はじめての清音寺駅
うさぎたちを乗せた電車が、追兎天神駅のホームを離れていったあとも。
みこは、しばらくその場に立ったままだった。
さっきまで見えていた車両は、もう小さくなっている。
うさ姉さまたちの姿なんて、とっくに見えない。
それでも、なんとなくすぐには動けなかった。
「……行っちゃったです」
ぽつりとこぼした声は、自分で思っていたより小さかった。
駅長が、その横に立つ。
「三日間だけだよ」
「はいです」
みこは元気よく返事をしようとして、少しだけ失敗した。
たった三日。
たった三日だけど、いまのみこには、少し長く感じられた。
清音寺駅。
清音寺の近く。
海も近い。
きっと普段とはぜんぜん違う、特別な駅なんだろう。
本当は、自分も一緒に行くつもりだったのだ。
でも、みこは追兎天神駅で特別にお手伝いをしている立場だから、正式な応援要員としては行けない。
それはちゃんとわかっている。
わかっているけれど。
わかっているからって、さみしくないわけじゃない。
「……よし」
みこは小さく気合いを入れると、ほうきを持ち直した。
「しっかり追兎天神駅のお掃除をします!」
駅長はその声を聞いて、やわらかく目を細めた。
「うん。頼りにしてるよ」
「はいです!」
元気な返事だった。
でも、みこがいつもより少しだけ静かなことに、駅長はちゃんと気づいていた。
追兎天神駅は、今日もいつも通りだ。
改札があって、ホームがあって、電車が来て、また出ていく。
床を掃いて、手すりを拭いて、ごみをまとめる。
みこはいつものように動いていた。
ちゃんとお仕事をしている。
手は抜いていない。
むしろ、少しだけいつもより丁寧なくらいだった。
けれど、元気いっぱいかと言われると、そうではない。
掃除をしながら、ふとした時に視線が遠くへ行く。
ほうきを動かしながら、考えごとをしている顔になる。
きっと、清音寺駅のことを考えているのだろう。
駅長は、少し離れた場所からその様子を見ていた。
辛いだろうに。
行きたかっただろうに。
それでもちゃんと、自分の役目をしっかりやっている。
その健気さが立派で、うれしくて――同時に、少しだけ胸が痛んだ。
一緒に行かせてやれたらよかった。
でも、駅の決まりがある以上、それは簡単にはできない。
「みこちゃん」
「は、はいです!」
みこがあわてて振り向く。
「少し休憩しようか」
「まだ大丈夫です!」
「無理しなくていいんだよ」
駅長がそう言うと、みこはちょっとだけ視線を下げた。
「……無理、してません」
それから小さくつけ足す。
「たぶん」
駅長は思わず笑ってしまった。
「そうかもしれないね」
みこも、えへへ、とほんの少しだけ笑う。
でもやっぱり、いつもの元気いっぱいの笑顔よりは、少しだけ力がなかった。
一方そのころ。
うさぎたち四人は、見慣れない景色の中を電車に揺られていた。
窓の外には、強い夏の光。
緑の向こうに、ときどき空が大きく開ける。
「なんか、ほんとに遠くまで来た感じするね」
マリーが窓の外を見ながら言う。
「さっきからちょっと浮かれすぎじゃない?」
うさぎが言うと、マリーは笑った。
「だって、特別な駅だよ?」
「しかも海が近いんでしょ?」
「お仕事だよ」
「わかってるってー」
そのやりとりを聞きながら、アリスが静かに窓の外を眺める。
「清音寺駅……」
「どんなところなのでしょう」
「きっと忙しいと思います」
しおんが落ち着いた声で答えた。
「お盆で人が集まる清音寺のための駅ですから」
「そうだよね」
うさぎもうなずく。
少し楽しみな気持ちもある。
でも、それ以上に、ちゃんとやらなくちゃという気持ちが強かった。
今回は遊びではなく、応援勤務だ。
追兎天神駅から来た四人として、みっともないことはできない。
清音寺駅に着いた時、最初に感じたのは熱気だった。
日差しの強さもある。
海に近いせいか、風の匂いも少し違う。
けれど何より、人の気配が近い。
「……ここが清音寺駅」
うさぎが小さくつぶやく。
駅そのものは大きくない。
でも、お盆の三日間だけ開く場所とは思えないくらい、ちゃんと“駅”の顔をしていた。
ホーム。
待合のスペース。
簡易な案内板。
そして、見慣れない腕章をつけた応援の生徒たち。
「追兎天神駅からの四人ですね」
最初に声をかけてきたのは、きびきびした雰囲気の女子生徒だった。
黒髪をひとつにまとめていて、立ち姿にもどこか慣れた感じがある。
そのすぐ後ろには、にこにことした明るい子と、少しおとなしい雰囲気の子が並んでいた。
「はい」
うさぎが答えると、その子は軽くうなずいた。
「私は夏原透子。こっちが水城葉月と、牧瀬紗枝」
「三日間よろしくね」
「よろしくお願いします」
うさぎたちも頭を下げる。
「よろしくねー」
葉月が気さくに手を振る。
「忙しいけど、一緒にがんばろう」
紗枝も、小さく会釈した。
「……よろしくお願いします」
その時、透子の視線がアリスのところで止まった。
「……あれ?」
悪気のない声だった。
「小さい子も一緒なんだ」
一瞬、空気が止まる。
アリスのまつ毛がぴくっと揺れたのを、うさぎは見逃さなかった。
「失礼ですわ」
とても小さな声だったけれど、たしかにそう言った。
透子はそこまでは気づかなかったらしく、少しだけ困ったように笑う。
「ごめんごめん。でも、ちゃんと仕事してよね?」
「忙しいから、遊び半分だと困るし」
「もちろんですわ」
アリスは、にこりと微笑んだ。
その笑顔は上品だった。
でも、うさぎにはわかる。
――あ、これ、負けず嫌いに火がついた顔だ。
しおんも同じことを思ったらしく、静かにアリスを見る。
「お嬢様」
「大丈夫ですわ、しおん」
ふわりと笑うアリス。
けれどその瞳には、いつもより少しだけ強い光があった。
「でもまあ、葉月たちより落ち着いてるかも」
葉月がくすっと笑いながら言う。
「えっ、そこ比べる?」
透子が振り返る。
「透子だって、初めて会った日もっと顔こわかったよ」
「葉月、いま言わなくていいでしょ」
葉月はまったく悪びれずに笑った。
その横で、紗枝が静かにアリスを見た。
「……たしかに、ちゃんとしてそう」
短い一言だったけれど、変に子ども扱いする響きはなかった。
アリスはその言葉に、ほんの少しだけ顎を上げる。
「当然ですわ」
小さな声だったけれど、きっぱりしていた。
透子が一瞬だけ目を丸くして、それから少し笑う。
「へえ」
その返事が、ほんの少しだけ楽しそうに聞こえた。
それから先のことは、気がつけば夕方になっていた、としか言いようがなかった。
慣れない場所。
慣れない流れ。
次から次へと来る人。
そして容赦のない夏の暑さ。
清音寺駅の一日目は、うさぎたちにとって想像以上に大変だった。
「……つかれたぁ……」
清音寺の離れに案内されるなり、マリーが畳の上にぺたんと座りこんだ。
「もう、今日は一歩も動けないかも」
「わたくしもですわ……」
アリスまで、めずらしくその場に座りこんでいる。
うさぎも荷物を下ろして、小さく息を吐いた。
「思ってたより、ずっと大変だったね」
「はい」
しおんがうなずく。
「ですが、なんとか初日は終えられました」
離れの窓の外には、夕方のやわらかな光が差していた。
その向こうに、少しだけ海の気配が見える。
マリーが力なく笑う。
「海、ほんとに近いんだね」
「うん……」
うさぎも窓のほうを見る。
「でも、遊びに行く元気なんてないかも」
「みこちゃんがいたら、絶対に“海行こう!”って言ってますわね」
アリスがくたくたのまま言った。
その言葉に、四人とも少しだけ笑う。
「言いそう」
「たぶん、着いてすぐ言います」
「しかも花火もしたいって言いそう」
「肝試しまで言い出しそうですわ」
そんなふうに話しているうちに、自然とみこの顔が思い浮かぶ。
いまごろどうしてるかな。
ちゃんとお掃除してるかな。
それとも、ちょっとしょんぼりしてるかな。
「戻ったら、いっぱい話してあげないとね」
うさぎがぽつりと言うと、みんなが静かにうなずいた。
そのころ。
追兎天神の家では、みこがしらたまを抱いて縁側の近くに座っていた。
しらたまはおとなしく腕の中に収まっている。
ふわふわの毛を撫でるたびに、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「しらたま……」
みこが小さく呼ぶと、しらたまはのんびりと目を細める。
その様子を見て、宮司である父が部屋の奥から声をかけた。
「どうしたんだい、みこ」
「……うん」
みこはしらたまを抱いたまま、清音寺駅のことを父に話した。
「わたしも清音寺駅、行きたかったなって」
「そうか」
「うさ姉さまたち、いまごろ頑張ってるです」
「一緒に行きたかったです」
父はやさしくうなずいた。
「それは残念だったね」
「はいです……」
「でも、駅のお仕事だから、それは仕方がないよ」
「……うん」
みこも、それはわかっていた。
わかっているからこそ、余計にさみしい。
父は少しだけ考え込む。
清音寺駅。
清音寺。
お盆。
人手が必要な時期。
そして、ふと頭に浮かぶ顔があった。
――あの清音寺の住職なら。
「みこちゃん」
「はいです……」
返事はしたけれど、みこの耳にはあまり入っていないようだった。
しらたまの背中を撫でながら、ぼんやりと前を見ている。
父はそんな娘の様子を見て、小さく笑った。
「いや、なんでもないよ」
「はいです……」
その夜。
みこが眠ったあとで、父は静かに電話を手に取った。
「……もしもし、夜分に失礼します」
相手は、お盆の時期に多くの人が訪れる、あの清音寺の住職だった。
みこを、清音寺のお手伝いとして働かせてやってほしい。
そんな相談の言葉が、夏の夜の静けさの中へ、そっと落ちていった。




