つむちゃん!
二学期の始まりの朝は、夏休みの終わりとは少し違う空気があった。
まだ暑さは残っている。
蝉の声だって、完全には消えていない。
でも、制服に袖を通して家を出ると、それだけで気持ちが少し引き締まる。
みこは、いつもより少しだけ早く家を出ていた。
理由はもちろん、つむぎと一緒に登校するためだ。
「つむちゃーん!」
教会の前まで来ると、みこが元気よく声をかける。
しばらくして、扉が開いた。
「おはようございます」
つむぎが、少しだけ緊張した顔で出てくる。
新しい制服。
銀色の長い髪。
きちんと整えられた身だしなみ。
その姿はとても綺麗で、朝の光の中に立つと、なんだか少しだけ現実味が薄いくらいだった。
「おはよう、つむちゃん!」
みこは、そんなことはまるで気にせず、いつもの調子で笑う。
「制服、似合ってるね!」
「ありがとうございます……」
つむぎは少しだけ照れたように微笑んだ。
「みこちゃんも、今日から二学期ですね」
「はいです!」
「そして今日は、つむちゃんの初登校の日です!」
「そうですね……」
つむぎは小さくうなずく。
でも、その声には少しだけ固さが混じっていた。
みこはすぐに気づく。
「緊張してる?」
「……少しだけ」
つむぎは正直だった。
「やっぱり、初めての学校ですし」
「教会には戻ってこられましたけど、学校はまだ、何もわからないので……」
「大丈夫だよ!」
みこは迷いなく言った。
「みこがいるから!」
その一言が、あまりにもまっすぐで。
つむぎは思わず、小さく笑ってしまう。
「はい」
「それは、少し安心です」
「少しじゃなくて、もっと安心していいよ!」
みこは胸を張った。
「つむちゃんと同じクラスだったら、もっと安心です!」
「そうですね」
つむぎもやわらかく笑う。
「同じクラスだと、いいですね」
*
追兎中学へ向かう道のりは、それほど長くない。
でも今日は、その短さがありがたかった。
みこは歩きながら、途中で見かけた猫のことや、昨日しらたまがどうだったかや、教会のくろみつがどんなふうに丸くなっていたかを話していた。
つむぎはそれを聞きながら、時々「はい」とうなずき、時々小さく笑う。
ずっと緊張しっぱなしではなくていられるのは、たぶんみこのおかげだった。
校門が見えてくると、さすがに生徒たちの数も増えてきた。
「あっ、みこちゃんだ」
「おはよー」
同級生らしい子たちが、みこに声をかける。
「おはようです!」
みこは元気いっぱいに返事をする。
そして、その視線が自然につむぎへ向いた。
「あれ、その子は?」
「えへへ」
みこは少し得意そうに笑った。
「新しいお友達です!」
「お、お友達……」
つむぎはちょっとだけ困ったように微笑む。
でも、その紹介の仕方がどこか嬉しくもあった。
昇降口の前で、みこはつむぎのほうを向いた。
「じゃあ、ここからは一回別々だね」
「はい」
「クラス、同じだといいね!」
「はい」
つむぎは少し不安そうにうなずいた。
みこは、そんなつむぎの顔を見て、少しだけ声をやわらかくする。
「大丈夫だよ」
「……うん」
それだけで、つむぎはもう一度うなずけた。
*
始業式のあとの教室は、独特のざわつきがあった。
久しぶりに会う友達同士の声。
夏休みの出来事を話す声。
まだ落ち着ききらない椅子の音。
みこも、自分の席で隣の子と少しだけ話しながら、でもなんとなく落ち着かなかった。
つむぎ、同じクラスかな。
違ったらどうしよう。
もし違ったら、休み時間ごとに会いに行けるかな。
そんなことを考えていた、その時。
教室の扉が開いた。
先生が入ってくる。
そして、その後ろにもうひとり。
銀色の長い髪が、教室の光の中でやわらかく揺れた。
一瞬で、みこはわかった。
「つむちゃん!」
思わず、大きな声が出た。
教室中の視線が、いっせいにみこと扉のほうへ向く。
つむぎは少しだけ目を見開いて、それから、ほっとしたように小さくみこを見た。
「……みこちゃん」
先生が、少しだけ苦笑する。
「どうやら、知り合いがいるみたいだな」
教室の空気が、さっきまでとは少しだけ変わる。
「今日から、このクラスに新しい仲間が加わります」
みこは、もううれしさを隠しきれていなかった。
教壇の前に立ったつむぎへ、クラス中の視線が集まる。
その視線に悪意はない。
でも、少しだけ距離があった。
綺麗な子だ。
銀色の髪だ。
なんだか、すごく大人っぽい。
そんなふうに思われているのが、つむぎにもなんとなく伝わる。
だからこそ、最初の声はほんの少しだけ緊張していた。
「白鷺つむぎです」
静かな声だった。
「この街には、少し前に戻ってきました」
「まだ慣れないことばかりですけど、よろしくお願いします」
丁寧で、きちんとした自己紹介だった。
ざわっとした教室の空気が、少しだけ静かになる。
みこはその様子を見ていて、ちょっとだけむずむずした。
みんな、きっと驚いているのだ。
つむぎがあまりにも綺麗だから。
でも、それでちょっと距離ができるのは、みこはなんだか嫌だった。
先生が言う。
「じゃあ白鷺は――」
その席は、ちょうどみこの斜め後ろだった。
「わあ……!」
みこが思わず声を上げる。
先生が少しだけ笑う。
「そんなにうれしいか」
「うれしいです!」
つむぎは、そのやりとりを見て、ほんの少しだけ口元をゆるめた。
休み時間になると、予想通り、教室の空気は少しだけ不思議なものになった。
みんな、つむぎを気にしている。
でも、どう話しかけていいかわからない。
綺麗すぎる転校生、というだけで、最初の一歩が少しだけ難しくなるのだ。
つむぎは席について、静かに周りを見ていた。
自分から無理に話しかけるほどの勢いはない。
でも、だからといってうつむいて閉じているわけでもない。
その、ちょっとだけできた距離を、みこはあっさり飛び越えた。
「つむちゃん!」
すぐに席のそばへ行く。
「同じクラスだったね!」
「うん……」
つむぎの声が、朝より少しだけやわらかい。
「よかったです」
「みこも!」
みこは満面の笑みだった。
それから、すぐに周りの子たちを振り返る。
「この子ね、つむちゃんっていうの!」
その紹介は、自己紹介のあとにするには少し変かもしれない。
でもみこは気にしなかった。
「すっごく優しい子なんだよ!」
「教会のおうちの子で、お掃除もすごく頑張ってて」
「みこちゃん」
つむぎが少しだけ困ったように言う。
「そんなにいっぱい言われると、恥ずかしいです……」
「えへへ」
でも、みこの勢いに引っぱられるみたいに、周りの子たちの表情も少しずつやわらいでいく。
「教会のおうちって、あの街外れの?」
「うん!」
「えー、なんかすごい」
「髪、きれいだね」
少しずつ、声が近くなる。
つむぎは最初こそ少し戸惑っていたけれど、みこが間にいてくれるおかげで、答える余裕ができていた。
「ありがとうございます」
「教会は、最近戻ってきたばかりで……」
「まだ片づいてないところも多いんですけど」
「へえー」
「じゃあ、今度見に行ってもいい?」
「えっ」
つむぎが少し目を丸くする。
でも、その横でみこがすぐに言う。
「だめじゃないと思うけど、まずはみこと相談です!」
「なんでみこちゃんが窓口なの?」
つむぎが思わず聞くと、みこはきっぱりした顔で答えた。
「お友達だからです!」
その理屈は少し変かもしれない。
でも、つむぎはそれで少しだけ笑ってしまった。
昼休みには、もう最初の距離はだいぶ薄くなっていた。
もちろん、みんなと一気に仲良くなったわけではない。
でも、つむぎが“話しかけてはいけない子”ではないとわかっただけで、空気はずいぶん変わる。
その中心には、やっぱりみこがいた。
「つむちゃん、お弁当どこで食べる?」
「えっと……まだ決めてなくて」
「じゃあ一緒に食べよう!」
「う、うん」
その自然さに、つむぎは少しだけ驚く。
でも、ありがたかった。
新しい学校。
新しい教室。
新しい席。
本当なら、きっともっと緊張していたはずだ。
でも今日は、朝からずっと、みこがいた。
登校の時も。
教室に入ってきた時も。
休み時間も。
その存在が、思っていた以上に心強かった。
放課後。
教室を出て、昇降口へ向かう途中で、つむぎはようやく大きく息をついた。
「つかれた?」
みこが聞く。
「少しだけ」
つむぎは正直にうなずいた。
「でも、思っていたより大丈夫でした」
「ほんと?」
「うん」
つむぎは少し考えてから、やわらかく笑う。
「みこちゃんがいたから」
その一言に、みこはぱっと顔を明るくした。
「えへへ」
すごくうれしそうだった。
「みこも、つむちゃんが同じクラスでよかった!」
「わたしもです」
つむぎは、今度は迷わずそう言えた。
校門を出るころには、朝の緊張はほとんどもう残っていなかった。
もちろん、これからまだ知らないことはたくさんある。
教室での毎日も、勉強も、みんなとの距離も、少しずつこれからだ。
でも、ひとつだけは最初からわかっていた。
自分は、ひとりじゃない。
「明日も一緒に行こうね!」
みこが元気いっぱいに言う。
「はい」
つむぎは、はっきりとうなずいた。
「明日も、よろしくお願いします」
その声は、朝よりもずっと軽かった。
新しい学校の、最初の一日。
その始まりに、みこが同じクラスにいてくれたことは、つむぎにとって、なにより大きな救いだったのかもしれない。




