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ひとひらびより  作者: 追川雪乃(追兎電鉄広報部)
お嬢様も、いつもの駅で

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45/63

うさ姉さまは、やっぱり素敵


 その日、追兎天神駅は少しだけ慌ただしかった。


 朝の混雑がひと段落して、ようやく空気がゆるみはじめた頃。

 ホームの向こうでは駅員さんたちが、少し前の電車で起きた別の対応に追われている。


「今日はなんだか、いつもよりバタバタしてるね」

 マリーちゃんが言った。


「そうね」


 うさぎは時刻表の確認をしながら、小さくうなずく。


「でも、こういう日こそ落ち着いて動かないとだめよ」

「うさちゃん、そういう時ほんと駅員さんっぽいよね」

「駅員なんだから当たり前でしょ」


 うさぎが言い返した、その時だった。


 ぴっ、と無線が鳴る。


 全員の視線がそちらへ向いた。


 うさぎがすぐに無線を取る。


「はい、追兎天神駅です」

『追兎司令です。1099列車の3号車で、気分が悪くなった方がいらっしゃいます。次の停車時にホームで対応をお願いできますか』


 うさぎの表情が変わる。


「わかりました。ホームで対応します」

『お願いします』


 無線が切れた。


 一瞬だけ、まわりの空気がぴんと張る。


「気分が悪くなった人……?」


 みこが目をまるくする。


「どうしよう」

 アリスも、珍しくすぐに言葉が出なかった。


 さっき別件の対応で駅員さんたちが動いているのは、みんな見ている。

 いま、この場で動けるのは、自分たちしかいない。


「うさ姉さま……」


 みこの声が、ほんの少し不安そうに揺れた。


 うさぎはもう迷っていなかった。


「みこちゃん」

「は、はい!」

「お水、お願い。事務所にあるから、すぐ持ってきて」

「はい!」


「アリスちゃん」

「えっ、わ、わたし?」

「ホームのベンチの近く、少し空けておいて。すぐ座ってもらえるようにしたいの」

「わ、わかったわ!」


「しおんちゃん」

「はい」

「人の流れ、少し見てもらえる? まわりが混まないように」

「承知しました」


「マリーちゃん」

「うん!」

「駅員さん、手が空いたら来てもらえるように伝えてきて」

「了解!」


 そこまで一気に言ってから、うさぎは自分でホームのほうへ向かった。


 みんなも、はっとしたように動き出す。


 さっきまで戸惑っていたのが嘘みたいだった。


 電車がホームに入ってくる。


 うさぎは車両のドアの前で待った。


 ドアが開き、他の乗客に支えられるようにして降りてきたのは、顔色の悪い女性だった。


「大丈夫ですか」


 うさぎは声のトーンを少し落として、できるだけやわらかく言う。


「こちらで少し座りましょう」

「……すみません」

「大丈夫です」


 ホームのベンチの近くでは、アリスがちゃんと場所を空けて待っていた。


「こ、こちらへどうぞ」

「ありがとう」


 女性がゆっくり座る。


 そのタイミングで、みこがお水を持って走ってきた。


「うさ姉さま、お水です!」

「ありがとう。みこちゃん」


 うさぎは女性の顔を見た。


「お水、少し飲めそうですか?」

「……はい、少しなら」


 女性は小さくうなずく。


 みこがおそるおそる差し出したペットボトルを、うさぎが受け取って手渡した。


「無理しなくていいですから、少しずつで大丈夫です」


 その横では、しおんが周囲を自然に見ていた。


 人が立ち止まりすぎないように、でも不自然にならないように。

 近づきすぎる人がいれば、静かに一歩前へ出る。


「このままお通りくださいませ」


 その言い方は丁寧なのに、不思議と人がちゃんと動く。


 マリーも戻ってきた。


「駅員さん、もうすぐ来れるって!」

「ありがとう」


 うさぎは女性の顔色を見ながら、ゆっくり言った。


「少し休んで、落ち着くまでこのままでいましょう」

「すみません……」

「謝らなくていいです。気分が悪くなること、ありますから」


 その言い方があまりに自然で、みこは思わずうさぎを見た。


 いつものうさぎ姉さまだ。

 でも、少し違う。

 声も落ち着いていて、迷いがなくて、ちゃんと今何をすべきかが見えている。


 アリスも、少し離れたところからうさぎを見ていた。


 さっき、自分は何をしたらいいのかわからなかった。

 でもうさぎは、無線が入った瞬間に全部決めていた。


「……すごい」


 アリスが小さく呟く。


 しばらくして、別件の対応をしていた駅員さんが戻ってきた。


「ありがとう、うさぎちゃん。あとはこちらで引き継ぐよ」

「はい」


 うさぎが一歩下がる。


 女性は少し顔色が戻っていた。

 駅員さんがもう一度状態を確認し、必要なら駅事務所で休んでもらう流れになるらしい。


 大きな騒ぎにはならなかった。


 それが一番よかった。


「ふう……」

 ひと段落してから、みこがようやく息をついた。


「びっくりしました……」


「そうね」

 うさぎも小さくうなずく。


 でも、その顔にはさっきの緊張はもうなかった。


「うさ姉さまって、すごいです!」

 みこが、ぱっと顔を輝かせる。


「え?」

「だって、すぐにどうしたらいいか決めてて、すごくかっこよかったです!」


「べ、べつに……」

 うさぎはすぐに視線をそらした。


「それくらい、駅で働くんだから普通でしょ」


「普通じゃないよ」

 マリーが言う。


「うさちゃん、さっきめっちゃ頼もしかった」

「そういうの、いいから」


「いいから、じゃないわよ」

 アリスまで口をはさんだ。


 さっきよりも少しだけ、まっすぐな目でうさぎを見ている。


「ちゃんとしてる時は、ホント頼りになる」

「“ちゃんとしてる時”って何よ」

「だって普段は――」

「普段もちゃんとしてるわよ!」

「そういう反応するところも頼りになるわ」


「なによそれ……!」


 うさぎの耳が、ほんの少し赤くなっていた。


 しおんが静かに言う。


「お見事でした」

「しおんちゃんまで……」

「適切な指示だったと思います」

「べ、べつに……そんな大したことじゃないし」


 みこがすぐに言う。


「うさ姉さまがいなかったら、わたし、きっとおろおろしてました!」


 マリーがうなずく。


「わたしだって、何をしたらいいのか少し迷ったもの」


 アリスが言うと、うさぎは少しだけ目をまるくした。


 アリスがこういうふうに、素直に自分のことを認めるのは珍しい。


「だから……」


 アリスは少しだけ言いにくそうにしてから、続けた。


「うさぎちゃんって、やっぱりちゃんと先輩ですね」

「ちゃんとって何よ、ちゃんとって」

「そこは気にするのね」

「気にするわよ!」


 マリーが吹き出した。


「うさちゃん、めっちゃ照れてる」

「照れてない!」

「うさ姉さま、隠せてないです」

「みこちゃんまで!」


 うさぎは思わず声を上げた。


 でも、否定すればするほど、みんなの顔がにやにやしてくる。


 しまった、と思った時にはもう遅い。


「だって、耳赤いよ?」

 マリーが言う。

「うるさい!」

「うさ姉さま、かわいいです!」

「その褒め方やめて!」

「かわいいのは事実です」

 しおんが静かに補足した。

「しおんちゃんまで!?」


 アリスはそこで少しだけ笑った。


「頼りになるのに、褒めるとこんなになるのね」

「こんなって…」

「こんな表情ってことよ」

「説明になってないわ!」


 ホームに笑いが広がる。


 ついさっきまで少し張っていた空気が、すっかりやわらかくなっていた。


 うさぎは小さく息をついて、でも最後にはあきらめたみたいに言った。


「……もう、いいでしょ」

「よくない」

 マリーが即答する。

「うさ姉さま、もう一回言っていいですか?」

「だめ」

「素敵でした!」

「だからだめって言ったでしょ!」

「言っちゃった」

 アリスが少し楽しそうに言う。


 うさぎはもう、まともに顔を上げられなかった。


 でも――


 悪い気は、していない。


 困っている人の役に立てたことも。

 それをみんなが見ていてくれたことも。

 こんなふうに、少し照れくさいくらいまっすぐ褒められることも。


 本当は、ちょっと嬉しい。


 でも、それをそのまま言えるほど素直じゃない。


 だから、うさぎは小さく咳払いをして言った。


「次からはみんなも、もっと動けるようになりなさいよ」

「はい!」

「えー、そこなの?」

「そうよ」

「でも、うさちゃんがまたやってくれるなら安心じゃん」

「マリーちゃん」

「冗談だって」


 みこがこくこくとうなずく。


「でも、今度はわたしももっとちゃんと動けるようになります!」

「そうしてね」

「わたしも」


 アリスが少しだけ真面目な顔で言った。


「次はしっかりやるわ、あそこまで何も出来ないのは悔しい…」

「……そう」


 うさぎは、少しだけやわらかい声で返した。


「じゃあ今度、こういう時の動きもちゃんと教えるから」

「ほんと?」

「ええ」

「やった!」


 みこが嬉しそうに笑う。


 アリスも、少しだけほっとしたみたいな顔をした。


 しおんはその横で、小さくうなずく。


「よろしくお願いいたします」

「うん」


 追兎天神駅では、今日もいろんなことがある。


 大きな事件なんてなくても、急にびっくりするようなことは起こる。

 そのたびに、少しずつ覚えて、少しずつ慣れていく。


 きっと、それも駅のお仕事なんだろう。


 そして、うさぎはまだ少しだけ顔が熱いままで、

 でもそれを誰にも言わないまま、次の仕事へ向かった。

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