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ひとひらびより  作者: 追川雪乃(追兎電鉄広報部)
お嬢様も、いつもの駅で

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49/65

不思議の駅のアリス


 その日の追兎天神駅は、いつもより少しだけ、まったりしていた。


 人がいないわけではない。

 電車はちゃんと来るし、お客さんもいる。

 でも、朝のばたばたが過ぎたあとは、雨上がりの空気みたいに、どこかやわらかく時間が流れていた。


「たいくつね……」


 アリスは小さくつぶやいた。


 今日は特に大きな仕事もない。

 掃除はひと通り終わったし、案内の出番も今はない。


 みこは、なぜか少し離れたところで歌の練習をしている。

 マリーはその横で何か面白そうなことを考えている顔。

 しおんは、そんな様子を少し離れて見ながら、必要そうならすぐ動けるようにしていた。


 そして、うさぎだけが忙しそうだった。


 掲示物を見て、

 時刻表を確認して、

 改札の近くに目をやって、

 また別の場所へ行く。


 アリスは少しだけ身を乗り出した。


「……どうしてうさぎちゃんだけ、そんなに忙しそうなのかしら」


 特別なことをしているようには見えない。

 でも、じっと見ていると、たしかにずっと何かしている。


 まるで、駅の中に見えない糸でも張ってあって、うさぎだけがその糸をたどれるみたいだった。


 暇だった、というのもある。


 アリスはそっと立ち上がると、うさぎのあとをついていった。


 うさぎは気づいていない。


 改札の前を通って、ホームの掲示を見て、今度は非常ボタンの近くで立ち止まる。


 アリスは柱の陰からじっと見た。


 うさぎは何かを確認して――


 小さく会釈した。


 アリスは目をぱちぱちさせる。


「……いま、何したの?」


 うさぎはそのまま、また次の場所へ向かっていく。


 アリスはさらにあとをつけた。


 ホームの端。

 改札の横。

 階段の前。


 どこでも、うさぎは立ち止まっては、ちょっと見て、ちょっと動いて、何かを確かめている。


 しかも妙だった。


 最初は一つだった非常ボタンが、気づけば二つに見えた。

 次の角では、三つ並んでいた気がする。

 掲示板も、ひとつ見たはずなのに、似たものがまた次に出てくる。


 通路も、さっき通ったところと同じに見えるのに、なぜか少しずつ違った。


 うさぎは平然としている。


 アリスだけが、だんだん変な気分になっていく。


 次にうさぎが立ち止まったのは、また別の非常ボタンの前だった。


 そして今度は、アリスにもちゃんと見えた。


 うさぎは、少しだけ頭を下げた。


「……やっぱり」


 アリスは思わずつぶやいた。


 その瞬間。


「何してるの」


 声がして、アリスはびくっとした。


 振り向くと、うさぎが立っていた。


「べつに」

「べつにじゃないでしょ。ずっとついてきてたじゃない」

「うさぎちゃんの仕事が、ちょっと……変だっただけよ」

「変って何よ」

「ボタンに挨拶してたわ」

「ボタンに挨拶するのは当然でしょ。アリスちゃんはしていないの?」

「えっ、そうなの?」


 アリスは本気で聞き返した。


 うさぎは真顔のままだ。


「そうよ」

「知らなかったわ……」

「知らなかったの?」

「そんな決まり、どこにも書いてないじゃない」

「書いてなくても、するものはするの」

「そういうものなの?」

「そういうものよ」


 きっぱり言われて、アリスは少しだけうろたえた。


 うさぎの言い方があまりにも自然だったからだ。

 もしかすると本当に、駅にはそういう礼儀があるのかもしれない。


 非常ボタンだけではないのかもしれない。

 案内板にも、階段にも、ホームの白線にも、ひとつずつ挨拶していく決まりがあるのかもしれない。


 そう思うと、駅じゅうのものが急に何か意味ありげに見えてきた。


「……不思議な駅ね」

「普通の駅よ」

「そうかしら」

「そうよ」


 うさぎは少しだけため息をついた。


「そんなに暇なら、一緒に仕事する?」

「えっ」

「見てるだけなら、手伝って」

「どうしてそうなるのよ」

「暇なんでしょ?」

「……そうだけど」


 アリスは少しだけ悔しい気持ちになったけれど、結局ついていくことにした。


 それからしばらく。


 うさぎはアリスを連れて、駅の中をあちこち歩いた。


「ここは?」

「掲示の確認」

「ここは?」

「足元の注意」

「ここは?」

「こっちは清掃」

「ここは?」

「同じところ」

「さっきも見たわよ」

「確認は二回するの」

「どうして?」

「そういうものだから」

「全部それで済ませるつもり?」


 ひとつひとつは地味なのに、終わらない。


 確認して、見て、直して、また移動して。

 次の角を曲がるたびに、さっきと似た通路が現れる。


 階段を下りたと思ったら、また階段がある。

 掲示を見たと思ったら、その横にまた掲示。

 非常ボタンのそばを通ったと思ったら、また次の非常ボタン。


 しかもその非常ボタンたちは、どれも少しずつ顔が違うように見えた。


 まるいの。

 四角っぽいの。

 なんだか少しむっとしていそうなもの。

 とても親切そうなもの。


 うさぎは、その全部を見分けているみたいだった。


「まだあるの?」

「あるわよ」

「さっきからずっと、同じことしてる気がするんだけど」

「気のせい」

「絶対気のせいじゃないわ」


 通路は長かった。


 さっき見た柱が、また向こうに見える。

 その向こうにも、似た柱がある。

 時計は同じ位置を指している気がするのに、人の流れだけが入れ替わる。


 アリスは次第に、自分が駅の中にいるのか、駅の中にできた別の場所にいるのかわからなくなってきた。


 それでも、うさぎだけは平気な顔で先へ行く。


 追いかける。

 追いかける。

 追いかけても、うさぎは少し先にいる。


 いつも見える背中の、ちょうど少しだけ先。


 なんだか本当に、うさぎを追いかけているみたいだった。


「待ちなさいよ」

「待ってるでしょ」

「待ってないわ」

「待ってるわよ」

「ぜんぜん待ってない!」


 うさぎは振り返って、ちょっとだけ笑った気がした。


 でも次の瞬間には、もう少し先にいる。


「じゃあ次」

「まだあるの……?」

「あるわよ」


 うさぎが指さした先には、トイレがあった。


 アリスは一瞬だけほっとする。


「なんだ、トイレ掃除ね」

「そう」

「それなら、まあ……」


 言いかけたところで、うさぎが扉を開けた。


 アリスは絶句した。


 中には個室が、ずらりと並んでいた。


 一列。

 二列。

 三列。


 その先にも、また扉。

 扉の向こうにも、扉。

 なぜか二階みたいなものまで見える。

 階段の上にも個室。

 下にも個室。

 横にも、斜めにも、奥にも手前にも、扉、扉、扉。


 扉にはそれぞれ番号がついていた。


 七番。

 十二番。

 三十六番。

 九十九番。

 百一番。


「……えっ」


 アリスは目をぱちぱちさせる。


「なにこれ」

「トイレよ」

「そんなの見ればわかるわよ!」

「じゃあ何」

「多すぎるのよ!」


 うさぎは平然としている。


「これくらい普通でしょ」

「普通じゃないわ!」

「そう?」

「そうよ!」


 アリスは一歩後ずさった。


 見ても見ても、個室が続いている。

 しかも、どの扉も少しずつ違う。


 ひどく立派な扉。

 かわいい花模様の扉。

 なぜか一つだけ、妙に威張っていそうな扉。

 そして、いちばん奥には、やけに立派で重そうな扉がひとつ。


「……まさか」

「なに?」

「あれが、いちばん大変なところ?」

「たぶんね」

「たぶんって何よ!」


 うさぎは、いつの間にかモップを持っていた。

 バケツも、雑巾も、ブラシまである。


 しかも制服も、最初よりちょっとだけそれらしく見える。

 帽子までついているような気がする。


「じゃあ、トイレ掃除もしましょう」

「しないわよ!」

「どうして」

「こんなに出来ないわよ!」


 アリスは叫ぶ。


「わたしはお嬢様なのよ!」


 その声が、やけに大きく響いた。


 ずっと先まで続く個室の扉に、

 その言葉だけが、何度も何度も跳ね返っていく。


 わたしはお嬢様なのよ。

 お嬢様なのよ。

 なのよ。

 よ。

 よ――


 すると百一番の扉が、ぎい、と少しだけ開いた。


 中から見えたのは、もう一つのトイレだった。


「いやああああ!」


「そんなにトイレ掃除できないわ……」


 アリスは、まだ少し夢の続きを見ているみたいな声でつぶやいた。


「アリス様?」


 聞こえてきたのは、しおんの声だった。


 ゆっくり目を開ける。


 そこは追兎天神駅の休憩用の椅子だった。

 窓の向こうには、いつもの駅。

 横には、うさぎ。

 その少し後ろには、しおん。


「……え」


 アリスは何度かまばたきをする。


「起きた?」

 うさぎが言った。

「そろそろ帰りましょう、アリス様」

 しおんが静かに続ける。


 アリスはまだ少しぼんやりしたまま、あたりを見回した。


 非常ボタンは普通に一個だった。

 通路も長すぎない。

 トイレも、たぶん百個はない。

 たぶん。


「……夢?」


「どうしたの?」

 うさぎが聞く。

「なんでもないわ」


 アリスは急いで言った。


 でも、頭の中にはまだ、ずらりと並んだ個室と、百一番の扉の向こうにあった“もう一つのトイレ”が残っている。


「そんなにトイレ掃除できないわ……」

「まだ言ってる」

 うさぎが呆れたように言う。


 しおんは少しだけ首をかしげた。


「よほど印象的な夢だったのですね」

「そういうことになるわね……」


 アリスはゆっくり立ち上がった。


 少しだけ頬が熱い。

 夢の中で何を言ったか、うっすら覚えているからだ。


 その横で、うさぎが不思議そうにアリスを見ている。


「何か変な夢でも見たの?」

「……べつに」

「べつにって顔じゃないわよ」

「べつにったら、べつに」


 アリスはそっぽを向いた。


 でも、そのあとで、少しだけうさぎを見た。


 忙しそうに駅の中を歩いていた背中。

 追いかけても追いかけても、少し先にいた感じ。

 夢だったのに、妙にほんとうみたいだった。


「うさぎちゃん」

「なに?」

「……駅の仕事って、たいへんなのね」

「いきなりどうしたの」

「べつに」


 アリスはまた言った。


 でも今度の“べつに”は、少しだけやわらかかった。


 うさぎは変な顔をしたけれど、それ以上は聞いてこなかった。


「帰るわよ」

「はい、アリス様」

「うん」


 立ち上がって歩き出す。


 追兎天神駅は、今日もいつも通りだった。


 でもアリスの中には、まだ少しだけ、不思議の駅の気配が残っていた。


 そしてたぶん――

 うさぎを見つけるたびに、また少しだけ思い出してしまうのだろう。


 あの、ずっと先を歩いていた背中のことを。

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