがいるので」


 その一言に、みこはぱっと顔を明るくした。


「えへへ」


 まっすぐで、いつも通りの反応だった。


 追兎中学から追兎天神駅までは、それほど遠くない。

 帰り道の途中にあるから、みこにとってはもう、家へ帰る前に立ち寄るのが自然な場所になっている。


 その日も、みこはいつものように駅のほうへ足を向けた。


「じゃあ、ちょっとだけ寄っていくね」

「駅ですか?」

「うん!」


 みこは元気よくうなずく。


「少しだけ、お掃除のお手伝いするの」


 つむぎは、その言葉に足を止めかけた。


「えっ」

「帰る前に、ですか?」

「はいです!」


 みこはまったく迷いがない。


「すぐ終わるから大丈夫だよ」

「つむちゃんも、一緒に来る?」


 つむぎは少し迷った。


 断る理由はない。

 でも、みこみたいに「駅に行くこと」が当たり前になっているわけでは、まだない。


 あの日、駅長に「また来てもいい」と言ってもらった。

 うさぎもしおんも、帰る時には「つむちゃん」と呼んでくれた。


 うれしかった。

 それは本当だ。


 でも、その言葉に甘えて、何度も行っていいのかと言われると、まだ少しだけためらう気持ちもあった。


「……行っても、いいんでしょうか」


 つむぎが小さく聞くと、みこはきょとんとしたあと、すぐに言った。


「いいに決まってるよ!」


 その答えがあまりにも迷いなくて、つむぎは少しだけ笑ってしまう。


「じゃあ……少しだけ」

「うん!」


 みこは嬉しそうにうなずいた。


「今日はたぶん、うさ姉さまもいると思うよ」

「そうなんですね」

「それに駅長さんも、駅員さんも、みんなやさしいから!」


 その言い方が、前にも聞いたな、とつむぎは思った。

 駅へ初めて連れてきてもらった時も、みこは同じように言っていた。


 あの時は、ほんとうかな、と半分くらい思っていた。

 でも今はもう、その言葉を少し信じている。


****


 追兎天神駅に着くと、ちょうど改札の近くで駅員が書類を抱えて事務室へ入っていくところだった。


「あ、こんにちはー!」


 みこが元気よく声をかける。


 駅員は振り返って、少しほっとしたように笑った。


「ああ、みこちゃん」

「今日も来てくれたのか」

「はいです!」


 それから、みこの横にいるつむぎにも気づく。


「あれ、白鷺さんも一緒なんだね」

「は、はい」


 つむぎは少しだけ緊張しながら会釈した。


「おじゃまします」

「おじゃまなんてことはないよ」


 駅員はそう言ってから、少しだけ困った顔になった。


「……いや、今日はちょっと事務室がばたばたしてるんだけど」

「じゃあ、みこ、お掃除してきます!」


 みこはすぐに言った。


「それなら助かるな」


 駅員が本気で助かった顔をしたので、つむぎは少しだけ目を丸くした。


 みこの“お手伝い”は、本当に役に立っているのだと、改めてわかる。


「じゃあ、つむちゃん」


 みこはつむぎのほうを向いた。


「すぐ終わるから、事務室で待ってて」

「えっ、でも……」

「大丈夫だよ」


 その時、奥から駅長が顔を出した。


「白鷺さんだったね」

「今日は少し忙しいけど、よかったら中で座って待っていなさい」

「はい……ありがとうございます」


 つむぎは、小さく頭を下げた。


「じゃあ、行ってきます!」


 みこは雑巾を持って、もうすっかり自分の仕事へ向かう顔になっていた。

 その後ろ姿を見送りながら、つむぎは事務室の椅子にそっと座る。


 室内には紙の音と、ペン先の音と、時々駅長や駅員が交わす短い言葉だけがあった。

 駅員は机に向かって、いくつかの帳簿を開いている。

 駅長はその横で別の書類を確認しながら、必要なことだけ静かに指示を出していた。


 つむぎは、最初はほんとうに“待っているだけ”のつもりだった。


 でも、目の前に広げられている数字が、どうしても見えてしまう。


 時刻。

 列車番号。

 乗降人数の集計。

 次の改正に向けて整理しているらしい細かな表。


 見ないようにしようと思っても、つい目が行ってしまう。

 そして、ある欄でつむぎの視線が止まった。


「……あれ」


 小さすぎる独り言だった。

 つむぎはもう一度見る。


 上の段の数字。

 右の欄の合計。

 その下に転記された数。


 ひとつだけ、合っていない。


 たぶん、書き写すときに一桁ずれたのだ。

 ほんの少し。

 でも、そのままだと次の表との整合が取れなくなる。


 つむぎは、じっと帳簿を見る。


 見間違いだろうか。

 自分の勘違いかもしれない。

 駅の仕事なんて、まだ何も知らない。

 中学生が横から口を出すことじゃないのかもしれない。


 でも、数字はやっぱり合っていなかった。


 駅員は気づかないまま、次の欄に進んでいる。

 駅長は別の書類を見ていて、まだそこまでは見ていないようだった。


 どうしよう。


 つむぎの指先が、膝の上で小さく動く。


 言ったほうがいい。

 でも、間違っていたら恥ずかしい。

 忙しい時に止めたら迷惑かもしれない。

 こんなふうに見ていたと思われるのも、少し気まずい。


 頭の中では、いろんな考えが一気に並ぶ。

 そうしているうちに、駅員のペンはさらに先へ進んでいく。


 このまま進んだら、あとで直すのがもっと大変になるかもしれない。


「あの……」


 つむぎの声は、とても小さかった。

 でも静かな事務室では、それで十分だった。


 駅員が手を止める。

 駅長も顔を上げる。


「どうしたの?」


 つむぎは一瞬だけ息をのんだ。

 やっぱりやめようか、という気持ちが、最後に少しだけ浮かぶ。


 でも、ここまで言ってしまったら、もう戻れない。


「その……」


 つむぎは帳簿の一か所を指さした。


「ここの所ですが……」


 駅員が身を乗り出す。


「ここ?」

「はい」


 つむぎは、できるだけ落ち着いて言葉をつないだ。


「上の数字と、ここの合計は合っているんですけど」

「その下に写した数字だけ、一つずれている気がして……」


 駅員は一瞬きょとんとして、すぐに元の表と見比べた。


「あっ」


 その声が、思ったより大きかった。


「ほんとだ……!」


 駅長も横から帳簿をのぞきこむ。

 しばらく無言で確認したあと、小さくうなずいた。


「これは見落としていたね」


 駅員が、ぱっとつむぎを見る。


「白鷺さん、よく気づいたね」

「助かったよ」


 つむぎはその言葉に、少しだけ目を見開いた。


「い、いえ……」

「たまたま見えてしまって」


「いや、たまたま見えても、気づかないことは多いよ」


 駅員は本気でそう言った。


「このままだと、次のダイヤ改正の資料までずれてたかもしれない」


 つむぎは、そこでやっと、自分が思っていたより大きなところを指摘したのだと知った。


 間違いじゃなかった。

 言ってよかった。


 胸の奥が、ほっとあたたかくなる。


 その様子を、駅長は静かに見ていた。


「キミは、もう少し落ち着いて確認すること」


 駅長が穏やかに言うと、駅員は少しだけ肩をすくめた。


「はい……」

「急いでいる時ほど、数字は逃げないからね」

「はい」


 それから駅長は、つむぎのほうを見た。


「つむぎちゃんだったよね」

「本当に助かったよ」

「いえ……」


 つむぎは少しだけ背筋を伸ばす。


「もしよかったら」


 駅長はやわらかく続けた。


「また来た時に、時々こうして見てもらえるかな」

「えっ」


 つむぎは目を丸くした。


「わたしが、ですか」

「うん」

「もちろん、一人で仕事を任せるわけじゃないよ」

「駅員の手伝いとして、ね」


 その言い方がやさしくて、つむぎは少しだけ安心する。


 駅員もすぐに言った。


「ほんとに助かったから」

「また来てくれたら、こっちもありがたいよ」


 ちょうどその時、廊下の向こうから、ぱたぱたと軽い足音がした。


「終わりましたー!」


 みこだった。


 雑巾を持ったまま事務室へ顔を出して、つむぎと駅長と駅員の顔を見比べる。


「あれ?」

「なにかあったんですか?」


 駅員が少し笑う。


「白鷺さんに助けてもらったんだよ」

「つむちゃんが?」


 みこは目を丸くした。

 つむぎは少し照れたように視線を落とす。


「帳簿の数字が、少しだけずれていて……」

「すごいです!」


 みこは、すぐに嬉しそうな顔になった。


「つむちゃん、駅のお手伝いできたんだね!」


 その言い方がまっすぐで、つむぎは思わず笑ってしまう。


「……うん」

「少しだけ」

「少しじゃないよ」


 駅長が言う。


「とても助かった」


 その言葉に、つむぎの胸がまた少しあたたかくなる。


 ただ遊びに来たわけじゃない。

 ただ待っていただけでもない。

 自分にも、この駅でできることがあった。


 みこのように元気よく動き回るわけじゃない。

 うさぎのように落ち着いて全体を見るわけでもない。

 しおんのように何でもそつなくこなせるわけでもない。


 でも、自分にしかできないことが、もしかしたら少しはあるのかもしれない。


「じゃあ、つむちゃんも」


 みこがにこにこしながら言う。


「これからは駅のお手伝い仲間だね!」

「えっ、もう決定なんですか?」

「はいです!」


 みこは元気よくうなずいた。


 駅員がくすっと笑う。

 駅長も、少しだけ目を細めた。


 つむぎはその空気の中で、小さく、でもはっきりとうなずいた。


「……はい」

「また、来ます」


 その答えは、前に駅長へ言った時よりも、少しだけ自信があった。


 みこと一緒に帰る頃には、空の色はもう夕方へ傾いていた。


「つむちゃん、すごかったね!」


 みこが、ずっと嬉しそうに言う。


「そんなに大したことじゃ……」

「大したことだよ!」

「だって、駅長さんも駅員さんも助かったって言ってたもん!」


 つむぎは少し照れながら、でももう否定しきれずに笑う。


 駅に来る理由が、ひとつできた。

 それはとても小さいことかもしれない。

 でも、つむぎにとってはちゃんと嬉しい理由だった。


 追兎天神駅は、みこの大切な場所だ。

 そして今日からは、つむぎにとっても、少しだけ“役に立てる場所”になったのだった。

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