表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひとひらびより  作者: 追川雪乃(追兎電鉄広報部)
お嬢様も、いつもの駅で

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

61/85

夏休み前


 終業式の日の空は、朝からもう夏の色をしていた。


 追兎高校の校門を出たうさぎは、まぶしい日差しに目を細める。

 風はあるけれど、それもどこかぬるくて、制服の袖の内側にじんわり熱が残る。


 明日から夏休み。


 それだけで、学校の空気も、帰り道の足取りも、いつもより少し軽くなる。

 けれど今日は、それだけではなかった。


 うさぎは手に持っていた封筒を見下ろす。


 通知表。


 夏休み前の、ちょっとだけうれしくて、ちょっとだけ見たくないものだ。


「うさちゃーん!」


 後ろから元気な声がして、振り向くとマリーが大きく手を振っていた。

 その手にも、やっぱり同じ封筒がある。


「待ってよー。一緒に帰ろ」

「うん」


 並んで歩き出すと、マリーはさっそく封筒をひらひらさせた。


「で、どうする?」

「どうするって?」

「通知表。もう見た?」

「……見たよ」

「早い!」

「だって、気になるじゃない」

「アタシ、まだ開けてない」


 マリーは妙に得意そうに言った。


「帰ってからのお楽しみにしようかなって」

「それ、お楽しみって言うのかな……」

「言うでしょ。たぶん」


 たぶん、で済ませるあたりがマリーらしい。

 うさぎは少しだけ苦笑した。


「うさちゃん、どうだった?」

「まあ、ふつう」

「その“ふつう”が怪しいんだよねえ」

「怪しくないってば」


 うさぎは視線をそらす。


 本当に、ふつうだった。

 少なくとも自分ではそう思っている。


 国語、英語、社会――記憶して積み重ねる科目は、やっぱり強い。

 努力した分だけ数字になって返ってくるから、そこは少しだけ安心できる。


 でも、それを自分から言うのもなんだか気恥ずかしい。


「マリーちゃんは?」

「んー、たぶん大丈夫!」

「まだ見てないのに?」

「見なくてもわかるもん」

「その自信、どこから来るのよ……」


 そう言いかけたところで、前から小さな影が駆けてくるのが見えた。


「うさ姉さまー!」

「みこちゃん」


 追兎中学の制服姿のみこが、ぱたぱたとこちらへ走ってくる。

 その胸にも、大事そうに封筒が抱えられていた。


「お待たせしました!」

「別に待ち合わせしてたわけじゃないけどね」

「でも会えました!」


 それがうれしいみたいに、みこはにこっと笑った。

 けれど次の瞬間、腕の中の封筒を見て、ちょっとだけ顔を曇らせる。


「……うさ姉さま」

「なに?」

「通知表、もらいました」

「うん」

「見せるの、ちょっとだけこわいです」

「見せる前提なの?」


 みこはこくりとうなずいた。


「うさ姉さまには見てほしいです」

「ずるいなあ、それ」


 マリーが横から口をはさむ。


「わたしも見ていい?」

「マリちゃんもいいです!」

「じゃあ、わたしもあとで見せる」

「まだ見てないくせに」

「だからこそだよ」


 そんなふうに話していると、反対側の道から、見慣れた二人の姿が見えてきた。


 アリスとしおんだった。


 聖リリアナ学園の制服は、やっぱりどこか特別だ。

 上品で、きちんとしていて、立っているだけで空気が違う気がする。


「みなさん、ごきげんよう」


 アリスが優雅に言う。

 その横で、しおんが静かに一礼した。


「ごきげんよう」

「おつかれさま」

「終業日、おつかれさまです!」


 みこだけがちょっと元気よく返していて、その仕草がみこらしかった。


 アリスはみんなの手元を見て、すぐに気づいたように首をかしげる。


「あら。みなさんも、成績表をお持ちなのですね」

「成績表?」


 マリーが聞き返す。


「通知表のこと?」

「たぶん同じものですわ」


 アリスは自分の封筒を見せた。


 たしかに形は似ている。

 でも封筒まで、なんだか少し上品に見えるのは気のせいだろうか。


「聖リリアナでは、成績表って言うんだ」


 うさぎが言うと、しおんが穏やかに補足した。


「講評も含まれておりますので、その呼び方のほうが自然なのかもしれません」

「講評……」


 みこがちょっとだけ青ざめる。


「なんだか、通知表より強そうです」

「わかる」


 マリーもうなずいた。


「先生のコメントが、ちょっと逃げられない感じするよね」

「逃げるものではありませんわ」


 アリスは不思議そうに言った。


「そんなに緊張するものなのです?」

「するよ!」


 みことマリーがそろって答える。

 うさぎまでつられてうなずいてしまった。


 アリスは目をぱちぱちさせた。


「そうなのですね……」


 しおんは少しだけ考えてから、静かに言う。


「学校によって、受け取り方にも違いがあるのでしょう」

「しおんちゃんは平気そうだよね」


 うさぎが言うと、しおんは控えめに微笑んだ。


「わたくしは、そうですね……。

 評価そのものより、講評欄を先に読んでしまいます」

「わかるかも」


 うさぎは思わず言った。


 数字も気になるけれど、言葉でどう見られているかのほうが、少しだけ心に残る。


 その流れで、なんとなくみんなの視線が手元の封筒へ集まっていく。


「……で」


 マリーが、にやっとした。


「誰から見る?」

「えっ」

「みんな持ってるんだから、一回くらい見せ合おうよ」

「やだよ、なんでそんなことしなきゃいけないの」

「うさちゃんから?」

「なんでよ!」

「みこは心の準備がまだです……」


 みこは封筒をぎゅっと抱きしめる。


「アリスちゃんは?」

「わたくしは、かまいませんわ」

「余裕だ」


 マリーが楽しそうに笑う。


「じゃあ、アリスちゃんから!」

「ええ」


 アリスは本当にためらいなく封筒を開いた。


 中の紙を広げて、みんなでのぞきこむ。


「……あ」


 うさぎは思わず声を漏らした。


「なにこれ」

「どうかしましたの?」


 アリスはきょとんとしている。


 でも、そこに並んでいた教科名は、追兎高校とも追兎中学ともまったく違っていた。


「国語、数学、英語……は、まああるけど」


 マリーの指が、ある欄で止まる。


「……令嬢?」


 みこも目を丸くした。


「令嬢って、教科なんですか!?」


「はい」

 アリスは当たり前のようにうなずいた。


「そうですわ」


「そうですわ、じゃないのよ」

 うさぎがついツッコむ。


「評価されるの、それ?」


 しおんが静かに答えた。


「立ち居振る舞い、言葉遣い、姿勢、来客対応、品位などが見られます」


「品位」

 マリーがつぶやいた。


「強そう」


「強いです……」

 みこまで真顔でうなずく。


 うさぎはなんとも言えない顔で成績表を見る。


 しかもアリスの“令嬢”の評価は、ちゃんと高かった。


「さすがアリスちゃん……」

「えへへ」


 褒められて、アリスは少しうれしそうに笑った。


「でも、講評には“好奇心のままに行動しすぎることがあります”と書かれておりますわ」

「それはちょっとだけ心当たりがあるね」


 マリーが言うと、アリスは首をかしげた。


「褒め言葉ではなくて?」

「たぶん、ちょっと違うかな……」


 うさぎが遠慮がちに言うと、アリスは「まあ」とつぶやいた。


 次にみこが、意を決したように封筒を差し出した。


「みこも見せます!」

「おっ、きた」

「うさ姉さま、怒りませんか?」

「怒らないよ」

「ほんとですか?」

「ほんと」


 ようやく安心したのか、みこは通知表を開いた。


 うさぎたちがのぞきこむ。


「……あっ」


 マリーが一番最初に見つけた。


「体育、すご」

「ほんとだ」


 そこだけ、明らかに目立っている。


 みこはちょっとだけ照れくさそうに笑った。


「走るのとか、好きです」

「知ってる」


 うさぎがくすっとする。


「みこちゃん、やっぱりそこ強いんだ」

「えへへ……」


 みこはうれしそうにしながらも、別の欄でちょっとだけしゅんとした。


「でも、数学は……」

「元気でよろしい、って書いてあるよ」


 マリーが講評欄を読む。


「“明るく元気に学校生活を送り、体育では特に優れた力を発揮しました”」

「そこ、すごくみこちゃんっぽい」


 うさぎが言うと、みこはほっとしたように笑った。


「元気なのは、よかったです」

「そこはずっとよいところです、お嬢様」


 しおんが自然に言ってから、少しだけ言い直した。


「……いえ、みこさん」


「お嬢様でも大丈夫です!」

 みこが元気よく言って、みんなが少し笑う。


「じゃあ次、うさちゃん」

「えっ、わたし?」

「流れ的にそうでしょ」


 マリーに言われて、うさぎは少しためらったあと、仕方なく通知表を開いた。


 みこがすぐに身を乗り出す。


「うさ姉さま、すごいです!」

「ちょ、まだ言わないで」

「国語も、英語も、社会もいい」


 マリーが素直に感心する。


「やっぱり努力型の秀才だよねえ」

「やめてよ、その言い方」


 うさぎは顔を赤くした。


「そんな大したものじゃないから」


「大したものです!」

 みこがきっぱり言う。


 しおんも、通知表を見て静かにうなずいた。


「日々、きちんと積み重ねているのが伝わってきます」


「講評もそれっぽい」


 マリーが読み上げる。


「“まじめに努力を重ね、安定した学習態度が見られました”」

「うわぁ……」


 うさぎは顔を覆いたくなる。


「読まなくていいから……!」

「でも、こういうの先生ちゃんと見てくれてるんだね」


 マリーが珍しく少しだけやさしい声で言うと、うさぎは照れくさそうに目をそらした。


「……まあ、そうかもね」

「で、マリーちゃんは?」

「うん?」

「まだ見てないんでしょ?」

「見てないよ」

「見なさいよ」


 みんなに囲まれて、マリーはようやく封筒を開けた。


「どれどれ……」


 最初は余裕そうに見ていたマリーの顔が、少しずつ変わる。


「……うん」

「どうだった?」

「すごくマリーちゃんっぽい」


 うさぎが先に言った。


 得意なものはちゃんと良い。

 でも、ばらつきがある。

 そして講評欄には、いかにもそれらしい一文が書いてあった。


「“明るく行動力があり、周囲を引っぱる力があります。落ち着いて取り組めば、さらに力を伸ばせるでしょう”」


 うさぎが読み上げると、マリーは口をとがらせた。


「落ち着いて、かあ」

「言われてるねえ」

「言われてますね」

「言われておりますわ」


 三方向から言われて、マリーは封筒をぱたんと閉じた。


「いいの! 全体では悪くないもん!」

「うん、それはそう」


 うさぎが笑って言うと、マリーもすぐに笑い返した。


「でしょ?」


 気がつけば、みんなそれぞれに通知表を見せ合って、笑ったり、少しだけ照れたりしていた。


 最初はあんなに緊張していたのに、不思議なものだ。


 しばらくして、みこが空を見上げた。


「……でも、明日から夏休みですね」


 そのひと言で、みんなの空気がふっと変わる。


 通知表の重さが、少しだけ軽くなる。


「夏休みかあ」

 マリーが明るい声を出した。


「海とか、プールとか、行きたいね」

「お祭りもあります!」


 みこがすぐに続ける。


「盆踊りとか、かき氷とか!」

「駅のお仕事も、夏は少し空気が変わりそうですわね」


 アリスが言うと、しおんも小さくうなずいた。


「人の流れも、普段とは違うでしょうから」

「……忙しくなりそうだね」


 うさぎはそう言いながら、でも少しだけ楽しみでもあった。


 暑い日。

 まぶしい日差し。

 にぎやかな駅。

 それから、夏にしかない出来事たち。


 通知表の日は、いつも少しだけ複雑だ。

 ほっとしたり、反省したり、落ち込んだり、照れたりする。


 でもその先には、ちゃんと夏が待っている。


「明日から夏休みです!」


 みこがうれしそうに言う。


「ええ」


 アリスも、どこか誇らしげにうなずいた。


「よい夏にいたしましょう」

「まずは宿題を終わらせないとね」


 うさぎが言うと、マリーがすぐに嫌そうな顔をした。


「今それ言う?」

「言うよ」

「夏休み初日にやります!」


 みこが元気よく宣言する。


「えらい」

「ほんとに?」

「たぶん」

「“たぶん”なんですね……」


 みこがちょっとだけしょんぼりして、みんなが笑った。


 空には、白く大きな雲が浮かんでいる。

 その向こうに、これから始まる長い夏がある。


 うさぎは通知表の入った封筒をかばんにしまいながら、少しだけ口元をゆるめた。


 明日から夏休み。


 きっと、にぎやかで、暑くて、楽しい日々になる。


 そんな予感が、もう空の色の中に混ざっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ