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ひとひらびより  作者: 追川雪乃(追兎電鉄広報部)
お嬢様も、いつもの駅で

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ご自由に押してください

挿絵(By みてみん)



 七夕まつりが終わって、追兎天神駅にも少しずつ夏の空気が流れはじめていた。


 朝から日差しは明るくて、駅の中にもどこか、むわっとした暑さがある。

 そんな中でも、駅にはいつものように穏やかな時間が流れていた。


 その日、うさぎたちは改札の近くを見回っていた。

 みこが先に何かを見つけて、ぱっと足を止める。


「あっ」


「どうしたの、みこちゃん?」


 うさぎが声をかけるより早く、みこは目をきらきらさせて振り返った。


「うさ姉さま、見てください!」


 そこにあったのは、赤いボタンだった。

 見覚えのある、あの形。

 あの色。

 あの、いかにも押したら何か起きそうな雰囲気。


 しかも前に見た非常ボタンより、ずいぶん低い位置についている。

 みこでも、アリスでも、充分に手が届きそうだった。


 アリスもその赤いボタンを見て、ふむ、と小さくうなずく。


「なるほど……」


「なにがなるほどなの?」


「前はちょっと位置が高すぎたのでしょうね」


 アリスはもっともらしく言った。


「ちょうどいい場所に移したのですわ」


「移してないと思うけど」


「みこでも押せそうです!」


「押さなくていいのよ」


 うさぎがすかさず言う。


 すると、ボタンの近くにしゃがみこんだみこが、そこに貼られている紙を見つけた。


「あっ、文字が書いてあります」


「文字?」


 アリスも身を乗り出す。


 そこには、はっきりとこう書かれていた。


 ご自由に押してください


 一瞬、みんなが黙った。


 うさぎも、その紙を見たまま固まる。


「……え?」


 先に口を開いたのは、マリーだった。


「じゃあ、押しちゃおうか」


「ダメだよ、マリーちゃん!」


 うさぎが即座に止める。


「でもさあ」


 マリーは赤いボタンを見つめたまま言う。


「押してくださいって書いてあるよ?」


「書いてあるけど!」


「ご自由に、って」


「書いてあるけど!」


 アリスも真剣な顔になる。


「たしかに、押してくださいと書いてありますわね」


「そうなのよね……」


 うさぎもそこは否定できず、困ったように眉を寄せた。


 押してください。


 ご自由に。


 ここまではっきり書いてあるのに、押してはいけないと言うのも、なんだか変な話である。


 けれど、赤いボタンは赤いボタンだ。


 どう見ても、ふつうのボタンではない。


 みこは紙を指さしながら、目を輝かせた。


「しかも“ご自由に”です!」


「そこ強調しなくていいから」


「前の非常ボタンは高くて届かなかったですが、これは最初から押しやすい位置にあります」


「そこもつながってないからね?」


 うさぎがツッコむ横で、アリスは小さく腕を組んだ。


「つまりこれは」


「いやな予感しかしない……」


「駅が、お客様にやさしくなったということですわ」


「そんな理由で非常ボタンを押しやすくしないのよ」


「でも、うさぎちゃん」


 アリスはまっすぐな目で見た。


「押してくださいと書いてあるのに、押さないのは失礼ではなくて?」


「その発想は初めて聞いたわ」


「ほらね」


 マリーがにやっと笑う。


「ルールを守るなら、押さないと」


「絶対ちがうでしょ、その理屈!」


「みこもそう思います!」


「みこちゃんは乗らないで!」


 うさぎが止めても、三人の視線はすでに赤いボタンに吸い寄せられていた。

 そこへさらに、アリスが静かに決定打を放つ。


「ご自由に、とまで書いてありますもの」


「うん」


「しかも、押してください、と」


「うん……」


「これはもう、押すためにあるのではなくて?」


「その通りです!」


 みこが元気よく同意する。


「いや、通ってないのよ!」


 うさぎは頭を抱えた。


 マリーは面白そうににやにやしているし、


 みことアリスは、妙に納得した顔をしている。


 嫌な流れだ。


 とても嫌な流れだった。


「とにかく、ちょっと待って」


 うさぎは赤いボタンの前に立ちはだかるようにして言った。


「こういうのは、押す前にちゃんと確認しないとだめなの」


「確認?」


「駅員さんとか、駅長さんとかに――」


「でも」


 アリスが首をかしげる。


「ご自由に押してくださいと書いてあるのに、いちいち許可を取るのも変ではなくて?」


「変じゃないのよ!」


「むしろ、確認しないほうが失礼かもしれません」


「どうしてそうなるの……」


 うさぎがぐったりした声を出す。


 その横から、マリーがひょいっと顔を出した。


「じゃあさ、押すだけ押して、だめだったらあとで謝ろっか」


「最悪の提案しないで!」


「押してから考えるのは、マリーちゃんらしいです!」


「褒めてないからね、それ!」


 次の瞬間だった。


「では、わたくしが」


 アリスが一歩前に出た。


「えっ」


「えっ、じゃない!」


 うさぎが止めようとするより早く、アリスはすっと手を伸ばした。


「押してください、と書いてあるのですもの」


「アリスちゃん、待っ――」


 ぽち。


 軽い音とともに、アリスの指がボタンを押した。


 一同が固まる。


 次の瞬間。


 ピーンポーン♪


 非常ボタンとは思えないほど、のんきで明るい音が駅の一角に響いた。

 また、みんなが固まった。


「……え?」


 みこが目をぱちぱちさせる。


「かわいい音でした」


「いや、そこじゃなくて」


 うさぎは赤いボタンとアリスの顔を交互に見た。


「非常ボタンって、こんな音だったっけ……?」


「なんだか、お店みたいですわね」


 アリスも少し不思議そうだ。


 マリーは吹き出しそうになりながら言う。


「もしかして、当たり?」


「何の当たりよ!」


 その時だった。


「おや、押してくれたんだね」


 聞き慣れた声がして、みんながそろって振り向く。


 そこにいたのは、駅長だった。


「駅長さん!」


 うさぎはほっとしたような、嫌な予感が当たったような、なんとも言えない顔になる。


 駅長はにこにこしながら、赤いボタンのところまで歩いてきた。


「ちょうどよかった。ちゃんと使えるか見たかったんだよ」


「使えるか……?」


 うさぎが聞き返すと、駅長はうなずいた。


「今度、小学校の職場見学があるだろう?」


「あっ」


「そのとき用に、体験コーナーとして付けてみたんだ」


 駅長は赤いボタンの横に貼られた紙を指さした。


「ほら。ご自由に押してください、って」


「ほんとに押してよかったんですか?」


 みこが目を丸くして聞く。


「もちろん。本物の非常ボタンじゃないからね」


「やっぱり」


 うさぎが力なくつぶやく。


 駅長は楽しそうに続けた。


「ボタンがあると、押したくなるでしょ」


 そこで、にこりと笑う。


「きみたちみたいに」


 みこが、はっとした顔をした。


 アリスも、ぴたりと動きを止める。


 マリーは吹き出した。


「言われちゃった」


「う……」


 うさぎは小さくうめいた。


 たぶん、この場で一番言い返せないのは自分ではない。


 押したのはアリスで、乗り気だったのはみことマリーだ。


 けれど――。


「たしかに、押したくなりましたわ……」


 アリスが少しだけ照れたように言う。


「“ご自由に”って書いてありましたし」


「みこも、すごく押したくなりました!」


「アタシも結構おもしろそうだなって思った」


 三人が素直に白状する。


 うさぎは、じとっとした目で三人を見た。


「わたしは止めたからね?」


「でも、ちょっと迷ってましたよね?」


 マリーがにやっとする。


「うっ」


「“書いてあるけど……”って言ってました!」


 みこが追い打ちをかける。


「それは……」


「うさぎちゃんも、少しだけ押したかったのではなくて?」


 アリスのまっすぐな一言に、うさぎは言葉を詰まらせた。


「……ちょっとだけ」


「やっぱりー!」


「だってしょうがないでしょ! ご自由に押してくださいって書いてあったんだから!」


 思わず言い返したところで、みんなが一斉に笑い出した。


 駅長まで肩を揺らしている。


 うさぎは顔が熱くなるのを感じながら、赤いボタンを見た。


 たしかに、あれは押したくなる。

 すごく押したくなる。


 でも――。


「本物の非常ボタンには、絶対に“ご自由に”なんて書かないでくださいね……」


 うさぎが小さく言うと、駅長は笑いながらうなずいた。


「それは大丈夫。安心していいよ」


「安心しました……」


「でも」


 駅長は少しだけ悪戯っぽく目を細めた。


「また何か押したくなるものが増えるかもしれないね」


「増やさないでください!」


 うさぎの声が、今度ははっきり駅の中に響いた。


 みことアリスは、その横でまた赤いボタンを見上げていた。


「もう一回押してもいいんでしょうか」


「ご自由に、ですものね」


「だめーっ!」


 追兎天神駅の夏は、今日もいつも通り、にぎやかだった。

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