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ひとひらびより  作者: 追川雪乃(追兎電鉄広報部)
お嬢様も、いつもの駅で

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やさしさの向く先


 その日の追兎天神駅は、どこか落ち着いた空気だった。


 電車はいつも通りに来て、いつも通りに発車していく。

 改札を通る人の流れも、朝ほどの慌ただしさはもうない。


 そんな中で、うさぎは案内板の前に立っていた。

 少しだけずれていた掲示を直して、端が浮いていないか確かめて、それから一歩下がる。


「……よし」

 小さくつぶやいたところで、近くから声がした。


「あの、すみません」


 振り向くと、年配の女性が少し困ったような顔で立っている。


「はい」

「この電車で、美久宮まで行けますか?」


 うさぎは時刻表を見て、すぐにうなずいた。


「はい、大丈夫です。次の電車で行けますよ」

「よかった……ありがとう」

「いえ」


 女性はほっとした顔で去っていく。

 うさぎはその後ろ姿を見送ってから、もう一度だけ掲示を見上げた。


「……うさぎさん」


 静かな声だった。


 うさぎが振り向くと、少し離れたところにしおんが立っている。


「しおんちゃん?」

「少し、お時間よろしいでしょうか」

「うん。どうしたの?」


 しおんはいつも通りのきれいな姿勢で立っていた。

 表情も、声も、落ち着いている。


 でも、何となく。


 今日は少しだけ、ほんとうに聞きたいことがあって来たように見えた。


「いまの方は、ご親戚の方ですか」

「え?」

「先ほどお話しされていた方です」

「ああ……ううん、違うよ」


 うさぎは首を横に振る。


「初めて見かけた方」

「そうですか」


 しおんはそれだけ言って、一瞬だけ黙った。


 そこで終わるのかと思ったけれど、終わらなかった。


「……では、どうしてあそこまで親切にできるのですか」


 うさぎは少しだけ目をぱちぱちさせた。


「どうして、って……」

「失礼な聞き方でしたら申し訳ありません」


 しおんは静かに言う。


「ただ、ずっと不思議だったのです」


 うさぎはその言葉に、少しだけ首をかしげた。


 ずっと。


 その言い方が少しだけ引っかかった。


「わたしのこと、見てたの?」

「見ておりました、仕事の合間に、何度か」

 しおんはあっさり言った。


 なんだか少し照れくさくなって、うさぎは視線をそらす。


「気になっていたんです」


 しおんの声は、落ち着いている。

 でも、少しだけ正直だった。


「うさぎさんは、親族でも友人でもない方に、どうしてそこまで親切にできるのだろうと」

「うーん……」


 うさぎは少しだけ考えた。

 あらためて聞かれると、言葉にするのは難しい。


「どうして、って言われると困るけど……」

 少しだけ眉を寄せる。

「困ってる人がいたら、放っておけないだけかな」


 しおんは黙って聞いている。


「それに」

 うさぎは、少しだけ笑った。

「やっぱり、みんなに笑顔でいてほしいし」

「笑顔、ですか」

「うん。笑顔って大事だよね」


 しおんはその言葉を、すぐには飲み込めなかったみたいだった。


「……私には、まだよくわかりません」

「そう?」


 うさぎはしおんを見る。


 たしかに、しおんの優しさは少し違う方向を向いている気がした。


「しおんちゃんは、知らない人のために頑張るっていうより」

 少しだけ考えてから言う。

「大事な一人のために、アリスちゃんのためには何でもできる人って感じ」

「はい」

 しおんは迷わずうなずいた。


「私はアリス様が幸せなら、それでいいんです」

「やっぱり」

「それが一番大切ですから」

「うん。でも、それってすごいよ」


 しおんが、少しだけ目を上げた。


「……すごい、ですか」

「すごいよ」

 うさぎは素直に言った。


「だって、アリスちゃんのためなら何でもするじゃない」

「メイドですから当然です」

「それでもだよ」


 うさぎは手すりにもたれそうになって、やっぱりやめた。

 仕事中だから、と小さく思い直したのだ。


「わたし、見てたよ」

「何をでしょう」

「しおんちゃんが、アリスちゃんを見てる時の顔」

「……顔」

「うん」


 うさぎはちょっとだけ笑う。


「メイドっていうより、お姉ちゃんみたい」

「……そうですか」


 しおんの声が、ほんの少しだけ静かになる。


 その反応を見て、うさぎは思った。

 あ、これ、たぶん少し照れてる。


 しおんは表情に出ない。

 でも、出ないだけで、本当に何も感じていないわけじゃない。


「やっぱり、しおんちゃんってすごいよ」

 うさぎはもう一度言う。

「わたし、お姉ちゃんに命令されても、猫耳つけて仕事しろって言われたら……」

 少しだけ顔をしかめた。

「たぶん、すごく困る」

「この猫耳ですか」

 しおんが自分の頭に手をやる。


 今日もちゃんとつけている。


「うん」

「最初は、たしかに恥ずかしかったです」


「だよね」

 うさぎは思わずうなずく。


「ですが」

 しおんは少しだけ間を置いた。


 それから、いつもの落ち着いた顔のままで言う。


「……可愛くないですか?」


「えっ、そこ?」

 うさぎは思わず聞き返した。


 しおんは少しも揺らがない。


「可愛いと思うのですが」

「いや、可愛いかどうかじゃなくて」

「重要です」

「重要なんだ……」


 そこへ、元気な声が割り込んできた。


「しおんちゃん、その猫耳、少し喜んでるように見えるよ」


 みこだった。


 いつの間にか少し離れたところにいて、じっとしおんの頭を見ていたのだろう。


「何が?」

 うさぎが聞く。


「しおんちゃんの猫耳が喜んでいるように見えます!」


 みこは真剣な顔で言う。


「見えません」

 しおんが即答する。


「えー、でもさっきよりちょっと元気になったような……」

「気のせいです」

「そうかなあ」


 みこは首をかしげた。


 うさぎも、つられてしおんの猫耳を見た。


 カチューシャなのだから、動くはずはない。

 そんなことはわかっている。


 でも、なぜだかほんの少しだけ、いつもよりぴんとして見える気もした。


「……まさかね」

 うさぎが小さくつぶやく。


 しおんは少しだけ視線をそらした。


「ともかく」

 咳払いみたいに声を整える。

「うさぎさんのお気持ちは、少しだけわかりました」

「ほんと?」

「はい」


 しおんは静かにうなずく。


「みんなに笑顔でいてほしい、というのは、私にはまだ少し広すぎますけれど」

「……ですが」


 しおんは、ほんの少しだけやわらかい目をした。


「アリス様の周りにいる方たちが、穏やかでいてくださるなら……それは、たしかにありがたいことだと思います」

「うん」


 うさぎはうれしくなって、ちょっとだけ笑った。


「じゃあ、わかってきてるんじゃない?」

「そうかもしれません」

「しおんちゃん、成長している…ってこと?」

 みこが疑問形で言う。


「みこさん、それは少し違う気がします」

「違うの?」

「違います」

「でもちょっと嬉しそうです!」

「気のせいです」


 即答だった。


 でも、今度はうさぎにも少しわかった。


 ああ、しおんちゃんって、こういう子なんだ。


 ちゃんと考えて、ちゃんと抱えて、ちゃんと大事にして。

 でも、それをあまり表に出さないだけなんだ。


「ねえ、しおんちゃん」

「はい」

「今度、また二人で話そうよ」

「……二人で、ですか」

「うん」


 うさぎは少しだけ照れくさくなったけれど、そのまま続けた。


「しおんちゃんと話してると、なんか、ちゃんと考えたくなるから」

「それは褒めているのでしょうか」

「たぶん」

「曖昧ですね」

「しおんちゃんも、さっき“少しだけわかりました”って言ってたでしょ」

「……そうでした」


 しおんは、ほんの少しだけ口元をゆるめた気がした。


 気のせいかもしれない。

 でも、たぶん気のせいじゃない。


 みこが、そんな二人を見てにこっと笑う。


「うさ姉さまとしおんちゃん、ちょっと似てるのかも」

「えっ」

 うさぎが振り向く。


「どこが」

「どっちも優しいのに、ちょっとわかりにくいところ!」


 一瞬、沈黙。


 それから、うさぎが先に言った。


「……それ、褒めてる?」

「褒めてます、うさ姉さま」

「そういうことにしておくわ」

「私も、そういうことにしておきます」

 しおんも静かに続けた。


 その言い方がおかしくて、うさぎは思わず笑ってしまった。

 そして、みこもにこっと笑った。


「わたし、うさ姉さまが大好きだけど、しおんちゃんも大好きだよ」


 一瞬だけ、しおんは言葉を失った。


 好き。


 そんなふうに、まっすぐ言われたことがあっただろうか。


「……そうですか」

 それだけ返すのが、やっとだった。


 でも、少しだけ頬が熱い。


 みこは何でもないことみたいに笑っていて、

 うさぎはそんな二人を見て、少しだけ目を細めていた。


 しおんは小さく息をつく。


 アリス様がいるから、大事にしたい。

 そう思ってここに来た。


 けれど今は、アリス様の周りにいる人たちのことも、

 少しずつ好きになれそうな気がしていた。

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