夜神楽のみこ
夜神楽の音は、昼間の祭りのにぎわいとはまるで違って聞こえた。
笛の音。
静かな拍子。
境内の空気を、ひとつずつ整えていくような響き。
さっきまであんなに賑やかだった追兎天神が、いまは別の場所みたいに静かだった。
神楽殿に、人の視線が集まる。
そして――そこに現れた姿を見て、四人は息をのんだ。
「……みこちゃん」
最初にそう言ったのは、うさぎだった。
白衣に緋袴。
その上に重ねられた千早。
いつもの元気いっぱいなみこではない。
背筋を伸ばして、静かに立っているだけなのに、まるで空気まで変わったみたいだった。
「きれい……」
アリスが、ほとんど無意識みたいにそう言った。
マリーも、珍しくすぐには言葉が出なかった。
「なんか……すごいね」
ようやく出てきたのは、それだけだった。
「神々しい、というのは、こういうことを言うのかもしれません」
しおんは静かに目を細める。
うさぎは何も言えなかった。
みこが神社の子だということは、もちろん知っている。
追兎天神にとって大事な役目を持っていることも知っている。
でも、知っているのと、目の前で見るのは違った。
そこにいるのは、いつも「うさ姉さまー!」と駆けてくるみこなのに、同じ子とは思えないくらい、静かで、きれいで、遠く見えた。
舞が始まる。
袖が揺れる。
足の運びは小さいのに、目が離せない。
手を上げる、そのひとつひとつが、何かを祈る形に見えた。
昼間の賑やかな祭りの空気とは違う。
もっと静かで、もっと深いところにある時間。
みこは何も喋らない。
当然だった。
でも、いつもの明るさが消えたわけではなくて、その奥にあった別のものが、今だけ見えているようだった。
「みこちゃん、とっても綺麗」
うさぎはようやく小さくつぶやいた。
マリーがうなずく。
「うん。なんか、いつものみこちゃんじゃないみたい」
「でも、みこちゃんなんだよね」
アリスが言う。
「そこが不思議だわ」
「たしかに」
うさぎも言った。
しおんはその横で、静かにうなずいていた。
「普段の姿を知っているからこそ、余計にそう見えるのでしょうね」
「うん……」
うさぎは、それ以上言えなかった。
神楽殿の灯りの中で舞うみこは、ほんとうにきれいだった。
夜神楽が終わると、境内には少しだけ、ほっとしたような空気が流れた。
静かに見守っていた人たちが、少しずつ声を取り戻していく。
「終わったね」
マリーが息をつく。
「うん」
うさぎもまだ、少しだけぼんやりしたままだった。
「すごかったわ」
アリスが言う。
「みこちゃん、あんなふうに舞えるのね」
「わたしも知らなかったかも」
うさぎが答える。
「知ってるつもりで、知らないことってあるのね」
「今日はそれが多い日だね」
マリーが笑う。
その時だった。
「うさ姉さま!」
聞き慣れた声がして、四人がそろって振り向く。
そこには、ついさっきまで神楽殿で舞っていたみこが立っていた。
白衣と緋袴、千早はもう脱いでいて、服装はいつものみこに近い。
けれど、夜神楽のための化粧はまだそのままだった。
そのせいだろうか。
いつもの元気いっぱいなみこより、少しだけ綺麗で、少しだけ大人っぽく見える。
さっき神楽殿で見た神秘的な姿ほど遠くはない。
でも、いつものみこに戻りきってもいない。
そのあいだにいるみたいな顔で、みこは四人を見ていた。
「見てくれましたか?」
真っ先にそう聞いてくるところは、やっぱりいつものみこだった。
「うん」
うさぎは少しだけ笑った。
「見たよ」
「どうでしたか!」
「……すごく綺麗だった」
みこの目が、ぱっと明るくなる。
「ほんとですか!?」
「ほんとよ」
「やった……!」
その言い方は、もういつものみこだった。
けれど、その笑顔さえ、今日は少しだけいつもより大人びて見えた。
「みこちゃん、すごかったよ」
マリーが言う。
「なんか、神様のところからそのまま降りてきたみたいだった」
「おお……」
みこはちょっと照れた顔になる。
「それはすごい褒め言葉です」
「ほんとにそう見えたの」
アリスが言う。
「なんだか、近づきにくいくらい綺麗だったわ」
「ええっ、近づきにくいのは困ります!」
「でも綺麗だった」
「じゃあ、嬉しいです!」
みこはころころ表情を変えながら答える。
しおんも静かに言った。
「大変見事でした」
「しおんちゃんまで……」
みこは両手を胸の前でぎゅっと握った。
「いっぱい練習したので……そう言ってもらえて嬉しいです」
「そうだったのね」
うさぎが言う。
「うん。今日のために、ずっと」
「えらいわね」
「えへへ……」
その笑い方は、もうほとんどいつものみこだった。
でも、夜神楽の化粧が残っているせいか、照れた顔まで少しだけ綺麗に見えてしまって、うさぎはなんだか落ち着かない気持ちになる。
みこがこんなふうに見えることもあるのだと、少しだけ知らなかったみたいに。
「うさ姉さま」
「なに?」
「……ほんとに、見てくれてありがとう」
その一言だけ、少しだけ静かだった。
うさぎは目を細める。
「うん」
そして、いつもより少しだけやわらかい声で言った。
「見られてよかった」
そのあと、五人は少しだけ屋台の並ぶ道を歩いた。
もう遅い時間だから、賑わいは少し落ち着いている。
それでも祭りの灯りはまだ残っていて、七夕の夜らしいやわらかい明るさがあった。
「終わったあとって、お腹空くのね」
アリスが言う。
「アリスちゃん、それさっきも食べてたよね?」
マリーが笑う。
「それとこれは別よ」
「わかるよ、アタシももう一個食べたいもん」
「みこは、りんご飴がいいです!」
「やっぱり」
うさぎが思わず笑った。
みこはその声に、にこっと笑い返す。
その仕草はいつも通りなのに、やっぱり化粧のせいで少しだけ違って見える。
「みこちゃん、なんかまだ特別な感じするね」
マリーが言った。
「えっ、そうですか?」
「うん。いつものみこちゃんだけど、ちょっとだけ違う」
「今日だけ、大人っぽいわ」
アリスも言う。
みこは目をぱちぱちさせた。
「大人っぽいですか?」
「少しだけ大人っぽくて、すごく綺麗よ」
うさぎが答える。
「うさ姉さま……!」
みこは嬉しそうに笑った。
でもその笑顔が、やっぱり少しだけ特別に見える。
しおんはその後ろを見ながら、少しだけ目を細めていた。
みこが舞い終えて、こうしていつもの顔で笑っている。
けれど、今日だけはその“いつも”の中に、少し違う光が残っている。
その光景が、なんだか少しだけやさしかった。
その時、少し離れた場所から声が上がる。
「あっ、始まる!」
五人が空を見上げた。
ひゅっ、と音がして、次の瞬間、夜空に花が開く。
「わあ……」
みこが息をのむ。
打ち上げ花火だった。
ひとつ、ふたつ、間をおいて上がる。
大きな祭りの花火ではない。
でも、この距離で見るには十分すぎるくらい綺麗だった。
赤。
青。
金色。
夜の追兎天神の空に、ひとつずつ咲いては消えていく。
「きれい……」
アリスが小さく言う。
「うん」
うさぎも答える。
その横で、みこはじっと空を見上げていた。
さっきまで神楽殿に立っていた子が、今は花火を見て目を輝かせている。
そのことが、なんだかとてもみこらしかった。
「今日は、いい日だったね」
マリーがぽつりと言う。
「うん」
うさぎがうなずく。
「すごく忙しかったけど」
「でも、それもお祭りっぽかったです」
みこが言う。
「たしかに」
しおんも静かに答えた。
花火がもうひとつ上がる。
その光の中で、五人の顔が少しだけ明るくなる。
追兎天神駅で働く日々も。
神社での役目も。
こうして祭りの夜に並んでいることも。
全部がちゃんとつながっているのだと、うさぎは少しだけ思った。
そして、その真ん中で笑っているみこを見て、もう一度だけ思う。
やっぱり、みこちゃんってすごい。
でもきっと、本人は明日になったらまたいつも通りに、
「うさ姉さまー!」
と駆けてくるのだろう。
それでいい。
そのほうが、きっとみこらしい。
夜空に最後の花が咲いて、ゆっくり消えた。
五人はしばらく、その余韻の中に立っていた。




