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ひとひらびより  作者: 追川雪乃(追兎電鉄広報部)
お嬢様も、いつもの駅で

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夏の清音寺駅

挿絵(By みてみん)



 その日、追兎天神駅の事務室には、いつもより少しだけ落ち着かない空気が流れていた。


 開けた窓の向こうから、蝉の声が元気よく聞こえてくる。

 机の上には冷たい麦茶の入ったグラスが並び、うさぎたちは自然と机を囲むように座っていた。


 そこに駅長と駅員がやってきた。

 そして駅員がうさぎたちに言う。


「はい。今日はみなさんに、大事なお話があります」


「大事なお話ですの?」


 アリスがきちんと姿勢を正す。

 マリーも興味津々という顔で身を乗り出した。


「なになに? 新しいイベントとか?」

「そんな感じですか?」


 駅員は小さく笑ってから、机の上に一枚の地図を広げた。


「追兎電鉄の沿線には、清音寺というお寺があります」

「お盆の時期になると、そこへ参拝に向かう方が毎年たくさんいらっしゃるんです」


「清音寺……」

 うさぎが地図をのぞき込みながらつぶやく。


「山のほうにあるんですね」

「はい。静かな場所ですが、お盆の三日間だけはとても賑わいます」


 みこが目を丸くした。


「そんなにたくさん人が来るんですか?」

「はい。昔からこのあたりでは、お盆に清音寺へお参りする習わしがあるんです」


「なるほどです……」

 みこは素直に感心したようにうなずいた。


 駅員は、地図の中の小さな印を指先で示した。


「そして、その参拝客のためにだけ開く臨時駅があります」

「名前は――清音寺駅です」


「清音寺駅……!」

 マリーの顔がぱっと明るくなる。


「三日間だけ開く駅ってこと?」

「はい。普段は営業していませんが、お盆の間だけ特別に使われる小さな駅です」


「わあ……」

 みこがきらきらした目になる。


「そんな駅があるんですね!」

「ありますのね……」


 アリスも少し驚いたように地図を見つめていた。


 期間限定で開く、特別な駅。

 それだけで、うさぎの胸も少しだけ高鳴る。


 いつもの追兎天神駅とは違う場所。

 少し遠くて、少し知らなくて、少しだけ特別な駅。


 駅員は、そのまま話を続けた。


「今年は、その清音寺駅の応援を追兎天神駅のみなさんにお願いしたい、という話が来ています」


「応援……」

 うさぎは思わず、隣のマリーと顔を見合わせた。


 マリーはすぐに目を輝かせる。


「いいじゃん、それ!」

「しかも、お盆の時期ってことは……海の近くだったりする?」


 駅員が少しだけ困ったように笑う。


「近いですね」

「やった!」

「やったです!」


 マリーとみこがほとんど同時に声を上げた。


「海だよ、うさちゃん!」

「お仕事のあと、ちょっとくらい見られるかもしれません!」


「海……」


 うさぎも、ほんの少しだけ想像してしまう。


 知らない町。

 小さな清音寺駅。

 潮の匂いのする夏の空気。


 なんだか小さな旅みたいで、わくわくする。


 けれど、その空気をやわらかく区切るように、駅長がひとことだけ言った。


「仕事だよ」


 一瞬で、みんなの背筋が伸びた。


「はぁい……」

 マリーがちょっとだけ肩を落とす。


「わかってるけどさあ」

「わかっているなら、いい」


 駅長はいつものように穏やかに笑っただけだった。


 そのあとを受けるように、駅員が説明を続ける。


「清音寺駅は、普段の追兎天神駅とは勝手が違います」

「お寺へ向かう方の案内、乗り降りの補助、混雑時の誘導など、いつも以上に丁寧な対応が必要になると思ってください」


「はい」

 うさぎがしっかりとうなずく。


「今回お願いしたいのは、うさぎちゃん、マリーちゃん、アリスちゃん、しおんちゃんの四人です」


「がんばります!」

 マリーが明るく返事をする。


「お任せくださいませ」

 アリスが胸を張るように言い、しおんも静かに一礼した。


「承知いたしました」


 その横で、みこも当然のように姿勢を正した。


「はいです!」


 けれど、その返事のあとで、駅員は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。


「……みこちゃんは、今回は同行できません」


「え?」


 みこの表情が止まる。


「行けない……んですか?」


「はい」

 駅員はやさしくうなずいた。


「今回は正式な応援要請ですので、追兎天神駅で特別にお手伝いしているみこちゃんは対象に入らないんです」


 事務室の空気が、ほんの少しだけ静かになった。


 みこの目が、ゆっくりまばたきをする。


「そう……ですか……」


 さっきまできらきらしていた表情が、少しだけしょんぼりと沈む。


 うさぎはその横顔を見て、胸のあたりがきゅっとした。


 きっと、最初から一緒に行くつもりで聞いていたのだと思う。

 海が近いとか、清音寺駅だとか、三日間だけとか。

 そういう言葉を聞くたびに、わくわくしていたはずだ。


 それなのに、自分だけ行けない。


 それはきっと、かなりさみしい。


「みこちゃん……」


 うさぎが声をかけると、みこははっとしたように顔を上げた。


 それから、無理に明るくしようとするみたいに笑う。


「だ、大丈夫です!」

「四人で頑張ってきてください!」


「でも……」

「みこは、追兎天神駅のお手伝いですから!」


 元気な声だった。

 でも、元気すぎて、ちょっとだけ胸が痛くなる。


 マリーも珍しく、すぐには軽い言葉を返せなかった。

 アリスは何か言いたそうにしていたけれど、しおんが静かにその様子を見守っていた。


 駅員は咳払いをひとつして、話を先へ進める。


「宿泊についてですが、清音寺駅そのものには宿泊設備がありません」

「そのため、今回は清音寺の離れをお借りしています」


「お寺の離れですの?」

 アリスが少し目を丸くする。


「はい。参拝客用ではなく、関係者が使う建物だそうです」

「今回はそこに泊まり込んで、三日間対応していただきます」


「泊まりなんだ」

 うさぎが小さくつぶやく。


「ほんとに合宿みたいじゃん」

 マリーが言う。


「だから、お仕事だってば」

 うさぎはそう返したけれど、自分でも少しだけそう思ってしまっていた。


 三日間、知らない駅で働いて、夜はお寺の離れで過ごす。

 たしかに特別だ。


「集合は明後日の朝です」

「今日はそのための説明と、準備の確認になります」


「はい」

 四人がうなずく。


 その横で、みこも「はいです」と返事をした。

 けれど、その声はさっきより少しだけ小さかった。


 それからしばらく、駅員は清音寺駅での仕事について詳しく説明していった。


 清音寺駅の位置。

 清音寺までの道。

 参拝客が多くなる時間帯。

 混雑時の注意点。


 うさぎはしっかり聞いていたけれど、途中で何度か、みこのほうを見てしまった。


 みこはちゃんと椅子に座っている。

 ちゃんと聞いている。


 でも、いつものみこみたいに、ぱっと反応したり、元気よく身を乗り出したりはしていなかった。


 机の上の麦茶のグラスについた水滴を、指先でちょんと触っている。


 行きたかったんだろうな、と思う。


「……以上です」


 説明が終わると、マリーが少しだけ背伸びをした。


「よーし、なんだか本格的になってきた!」

「向こうの駅、どんな感じなんでしょう」


 アリスも少し緊張したように言う。


「お寺の近くですから、いつもとは違う雰囲気かもしれませんわね」

「しおんちゃんは平気そうだね」


 うさぎが言うと、しおんは静かに首をかしげた。


「初めての場所ですので、不安がないわけではありません」

「ですが、せっかくの機会ですから、できることをしたいと思います」


「うん……」


 うさぎがうなずいた、その時だった。


「みこも!」


 急に、みこが顔を上げた。


 一瞬、みんながそちらを見る。


 みこは、自分でも今の言葉に驚いたみたいに、少しだけ目をぱちぱちさせた。

 それから、えへへ、と笑おうとして、でも少しだけうまく笑えなかった。


「……みこも、頑張ってほしいです」


 うさぎは、その顔を見て少しだけ切なくなる。


 言いたいのは、きっとそれだけじゃない。

 本当は、自分も行きたい。

 一緒にいたい。

 同じ景色を見たい。


 でも今は、それを飲み込んで、その言葉にしているんだろう。


「うん」

 うさぎは、なるべくやさしくうなずいた。


「頑張ってくるよ」

「はいです」


 みこは今度こそ、ちゃんと笑った。

 少しだけ無理をしている笑顔だったけれど、それでもみこらしい明るさは残っていた。


 そして、出発の日の朝が来た。


 駅長に見送られて、うさぎたち四人はホームに立っていた。

 夏の日差しはもう強い。

 線路の向こうに見える空も、すっかりお盆の朝の色をしている。


「忘れ物はないかな?」

 駅員が確認する。


「大丈夫です!」

「ばっちり!」

「問題ありませんわ」

「準備は整っております」


 四人がそれぞれ答える。


 その少し後ろに、みこもいた。

 今日は見送りだけ。

 それがわかっているからか、昨日よりもずっと元気な顔をしていた。


「いってらっしゃい!」

 みこが大きく手を振る。


「四人で頑張ってきてください!」

「ありがとう、みこちゃん」

 うさぎが言う。


「おみやげ話、いっぱい待ってます!」

「おみやげ“話”ね」

 マリーが笑った。


「海のおみやげとかじゃなくて?」

「お仕事だよ」

 うさぎがすぐにつっこむと、みこがくすっと笑う。


 その笑顔を見て、少しだけほっとする。


 電車がホームに入ってきた。

 扉が開く。


「それじゃあ、行ってきます」

 うさぎが言うと、みこは元気よくうなずいた。


「いってらっしゃい、うさ姉さま!」

「いってきますわ」

 アリスが手を振る。


 しおんは静かに一礼した。


「行ってまいります」


 マリーは最後に、みこのほうを見て笑う。


「戻ったら、いっぱい話すからね」

「はいです!」


 四人は電車に乗り込んだ。

 扉が閉まる。


 ホームに残るみこと駅長、そして駅員の姿が、窓の向こうに見える。

 みこは笑って、大きく手を振っていた。


 その笑顔がちょっとだけまぶしくて、うさぎは思わず小さく息をついた。


「みこちゃん、さみしそうだったね」


 うさぎがぽつりと言うと、向かいの席に座ったアリスが静かにうなずいた。


「ええ」

「でも、ちゃんと送り出してくれたよね」

 マリーが窓の外を見たまま言う。


「そうですね」

 しおんの声は落ち着いていた。


「みこさんらしいと思います」


 電車がゆっくり動き出す。

 追兎天神駅のホームが、少しずつ遠ざかっていった。


 みこの姿も、駅長たちの姿も、小さくなっていく。


 うさぎはその景色を見つめながら、かばんの持ち手をきゅっと握った。


 これから向かうのは、三日間だけ開く特別な駅。

 海に近く、清音寺への参拝客を迎えるための臨時駅――清音寺駅。


 少し不安で、少し楽しみで、でもやっぱり、ちゃんとやらなくちゃと思う。


 電車は、夏の光の中を走っていく。

 四人を乗せて、

 いつもとは違う、特別な三日間のはじまりへ。

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