追兎天神駅へおかえりなさいませ
その日、うさぎが駅の事務室に入った時には、もう空気がいつもと少し違っていた。
みこ、アリス、マリー、しおんの四人が、机を囲むようにしてひとつの画面をのぞきこんでいる。
「このレイヤーさん、すごくセンスがいいです!」
みこがきらきらした声で言った。
「オリジナルの衣装って、やっぱり憧れますわ」
アリスも感心したようにうなずいている。
「しかも、ちゃんと世界観があるんだよねえ」
マリーが言う。
「顔を隠してるのも、逆に気になるなぁ。絶対かわいい人だよね」
その言葉を聞いた瞬間、うさぎの足が止まった。
――え。
いや、まさか。
でも、そういう話題に心当たりがありすぎる。
うさぎの秘密の趣味は、コスプレだ。
もちろん、誰にも言っていない。
人前でやるなんて恥ずかしくて無理だから、顔を隠した写真だけを、こっそり投稿している。
しかも、衣装を自分で少しアレンジするのも好きだった。
つまり今、四人が褒めているそのレイヤーさんが、もし本当に――
「……なに見てるの?」
できるだけ平静を装って声をかけると、みんなが一斉に顔を上げた。
「あ、うさちゃん」
「うさ姉さま!」
「うさぎちゃん、ごきげんよう」
アリスが当然のようにうなずいて、それから画面をこちらへ向けてくる。
「見てくださいな。このレイヤーさん、とても素敵ですの」
「へ、へえ……」
うさぎはぎこちない笑顔のまま、そっと画面を見る。
かわいい衣装。
背景の小物。
ポーズ。
やわらかい光の入れ方。
見覚えがありすぎた。
というか、どう見ても自分だった。
心臓が変な跳ね方をする。
「この衣装、手作りっぽいよね」
マリーが楽しそうに言う。
「すごいよねえ。ここまで作れるの」
「しかも、顔をちゃんと隠してるのがまた気になるんです!」
みこまで興奮している。
「きっと可愛い人です!」
うさぎは思わず視線をそらした。
やばい。
これ、やばい。
なんでよりによって、みんなで見てるのよ……!
その時だった。
「……あら?」
アリスが、ふいに首をかしげた。
「どうしたの?」
「このレイヤーさん、うさぎちゃんに少し似ていませんこと?」
一瞬、うさぎの時間が止まった。
「ど、どうして!?」
明らかに動揺した声が出てしまって、マリーがすぐに振り向く。
「え、なにその反応」
「いや、だって、どうしてっていうか、え、なんでそうなるのよ」
「ほら、この写真ですわ」
アリスが一枚の画像を拡大した。
「髪はウィッグでしょうけれど、この瞳の印象――」
「うん、この瞳はうさ姉さまだよ」
みこがあっさり言った。
「似てます!」
うさぎの背中に、ぞわっと嫌な汗が流れる。
その写真だけ、うっかり修正を忘れていたのだ。
ほんの少しだけ、瞳の印象がそのまま残ってしまっている。
なんで今まで気づかなかったの、わたし……!
「たしかに、似てるかもね」
マリーが面白そうにうさぎを見る。
「うさちゃんも、こういうのやってみる?」
「しないわよ!」
反射だった。
うさぎは思わずぴしゃりと言い返していた。
すると、今度は逆に、その反応の勢いが怪しくなったらしい。
「あやしい」
マリーがにやにやする。
「べ、別に怪しくないし」
「じゃあ、なんでそんなに動揺してるの?」
「してないわよ!」
「してます!」
みこが元気よく言った。
「してません!」
うさぎも負けずに言い返す。
アリスはしばらくうさぎを見つめていたけれど、やがてふっと話題を変えた。
「でも、素敵ですわね」
「え?」
「わたくしも、こういう衣装を着てみたくなりましたの」
うさぎは、ぽかんとする。
そこへみこがすぐに飛びついた。
「みこもです!」
「このような衣装ではないけど、メイドの衣装ならありますわよ」
アリスが得意そうに言った。
「しおんの予備とか、しおんが昔使っていたものが少し残っておりますもの」
しおんが静かにうなずく。
「わたくしは幼い頃からメイドをしておりましたから、その時のメイド服であれば、みこさんに合うものもあるかと」
「わぁ、やってみたい!」
みこの顔が一気に明るくなる。
「アタシも!」
マリーが当然のように手を挙げた。
「面白そうじゃん」
「もちろん、うさちゃんもするわよね?」
「えっ」
話が急にそっちへ飛んで、うさぎは目を瞬いた。
でも、その瞬間、自分でも驚くくらいほっとしていた。
コスプレイヤーの話題から離れた。
今はもう、そこを掘られなくて済みそうだ。
それなら、まあ――。
「……やってもいいわよ」
小さくそう言うと、みこの顔がぱっと輝いた。
「やったー!」
「決まりですわね」
アリスも上機嫌だ。
しおんは少しだけうさぎのほうを見たけれど、何も言わずに、ただ穏やかに微笑んだ。
うさぎはその視線に、少しだけどきっとした。
もしかしてしおんちゃん、なにかわかってる……?
けれど、その時にはもう、話題は完全に「どんなメイド服にするか」に移ってしまっていた。
そして翌日。
追兎天神駅に、いつもとは少し違う朝がやってきた。
「……ほんとにやるんだ」
うさぎは駅の鏡代わりの窓ガラスに映る自分を見て、小さくつぶやいた。
今日は五人そろって、メイド服姿だった。
アリスはお嬢様らしく、ひらひらした可憐なデザイン。
みこは少しだけ丈の短い、動きやすいメイド服で、元気さがそのまま出ている。
マリーは明るい笑顔にぴったりの、ちょっと愛嬌のある着こなし。
しおんは言うまでもなく、着慣れているぶん一番しっくりきていた。
そしてうさぎも、慣れないふりをしながら、実はこういう服に袖を通すこと自体は初めてではなかった。
――もちろん、そんなことは誰にも言えないけれど。
「うさ姉さま、かわいいです!」
みこがまっすぐに言う。
「そ、そう?」
「うん、似合う似合う」
マリーも楽しそうだ。
アリスが満足そうにうなずく。
「やはり、みなさんとても素敵ですわ」
そこへ、ちょうど駅長さんがやってきた。
「おはよう――」
言いかけたまま、駅長さんが止まる。
一秒。
二秒。
三秒。
五人そろって少しだけ固まった。
最初に口を開いたのは、駅長さんだった。
「……今日は、なにかのイベントだったかな?」
うさぎは思わず視線を泳がせる。
説明しようとしたアリスより先に、しおんが一歩前に出た。
「申し訳ありません。私たちの判断で、このような格好になっております」
「ほう」
「ですが、遊びではありません」
「きちんと仕事をすることを前提に、お客様をお迎えしたいと考えました」
しおんの言葉はまっすぐで、うさぎは思わずしおんを見た。
駅長は五人を順番に見て、それから少しだけ笑った。
「しおんちゃんは、前からずっとメイド服で立派に仕事をしてくれていたからね」
「はい」
「遊びなら困るけど、ちゃんと仕事をしてくれるなら構わないよ」
「ほんとですか!」
みこがぱっと顔を明るくする。
「ほんとだよ」
駅長はうなずいた。そして続けて
「お客さんが喜んでくれるなら、それも駅のにぎわいだ」
その一言で、みんなの空気がふっと軽くなる。
「ありがとうございます、駅長さん!」
みこが勢いよく頭を下げた。
「では、本日は――」
アリスが小さく咳払いをした。
「追兎天神駅へ、おかえりなさいませ」
少しだけ得意そうな声だった。
みこがすぐに真似をする。
「おかえりなさいませ!」
「いや、駅だから“いらっしゃいませ”のほうが自然じゃ――」
うさぎが言いかけたけれど、マリーが笑いながら肩をすくめた。
「細かいことはいいの。かわいいし」
「かわいいで済ませるのね……」
けれど実際、その日は驚くほどお客さんの反応がよかった。
「まあ、かわいい」
年配の女性が、みこを見てやさしく笑う。
「駅にこんな可愛いメイドさんがいるのねえ」
「えへへ……」
みこは照れながらも、うれしそうに笑った。
「ありがとうございます!」
その横で、アリスも上品に頭を下げる。
「本日も、どうぞごゆっくり」
「ごゆっくりって、駅なのよねここ」
うさぎが小声でつぶやくと、マリーが吹き出す。
「うさちゃん、もうちょっとノッてよ」
「だって……!」
そう言いながらも、うさぎ自身も少しだけ楽しくなってきていた。
駅に来た子どもがみこに手を振り、お母さんがアリスの服を見て感心し、しおんは落ち着いた所作で案内をして、マリーは自然にその場の空気を明るくしていく。
そして、うさぎもまた、少し照れながら、それでもちゃんとそこに立っていた。
「うさぎちゃん」
「は、はいっ」
急に駅長さんに声をかけられて、うさぎはびくっとする。
「思ったより、板についてるね」
「……え」
心臓が一瞬だけ止まりかけた。
けれど駅長さんはそれ以上何も言わず、ただおかしそうに笑っただけだった。
「似合ってるよ」
「……そ、そうですか」
うさぎはなんとかそれだけ返して、少しだけ顔を赤くした。
たぶん、今のは深い意味じゃない。
深い意味じゃない、はずだ。
そう自分に言い聞かせながら、うさぎは小さく息を吐いた。
駅の中には、いつもより少し華やかな空気が流れている。
遊びみたいな始まりだったのに、気づけばちゃんと駅の一日になっていた。
追兎天神駅へ、おかえりなさいませ。
そんな言葉が似合う日が、本当に来るなんて、昨日のうさぎには想像もできなかった。
でも――たまにはこういう日も、悪くないのかもしれない。




