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ひとひらびより  作者: 追川雪乃(追兎電鉄広報部)
お嬢様も、いつもの駅で

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しおんちゃんの一日


 朝は、いつも静かに始まる。


 まだ外がやわらかい明るさのうちに目を覚まして、しおんは一度だけ小さく息をついた。


 今日も一日が始まる。


 眠いわけではない。

 むしろ、朝は得意なほうだ。


 身支度を整えて、髪をまとめて、鏡の前に立つ。

 そこまでやってから、隣の気配を思い出す。


「……そろそろでしょうか」


 しおんは静かにアリスの部屋へ向かった。


 扉を開けると、案の定だった。


 ベッドの中に、ふくらみがある。

 そしてそのふくらみは、ぴくりとも動かない。


「アリス様」


 呼ぶ。


 返事はない。


「朝です」

「……」


「起きる時間です」

「……あと少し」


 布団の中から、くぐもった声がした。


 しおんは少しだけ目を細める。


 起きてはいる。

 でも起きない。


 いつものことだ。


「あと少し、ではございません」

「あと少しよ」

「同じです」


 しおんが言うと、布団の中でもぞもぞと動く。


「今日は雨?」

「雨です」

「じゃあ余計に起きたくないわ」

「お気持ちはわかります」

「わかるなら寝かせて」

「寝かせません」


 きっぱり言う。


 それでもアリスは起きない。


 しおんはベッドのそばまで歩いていって、布団の端を少しだけ持ち上げた。


「アリス様」

「うぅ……」

「起きてください」

「しおんがやさしくない……」

「やさしくしております」

「してないわ……」

「しております」


 そこでようやく、アリスが少しだけ顔を出した。


 寝起きの顔は、いつもより少し幼い。

 髪も少しだけ乱れていて、まぶたも重たそうで、全然お嬢様らしくない。


 でも――


 可愛い。


 しおんはそれを顔に出さないようにして、静かに言う。


「おはようございます、アリス様」

「……おはよう」


 不機嫌そうな小さな声。


 それもまた、少しだけ可愛い。


 ほんの少しだけ、しおんの口元がゆるむ。


 でも、すぐに戻した。


「では、起きましょう」

「いま、ちょっと笑った?」

「気のせいです」

「絶対笑ったわ」

「気のせいです」


 アリスは納得していない顔だったけれど、結局そのまま起き上がった。


 寝起きが悪い。

 ほんとうに悪い。


 でも、毎朝こうして起こす時間も、しおんは嫌いではなかった。


 追兎天神駅に着く頃には、空はすっかり明るくなっていた。


 雨上がりではない。

 今日も最初から、きちんと雨だった。


 しおんはアリスの制服の乱れをさりげなく整えながら、小さく息をつく。


「襟元、少しだけ」

「また?」

「またです」

「そんなに曲がってる?」

「ほんの少しです」

「ほんの少しならいいでしょう」

「よくありません」


 そうやって整えていると、元気な声が飛んでくる。


「おはようございますー!」


 みこちゃんだ。


 朝からちゃんと明るい。

 少し前の雨の日には元気をなくしていたのに、今日はだいぶ戻っているようだった。


「おはようございます」

 しおんが返すと、みこちゃんはにこっとする。


「しおんちゃん、今日もきれい!」

「ありがとうございます」

「えへへ、ほんとです!」


 こういうところが、みこちゃんらしい。


 思ったことを、そのまま言う。

 遠慮も飾りもなくて、でも嫌な感じが全然しない。


 最初は、こんなにまっすぐ懐いてくる子だとは思わなかった。


 いや、思わなかったというより――

 自分にそこまで近づいてくる子がいることに、少し戸惑っていた。


 でも今は違う。


 みこちゃんが友達になってくれて、よかったと思う。


 アリスも少しずつ変わった。

 駅のお仕事に慣れてきたのもあるけれど、それだけじゃない。


 みこちゃんの明るさに引っぱられて、知らないことを知ったり、できないことに挑戦したりするようになった。


 少しずつ、少しずつ。


 成長しているのだと思う。


「しおんちゃん?」

 みこが首をかしげる。

「どうしました?」

「いえ」


 しおんは首を振った。


「みこさんが元気で、よかったなと」

「えっ」

 みこはぱっと笑顔になる。

「元気です!」


 その勢いに、しおんも少しだけやわらかい気持ちになる。


 ただ――


 少しだけ思うこともあった。


 前より、みこちゃんが自分に抱きついてくることが減った。


 前はもっと、嬉しい時も困った時も、そのまま飛び込んでくるようなところがあったのに。

 最近はアリスと歌ったり踊ったりすることが増えて、そういう勢いの行き先も少し変わったらしい。


 それはきっと、いいことなのだと思う。


 でも。


「……少しだけ、寂しいのでしょうか」


 心の中でだけ、そう呟く。


「なに?」

 アリスが振り向いた。

「いいえ、何でもありません」

「最近、しおん、たまに一人で考えごとしてるわよね」

「そうでしょうか」

「そうよ」

「気のせいです」

「気のせいって便利ね」


 アリスはそう言って、少しだけ笑った。


 午前の仕事は、比較的穏やかに流れていった。


 改札での案内。

 掲示の確認。

 小さな掃除。


 いつも通りの駅。

 いつも通りの仕事。


 その中で、しおんはふとマリーを見た。


 今日も駅の制服を着ている。

 それなのに、なぜだか少しだけおしゃれに見える。


 着こなしが派手なわけではない。

 規則を破っているわけでもない。


 でも、どこか軽やかで、ちゃんと自分の空気になっている。


「……不思議です」


 しおんは思う。


 制服を着ていても、その人らしさは消えないのだと、マリーを見ているとよくわかる。


 それに比べて自分はどうだろう。


 整えて、崩さず、間違えないようにして。

 それは嫌いではない。

 むしろそうあるべきだと思っている。


 でも、ほんの少しだけ。


 自分にも、あんなふうに軽やかさがあったなら、と考えてしまうことがある。


「……いえいえ」


 しおんはすぐに心の中で首を振った。


 自分はメイドなのだ。

 そんなことを考えては――


「しおんちゃん?」


 ちょうどその本人が、ひょいと顔をのぞき込んできた。


「はい」

「いまアタシ見て、なんか考えてた?」

「いえ」

「ほんとに?」

「ほんとうです」

「ふーん」


 マリーは少しだけにやっとした。


「でも、しおんちゃんって制服きっちり着てても、もうちょっと遊んでも似合いそうだよね」

「遊ぶ、とは」

「たとえば、もっとフリルのついたスカートにするとか」

「必要ありません」

「早いなあ」

「必要ありません」

「二回言った!」


 お昼を過ぎた頃、小さな騒ぎがあった。


 大きな事件ではない。

 でも、少しだけ危ないところがあった。


 みこちゃんが慌てて角を曲がってきて、ちょうど出てきたお客さんとぶつかりそうになったのだ。


「あっ」

「きゃっ」


 お客さんの手に持っていた荷物が傾く。


 その瞬間、うさぎがすっと前に出て支えた。


「危ない!」


 荷物は落ちなかった。

 お客さんも転ばなかった。


「す、すみません!」

 みこが頭を下げる。

「大丈夫ですか!?」

「ええ、大丈夫よ」

 お客さんは少し驚いた顔をしながらも、そう言ってくれた。


 うさぎはすぐにもう一度頭を下げる。


「申し訳ありません」

「いえ、こちらこそ急に出てしまって」


 やり取りはそれで終わった。

 大きな問題にはならない。


 でも、少し間違えば危なかった。


「もう、みこちゃん」


 うさぎが振り向く。


「走らないでって言ってるでしょ」

「ご、ごめんなさい……」

「ケガしなくてよかったけど」

「はい……」

「次から気をつけて」

「はい……」


 言い方は少しきつい。

 でも、それが本気で心配していたからなのは、しおんにはわかった。


 みこちゃんはしょんぼりしていたけれど、うさぎはそのあとで、ちゃんと小さく付け足した。


「……でも、無事でよかった」

「うさ姉さま……」

「だから、次からはほんとに気をつけるのよ」

「はい!」


 そこまで見て、しおんはふっと息をついた。


 やっぱり、うさぎちゃんはやさしい。


 ただ、その出し方が少し不器用なだけで。


 しかも、あのやさしさは誰に対しても同じように向くのだろうか。


 みこちゃんにも。

 アリスにも。

 自分にも。


「うさぎさんって……」

 小さく心の中で考える。

「誰にでも優しいのかしら」


 そう思ったところで、うさぎ本人がこちらを見た。


「しおんちゃん?」

「はい」

「なにか言った?」

「いいえ」

「そう」


 うさぎはそれ以上聞かなかった。

 でも、その少し首をかしげる感じがなんとなく可愛くて、しおんは少しだけ視線をそらした。


 夜。


 お屋敷へ戻るころには、空気もしんと静かになっていた。


 アリスは少しだけ眠そうな顔をしている。


「今日は少し疲れたわ」

「お疲れさまでした」

「でも、楽しかったわよ」

「そうですか」

「なによ、その顔」

「いえ。よかったと思いまして」

「そう」


 アリスは小さくあくびをして、それから少しだけしおんのほうへ寄った。


 ほんの少しだけ。


 でも、そういう小さな距離の縮まりを、しおんはちゃんと知っている。


 部屋に戻って、身支度を整えて、ようやく一日が終わる。


 長かったような、短かったような。

 いつもと同じようで、少しずつ違う一日。


「今日も無事に終わったわね」


 そう思って、しおんは静かに灯りを落とした。


 アリスはきっと、明日の朝も寝起きが悪いだろう。

 みこちゃんはまた元気に笑うだろう。

 マリーちゃんは何か新しいことを思いつくかもしれない。

 うさぎちゃんは、きっとまた不器用にやさしい。


 そんな毎日が、少しずつ積み重なっていく。


 しおんは目を閉じる前に、ほんの少しだけ思った。


 悪くない一日だった。


 それどころか――

 たぶん、かなり好きな一日だった。

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