うさ姉さまは、やっぱり素敵
その日、追兎天神駅は少しだけ慌ただしかった。
朝の混雑がひと段落して、ようやく空気がゆるみはじめた頃。
ホームの向こうでは駅員さんたちが、少し前の電車で起きた別の対応に追われている。
「今日はなんだか、いつもよりバタバタしてるね」
マリーちゃんが言った。
「そうね」
うさぎは時刻表の確認をしながら、小さくうなずく。
「でも、こういう日こそ落ち着いて動かないとだめよ」
「うさちゃん、そういう時ほんと駅員さんっぽいよね」
「駅員なんだから当たり前でしょ」
うさぎが言い返した、その時だった。
ぴっ、と無線が鳴る。
全員の視線がそちらへ向いた。
うさぎがすぐに無線を取る。
「はい、追兎天神駅です」
『追兎司令です。1099列車の3号車で、気分が悪くなった方がいらっしゃいます。次の停車時にホームで対応をお願いできますか』
うさぎの表情が変わる。
「わかりました。ホームで対応します」
『お願いします』
無線が切れた。
一瞬だけ、まわりの空気がぴんと張る。
「気分が悪くなった人……?」
みこが目をまるくする。
「どうしよう」
アリスも、珍しくすぐに言葉が出なかった。
さっき別件の対応で駅員さんたちが動いているのは、みんな見ている。
いま、この場で動けるのは、自分たちしかいない。
「うさ姉さま……」
みこの声が、ほんの少し不安そうに揺れた。
うさぎはもう迷っていなかった。
「みこちゃん」
「は、はい!」
「お水、お願い。事務所にあるから、すぐ持ってきて」
「はい!」
「アリスちゃん」
「えっ、わ、わたし?」
「ホームのベンチの近く、少し空けておいて。すぐ座ってもらえるようにしたいの」
「わ、わかったわ!」
「しおんちゃん」
「はい」
「人の流れ、少し見てもらえる? まわりが混まないように」
「承知しました」
「マリーちゃん」
「うん!」
「駅員さん、手が空いたら来てもらえるように伝えてきて」
「了解!」
そこまで一気に言ってから、うさぎは自分でホームのほうへ向かった。
みんなも、はっとしたように動き出す。
さっきまで戸惑っていたのが嘘みたいだった。
電車がホームに入ってくる。
うさぎは車両のドアの前で待った。
ドアが開き、他の乗客に支えられるようにして降りてきたのは、顔色の悪い女性だった。
「大丈夫ですか」
うさぎは声のトーンを少し落として、できるだけやわらかく言う。
「こちらで少し座りましょう」
「……すみません」
「大丈夫です」
ホームのベンチの近くでは、アリスがちゃんと場所を空けて待っていた。
「こ、こちらへどうぞ」
「ありがとう」
女性がゆっくり座る。
そのタイミングで、みこがお水を持って走ってきた。
「うさ姉さま、お水です!」
「ありがとう。みこちゃん」
うさぎは女性の顔を見た。
「お水、少し飲めそうですか?」
「……はい、少しなら」
女性は小さくうなずく。
みこがおそるおそる差し出したペットボトルを、うさぎが受け取って手渡した。
「無理しなくていいですから、少しずつで大丈夫です」
その横では、しおんが周囲を自然に見ていた。
人が立ち止まりすぎないように、でも不自然にならないように。
近づきすぎる人がいれば、静かに一歩前へ出る。
「このままお通りくださいませ」
その言い方は丁寧なのに、不思議と人がちゃんと動く。
マリーも戻ってきた。
「駅員さん、もうすぐ来れるって!」
「ありがとう」
うさぎは女性の顔色を見ながら、ゆっくり言った。
「少し休んで、落ち着くまでこのままでいましょう」
「すみません……」
「謝らなくていいです。気分が悪くなること、ありますから」
その言い方があまりに自然で、みこは思わずうさぎを見た。
いつものうさぎ姉さまだ。
でも、少し違う。
声も落ち着いていて、迷いがなくて、ちゃんと今何をすべきかが見えている。
アリスも、少し離れたところからうさぎを見ていた。
さっき、自分は何をしたらいいのかわからなかった。
でもうさぎは、無線が入った瞬間に全部決めていた。
「……すごい」
アリスが小さく呟く。
しばらくして、別件の対応をしていた駅員さんが戻ってきた。
「ありがとう、うさぎちゃん。あとはこちらで引き継ぐよ」
「はい」
うさぎが一歩下がる。
女性は少し顔色が戻っていた。
駅員さんがもう一度状態を確認し、必要なら駅事務所で休んでもらう流れになるらしい。
大きな騒ぎにはならなかった。
それが一番よかった。
「ふう……」
ひと段落してから、みこがようやく息をついた。
「びっくりしました……」
「そうね」
うさぎも小さくうなずく。
でも、その顔にはさっきの緊張はもうなかった。
「うさ姉さまって、すごいです!」
みこが、ぱっと顔を輝かせる。
「え?」
「だって、すぐにどうしたらいいか決めてて、すごくかっこよかったです!」
「べ、べつに……」
うさぎはすぐに視線をそらした。
「それくらい、駅で働くんだから普通でしょ」
「普通じゃないよ」
マリーが言う。
「うさちゃん、さっきめっちゃ頼もしかった」
「そういうの、いいから」
「いいから、じゃないわよ」
アリスまで口をはさんだ。
さっきよりも少しだけ、まっすぐな目でうさぎを見ている。
「ちゃんとしてる時は、ホント頼りになる」
「“ちゃんとしてる時”って何よ」
「だって普段は――」
「普段もちゃんとしてるわよ!」
「そういう反応するところも頼りになるわ」
「なによそれ……!」
うさぎの耳が、ほんの少し赤くなっていた。
しおんが静かに言う。
「お見事でした」
「しおんちゃんまで……」
「適切な指示だったと思います」
「べ、べつに……そんな大したことじゃないし」
みこがすぐに言う。
「うさ姉さまがいなかったら、わたし、きっとおろおろしてました!」
マリーがうなずく。
「わたしだって、何をしたらいいのか少し迷ったもの」
アリスが言うと、うさぎは少しだけ目をまるくした。
アリスがこういうふうに、素直に自分のことを認めるのは珍しい。
「だから……」
アリスは少しだけ言いにくそうにしてから、続けた。
「うさぎちゃんって、やっぱりちゃんと先輩ですね」
「ちゃんとって何よ、ちゃんとって」
「そこは気にするのね」
「気にするわよ!」
マリーが吹き出した。
「うさちゃん、めっちゃ照れてる」
「照れてない!」
「うさ姉さま、隠せてないです」
「みこちゃんまで!」
うさぎは思わず声を上げた。
でも、否定すればするほど、みんなの顔がにやにやしてくる。
しまった、と思った時にはもう遅い。
「だって、耳赤いよ?」
マリーが言う。
「うるさい!」
「うさ姉さま、かわいいです!」
「その褒め方やめて!」
「かわいいのは事実です」
しおんが静かに補足した。
「しおんちゃんまで!?」
アリスはそこで少しだけ笑った。
「頼りになるのに、褒めるとこんなになるのね」
「こんなって…」
「こんな表情ってことよ」
「説明になってないわ!」
ホームに笑いが広がる。
ついさっきまで少し張っていた空気が、すっかりやわらかくなっていた。
うさぎは小さく息をついて、でも最後にはあきらめたみたいに言った。
「……もう、いいでしょ」
「よくない」
マリーが即答する。
「うさ姉さま、もう一回言っていいですか?」
「だめ」
「素敵でした!」
「だからだめって言ったでしょ!」
「言っちゃった」
アリスが少し楽しそうに言う。
うさぎはもう、まともに顔を上げられなかった。
でも――
悪い気は、していない。
困っている人の役に立てたことも。
それをみんなが見ていてくれたことも。
こんなふうに、少し照れくさいくらいまっすぐ褒められることも。
本当は、ちょっと嬉しい。
でも、それをそのまま言えるほど素直じゃない。
だから、うさぎは小さく咳払いをして言った。
「次からはみんなも、もっと動けるようになりなさいよ」
「はい!」
「えー、そこなの?」
「そうよ」
「でも、うさちゃんがまたやってくれるなら安心じゃん」
「マリーちゃん」
「冗談だって」
みこがこくこくとうなずく。
「でも、今度はわたしももっとちゃんと動けるようになります!」
「そうしてね」
「わたしも」
アリスが少しだけ真面目な顔で言った。
「次はしっかりやるわ、あそこまで何も出来ないのは悔しい…」
「……そう」
うさぎは、少しだけやわらかい声で返した。
「じゃあ今度、こういう時の動きもちゃんと教えるから」
「ほんと?」
「ええ」
「やった!」
みこが嬉しそうに笑う。
アリスも、少しだけほっとしたみたいな顔をした。
しおんはその横で、小さくうなずく。
「よろしくお願いいたします」
「うん」
追兎天神駅では、今日もいろんなことがある。
大きな事件なんてなくても、急にびっくりするようなことは起こる。
そのたびに、少しずつ覚えて、少しずつ慣れていく。
きっと、それも駅のお仕事なんだろう。
そして、うさぎはまだ少しだけ顔が熱いままで、
でもそれを誰にも言わないまま、次の仕事へ向かった。




