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ひとひらびより  作者: 追川雪乃(追兎電鉄広報部)
お嬢様も、いつもの駅で

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しおんちゃん隊長になる


 夏休みに入ってからも、追兎天神駅の事務室には、いつものように静かなにぎわいがあった。

 窓の外では蝉が鳴いている。

 冷房のきいた室内では、ノートをめくる音と、鉛筆の音が交互に響いていた。


「うーん……」


 みこが、机に向かったまま小さくうなる。

 その隣では、アリスも真剣な顔でノートを見つめていた。


「どうしたの?」


 二人の向かいに座っていたうさぎが、顔を上げる。


「自由研究です!」


 みこはすぐに答えた。


「何をやるか、まだ決まってないんです」

「わたくしもですわ」


 アリスも困ったように言った。


「観察や記録と言われても、なかなか思いつきませんの」


 うさぎは二人のノートをのぞきこみながら、少し考える。


「夏っぽいものがいいよね。植物とか、空とか、天気とか……」

「虫はどうでしょう!」


 みこがぱっと顔を上げた。


「えっ」

「昆虫採集です!」


 元気いっぱいの提案だった。

 うさぎの顔が、わかりやすく固まる。

 アリスも、なるほどといった顔でうなずいた。


「いいですわね」

「アリスちゃんまで?」

「探検隊らしいではありませんか」

「そこ基準なの?」


 うさぎは思わず聞き返した。

 みこはもうすっかりその気だった。


「虫をつかまえて、絵を描いて、観察したことを書けば、自由研究になります!」

「うん、たしかに形にはなるけど……」

「決まりです!」

「まだ決まってないからね?」


 うさぎがなんとか止めようとした、その時だった。

 事務室の扉が開いて、しおんが入ってきた。


「みなさん、少し休憩になさってはいかがですか」


 手には冷えた麦茶のグラスが載ったお盆。

 いつも通りの落ち着いた様子で、しおんは机の上にそれを並べていく。


「ありがとう、しおん」


 アリスがうれしそうに言った。

 うさぎはグラスを受け取りながら、さっきの話をそのまま口にする。


「自由研究で昆虫採集に行くんだって」

「まあ」


 しおんは小さく目を瞬いた。


「いい案ですわ」

 アリスが言う。


「探検隊らしくて」

「みこもそう思います!」


 二人はすっかり乗り気だった。

 しおんは少し考えるようにしてから、当然のようにうさぎを見た。


「では、うさぎさんがご一緒に?」

「えっ」

 うさぎは麦茶を持ったまま固まった。


「いや……」

「うさ姉さま?」

「虫でしょ?」

「はいです!」

「無理無理無理」


 即答だった。

 一切の迷いがなかった。

 みことアリスが、そろってきょとんとする。


「そんなにですの?」


 アリスが不思議そうにたずねる。


「そんなになの」


 うさぎは真顔で答えた。


「飛ぶし、跳ねるし、どこ向かって来るかわかんないし……」

「ですが、自由研究ですわ」

「自由研究でも、虫じゃなくていいと思うのよわたしは……」


 うさぎの声は、だんだん小さくなる。

 でも、みことアリスの顔を見るかぎり、もう完全に“昆虫採集に行く空気”だった。


「じゃあ」


 アリスがあっさり言った。


「わたくしたち二人で行くしかありませんわね」

「行きます!」


 みこもすぐにうなずく。

 しおんの表情が、すっと引き締まった。


「それはなりません」


 二人が同時にしおんを見る。

 しおんは落ち着いた声のまま、はっきりと言った。


「みこちゃんとアリス様だけでは不安です。行ってはだめです」

「ええっ」


 みこが目を丸くする。


「でも、自由研究はどうするの?」


 その問いに、しおんは少しだけ黙った。

 マリーがいれば、まだ違ったかもしれない。

 でも今日は来ていない。

 うさぎは虫が苦手で、同行は難しい。


 となれば、残る答えはひとつしかない。


「……わかりました」


 しおんは小さく息をついてから、二人を見た。


「今回は、わたしがついて行きます」


 一瞬の静けさのあと、みこの顔がぱっと明るくなる。


「ほんとですか!」

「しおん、来てくれるの?」


 アリスも嬉しそうに身を乗り出した。


「はい」


 しおんは静かにうなずく。


「ですから、わたしの言うことはちゃんと聞くんですよ」

「はい!」


 みこが元気よく返事をした。


「しおんちゃん、先生みたい」

「先生というより」


 うさぎが少し笑いながら言う。


「探検隊なんだから、隊長でしょ」


「隊長」


 しおんが、その言葉を小さく繰り返す。


 アリスはすぐに表情を明るくした。


「しおん――いえ、しおん隊長」

「はい?」

「お願いね」


 しおんは少しだけ戸惑ったように目を瞬いたあと、控えめに微笑んだ。


「隊長ですか。わたしにできるかわかりませんが……頑張ってみます」

「しおん隊長です!」


 みこがきらきらした目で言う。


「なんだか、すごく頼もしいですわ」


 アリスも満足そうだった。


 うさぎはそんな三人を見ながら、少しだけ肩の力を抜く。

 虫は無理だ。

 できれば近づきたくもない。

 でも、しおんちゃんが一緒なら、たしかに安心できる。


 しおんは少し考えるようにしてから、真面目な口調で続けた。


「では、明日のために必要なものを確認しましょう」

「必要なもの?」

「はい」


 しおんは近くにあったメモ用紙を手に取った。


「虫取り網、虫かご、水筒、帽子、汗ふき用のタオル」

「本格的です!」


 みこが感心したように言う。


「筆記用具も必要ですわね」


 アリスが言うと、しおんはうなずいた。


「観察記録用ですね。必要です」

「しおん隊長、すごいです!」

「いえ、基本的な準備ですから」


 そう言いながらも、しおんの手は止まらない。


「それから、絆創膏も一応用意しておきましょう」

「飲み物は多めに」

「暑さ対策も必要ですね」


「探検隊っぽいですわ」


 アリスが少し誇らしげに言う。

 うさぎはその様子を見て、思わず苦笑した。


「なんか、急にほんとにそれっぽくなってきたね」

「隊長ですから」


 しおんは、まじめに答えた。

 その一言に、みことアリスがまたうれしそうな顔をする。


「では明日は、安全第一で行動します」

「はい、隊長!」


 みこがぴしっと背筋を伸ばす。


「よろしくお願いしますわ、隊長」


 アリスもお嬢様らしく優雅に頭を下げた。

 しおんは、少し照れたように目を伏せたあと、静かにうなずいた。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 その姿は、いつものしおんちゃんのままだった。

 でも、ほんの少しだけ新しい役目を引き受けた顔にも見えた。


「うさ姉さまは?」


 みこがふいに聞いてくる。


「明日は一緒に来ますか?」

「えっ」


 うさぎは一瞬だけ言葉に詰まった。

 しおんも、静かにこちらを見る。


「無理しなくて大丈夫ですよ」

「う、うん……」


 うさぎは少し考えてから、小さく笑った。


「じゃあ、途中までは一緒に行く。本番は、ちょっと後ろから見るだけ」

「後方支援ですね」


 しおんが自然に言う。


「そんな立派なものかな……」

「立派です!」


 みこが言った。


「大事なお仕事ですわ」


 アリスも続ける。

 そこまで言われると、悪い気はしなかった。


「……じゃあ、後方支援ってことで」

「決まりです!」


 みこが元気よく言った。


 しおんはメモをきちんと整えて、あらためて三人を見渡す。


「それでは明日、しおん隊長として初仕事をします」


 窓の外では、蝉の声がいっそう大きくなっていた。


 夏休みの自由研究。

 探検隊の昆虫採集。

 そして、巻き込まれるように決まった、しおん隊長。


 少しだけいつもと違う探検は、こうして静かに始まろうとしていた。

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