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ひとひらびより  作者: 追川雪乃(追兎電鉄広報部)
お嬢様も、いつもの駅で

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雪乃さんの一日


 朝は、あまり得意ではない。


「……ん……」


 追川家の二階、雪乃は布団の中でゆっくりまぶたを開いた。


 起きたくないわけではない。

 ただ、頭と体が、朝だけ少しだけ別々に動いているような感覚になる。


「いま何時……」

 ぼんやりしたまま身を起こして、枕元の時計を見る。


「……あら」

 起きる時間は、ぎりぎり守れていた。


 えらい。

 自分で自分を褒めたいくらいには、えらい。

 そう思いながら部屋を出て、ふらふらと階段を下りる。

 台所から、いい匂いがしていた。


「おはよう、お姉ちゃん」

 振り向いたうさぎが、いつものように静かな声で言う。


 制服姿。

 髪もきちんと整えていて、もう学校へ行く準備が済んでいる。

 雪乃はその姿を見て、少しだけ目を細めた。


「……おはよう、うさちゃん」

「まだ寝てる?」

「少しだけ」

「少しだけなら大丈夫ね」

「そうね……たぶん」


 言いながら席につく。

 目の前には、もう朝ごはんが並んでいた。


「今日も作ってくれたの?」

「今日“も”よ」

「そうだったわ」

「忘れてたの?」

「感謝してるから大丈夫」

「それ、便利な言葉だと思ってない?」


 うさぎはそう言って、少しだけあきれたような顔をする。

 でも、嫌そうではない。


 雪乃は味噌汁をひとくち飲んで、ふう、と息をついた。


「おいしい」

「ほんと?」

「ええ」


 こういう時のうさぎは、ちょっとだけ子どもみたいな顔になる。

 雪乃はそれが好きだった。


 好きだからこそ、つい何でもしてあげたくなる。

 でも最近のうさぎは、前よりずっとしっかりしていて、こうして朝ごはんまで作ってしまう。


 うれしい。

 でも少しだけ、さみしい。


 たぶん、姉というものは、わりと勝手な生き物なのだと思う。


「うさちゃん」

「なに?」

「今日も頑張ってね」

「うん」


 うさぎは小さくうなずいて、それから少しだけ笑った。


「お姉ちゃんも寝ぼけたまま行かないでね」

「さすがに外では大丈夫よ」

「家の中だけなのね……」

「そういうこと」


 雪乃はそう言って、残りの朝ごはんを食べた。


 外へ出るころには、もう寝ぼけた顔は消えている。

 背筋を伸ばし、髪を整え、表情を整える。

 大学へ向かう道のりも、講義中の姿も、そのあとの仕事も。

 雪乃はいつも、きちんとしている。

 少なくとも、そう見えるようにはしていた。


 大学の講義を終えたあと、雪乃はそのまま追兎電鉄の広報へ向かう。


 追兎電鉄広報担当――といっても、まだアルバイトの立場だ。

 けれど、任される仕事はちゃんとある。


 取材の同行。

 広報資料の整理。

 社内向けの文章作成。

 時には写真の確認や、現場での聞き取りもある。


 どうして自分がここにいるのか。

 理由は簡単だった。


 うさぎが地域貢献科を選んで、駅で働くことになったと知った時。

 雪乃は、うれしいと思ったのと同じくらい、不安にもなった。


 うさちゃんが頑張るのは知っている。

 頑張りすぎてしまう子だということも知っている。


 だから気になった。


 同じ追兎電鉄の中にいられたら。

 何かあった時、少しでも近くにいられたら。

 そんな気持ちで応募して、気づけば本当に働いていた。


 ただし、それはまだうさぎには話していない。


 同じ追兎天神駅で働けたなら、もっとわかりやすかったのかもしれない。

 でも実際に配属されたのは広報だった。

 少し残念だったけれど、今ではこれはこれでよかったと思っている。


 広報だからこそ、駅へ行く用事もある。

 少し離れた立場だからこそ、うさぎの頑張る姿を、そっと見守ることもできる。


 ……もっとも。


 見つかりそうになると、なぜか反射的に隠れてしまうのだけれど。


 それは自分でも、少しおかしいと思っていた。


「今日は追兎天神駅の写真、追加で何枚か押さえてきてもらえる?」

「はい」


 広報の先輩にそう頼まれて、雪乃は小さくうなずいた。


「それと、駅まわりの案内掲示が変わったって聞いてるから、現場でも軽く確認お願い」

「わかりました」


 追兎天神駅。


 その名前を聞くだけで、雪乃の胸の奥は少しだけやわらかくなる。


 うれしい。

 でも、少しだけ落ち着かない。


 今日、うさぎはいるだろうか。

 元気にしているだろうか。

 ちゃんとご飯、食べたかしら。

 無理してないかしら。


 考えだすと、きりがない。


「雪乃さん?」

「……はい」


 呼ばれて、雪乃はすぐに顔を上げた。


 外では、ちゃんとしないといけない。


「行ってきます」

「よろしくね」


 追兎天神駅は、今日も穏やかな駅だった。

 電車が来て、人が行き交って、アナウンスが流れている。


 雪乃は広報用の確認をしながら、さりげなく駅の中を見た。


 そして――見つけた。


 改札の近く。

 うさぎがいた。


 駅員として立っているうさぎは、家にいる時とは少しだけ違って見える。

 表情はきりっとしていて、声は落ち着いていて、動きに無駄がない。

 ちゃんと働いている。

 その姿に、雪乃は少しだけ胸を張りたくなった。


 ああ、うさちゃん。

 ちゃんとやっているのね。


 でも次の瞬間、雪乃は思わず柱の陰に身を寄せた。

 うさぎが顔を上げた気がしたからだ。


「……あぶない」


 誰に聞かせるでもなく、小さくつぶやく。

 どうして見つかりたくないのか、自分でもうまく説明できない。

 ただ、まだ秘密のまま見ていたかった。

 うさちゃんが頑張っている姿を、姉としてではなく、もう少しだけ外から見ていたかった。


 そんな時だった。


「だからさっきから言ってるよね!」


 少し荒い声が、改札のほうから聞こえてきた。

 雪乃ははっとして、そちらを見る。

 年配の男性客が、うさぎに詰め寄るようにして話していた。

 うさぎは頭を下げながら、落ち着いた声で応じている。


「申し訳ありません。ただ、その件に関しましては――」

「そっちの都合なんて知らないんだよ!」

「ご不便をおかけして申し訳ございません」

「謝ればいいってもんじゃないだろ!」


 理不尽なクレームだった。

 内容は、どう聞いても追兎天神駅の責任ではない。

 別の事情が重なっているだけで、うさぎに怒鳴る筋合いはない。

 それでもうさぎは、言い返さなかった。

 感情を顔に出しすぎず、でも冷たくならないように、丁寧に、丁寧に対応している。


 雪乃はぎゅっと指先を握った。

 頑張ってる。

 ちゃんと耐えている。

 ちゃんと仕事をしている。


 でも、それと同じくらい――


「……大丈夫かしら」


 心配だった。

 今すぐ出ていって、うさぎを庇いたい。

 その理不尽な言葉を、全部自分が受け止めてしまいたい。


 でも、それはできない。


 雪乃は、ただ見ているしかなかった。


 やがて近くにいた駅員が気づいて間に入り、ようやくその場は収まった。

 男性客はまだ不満そうだったが、それ以上は言わずに去っていく。

 うさぎは、最後まで頭を下げていた。

 そして顔を上げた時、その表情はもういつも通りに戻っていた。


 でも、雪乃にはわかった。

 あの子は、ああいう時ほど平気な顔をする。

 平気じゃないのに、平気なふりをする。

 子どもの頃から、ずっとそうだった。


「……うさちゃん」


 呼べるはずもない名前を、雪乃は心の中でだけ呼んだ。




 帰り道、雪乃の足取りは少しだけ重かった。

 家へ戻る道でも、さっきのうさぎの顔が頭から離れない。


 平気なふり。

 ちゃんとした返事。

 丁寧な言葉。

 少しも泣きそうには見えなかった。


 でも、そういう時のうさぎほど、ほんとうは危うい。


 玄関を開ける。


「ただいま」


 返事はすぐにはなかった。

 少しだけ家の中が静かで、雪乃は靴を脱ぎながらそっと眉を寄せる。


「うさちゃん?」

 呼んでみると、居間のほうから小さな気配がした。


 そこにいたうさぎは、制服のまま、少しだけ小さく見えた。


「……おかえり、お姉ちゃん」

「ただいま」


 いつも通りの声に聞こえる。

 でも、少しだけ元気がない。


 雪乃はそっと近づいた。


「今日、どうだった?」

「べつに」

「べつに、じゃないでしょう」

「……」


 うさぎは目を伏せる。


 その顔を見た瞬間、雪乃の中で何かがほどけた。

 考えるより先に、体が動いていた。

 そっと近づいて、抱きしめる。


「え……」

 うさぎの肩が、かすかに揺れた。


 雪乃は、そのままやさしく抱きしめる。


「頑張ったわね」

 それだけ言った。


 それだけでよかった。


 うさぎの体から、ふっと力が抜けるのがわかった。


「……うん」

 小さな声。


「わたし……頑張ったんだよ」

 その一言のあと、堪えていたものが一気にあふれたみたいに、うさぎの声が震えた。


「うん」

 雪乃はもう一度言う。

「見てなくてもわかるわ。うさちゃん、ちゃんと頑張ったのね」


 うさぎは雪乃の肩に顔を埋めたまま、泣いていた。


 大きく泣き叫ぶわけではない。

 声を殺すみたいに、静かに泣く。

 雪乃はその背中を、ゆっくりと撫でた。


 まだまだ、うさちゃんは子どもだ。


 ちゃんと頑張れる。

 ちゃんと我慢もできる。

 でも、だからこそ、無理をしてしまう。


 やっぱり、私がついていてあげないと。


 そう思う。


 姉として。

 見守る人として。

 甘えてきた妹を、今度は抱きしめ返してあげられる人として。


「大丈夫よ」

 雪乃は小さく言う。

「今日はもう、頑張らなくていいから」


 うさぎは何も言わなかった。


 ただ、雪乃の服を少しだけぎゅっとつかんだ。


 その小さな仕草に、雪乃はまた少しだけ胸が痛くなって、でも同時に、あたたかくもなった。


 今日も一日、いろんなことがあったのだろう。


 うさぎには、うさぎの一日がある。

 雪乃には、雪乃の一日がある。


 でも最後にこうして帰ってきて、抱きしめられる場所があるなら。

 それだけで、きっと少しは救われる。


 雪乃は目を閉じて、もう一度だけ、やさしく妹を抱きしめていた。

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