島への旅、そして出会い
“香り”の手がかりを得てから、さらに月日が過ぎた。
レーネは島へ行く決心を固めていたが、問題が一つあった。
同行者――ルーカスの説得だ。
「島に行ったところで、ほんとうにいるかどうかなんてわからないだろ」
「でも、他に手がかりがないの……」
ルーカスは頑なだった。
レーネは姉として、できれば一緒に来てほしい。
けれどルーカスにとってアドリアンは“最初からいない人間”でしかない。
その父親の知り合いを探す旅に、彼が身を乗り出せるはずがなかった。
「俺はそんな、誰ともわからない人のために休み使いたくないんだよ」
「わかってる……でも、わたし一人だと不安なの」
レーネがそう言うと、ルーカスは露骨に顔をしかめた。
それでも、姉が困っているのを放ってはおけなかった。
結局、レーネは何度も頭を下げ、時には泣き出しそうになりながら頼み続けた。
さらに問題はスケジュールだった。
ルーカスは仕事や友人の予定を理由に、なかなか日にちを合わせてくれない。
(……たぶん、この“予定”の大半は断るための言い訳なんだろうな)
それはレーネも気づいていた。
それでも諦めなかった。
そしてついに――半ば強引に、何とか都合をねじ込み、島への渡航の日が決まった。
船には島へ渡るお客がかなりいた。
大きなトランクを持ってる人が多かった。
中には家族連れも。
ほとんどが観光客だった。
船が港に着くと、潮風と賑やかな空気が二人を包んだ。
「けっこう賑やかだな……」
「昔は貧しい島だったみたい。でも観光で変わったんだって」
白い砂浜。
おみやげ屋の並ぶ通り。
漁船から威勢よく荷を降ろす人たちの声。
レーネは少しだけ希望を膨らませた。
まず二人は島の警察署を訪ね、事情を説明した。
「戦争時代の郵便会社にいた女性を探していまして……
名前は――」
「申し訳ありませんが、個人の所在調査は行っていません」
冷たい、事務的な返答だった。
二人は今度は島の役場へ向かう。
しかし、結果は同じ。
「島に移り住んだ人ですか?住所まではお伝えすることはできませんね…目的の真意がね…わかりませんから…」
レーネは肩を落とし、ため息をついた。
隣でルーカスが呆れたように言う。
「だから言ったんだよ。無謀なんだよ、こんなの」
「……わかってる。でも、他にどうしたら……」
重い空気のまま、海の見えるカフェに入り、二人は向かいあって座った。
「ほんとにこれで最後にしようよ。俺、もう姉さんの思いつきに振り回されるのは嫌だ!」
「思いつきじゃないよ……! 父さんのことを知るチャンスなの……!」
声が大きくなる。
観光客が何人か振り返った。
レーネの目には薄く涙がにじんでいる。
「父親なんて、俺には最初からいないんだよ!会ったこともないんだ!
そんな人のために俺の時間を使う意味、正直言ってわからない!」
「それでも来てくれたじゃない……」
「姉さんが頼むからだよ。でも限界はある」
言い合いはしばらく続き、ついに二人が黙り込んだときだった。
「……ちょっと、いいかね、お二人さん」
隣の席でコーヒーを飲んでいた白髪の老人が、ゆっくりと顔を向けてきた。
「喧嘩の内容、聞くつもりはなかったが……いやでも耳に入ってしまってね。
“探している女性”って、もしや島の郵便局にいる人のことじゃないのか?」
レーネは息をのんだ。
「郵便局……ですか?」
「名前はわしも知らんが。戦争後ここの郵便局にきた若い女性が今も郵便局で働いてる。たしか郵便会社の本社にいたとかでね…」
心臓が高鳴った。
――それって。
「ただし、あくまで可能性だから。あまり期待されても困るけどな(笑)」
「ありがとうございます!本当に、ありがとうございます!」
レーネは何度も頭を下げ、席を立った。
「行こう、ルーカス」
「……わかったよ。行けばいいんだろ」
彼は文句を言いながらも渋々姉のあとについていった。
郵便局は港に近い、小さな白い建物だった。
扉を開けると、紙の匂いとインクの匂い…黙々と事務作業を行う職員と窓口でなにか話し込むお客の声…
「すみません……少しお尋ねしたいのですが……」
窓口の職員に名前を伝えると、職員は「ああ」と頷いた。
「その方でしたら、奥におりますよ。お呼びしましょうか?」
「お願いします!」
レーネは胸が苦しいほど高鳴るのを抑えきれなかった。
しばらくして。
軽い足音が、カウンターの向こうから聞こえた。
そして――
姿を現したのは、陽光の中にすっと立つ女性。
金糸の髪。
透き通るような瞳。
背筋の伸びた、静かな立ち姿。
レーネは息を呑んだ。
そして尋ねた。
その女性はあの博物館で見た写真のたしかにその人だった。年月は経っていたがその面影ははっきりと分かった。
女性は一瞬だけ目を見開き、そして柔らかな視線を二人に投げかけ、深く頷いた。
「よくわかりましたね(笑)アドリアンさん…お父様のことですね」
にこやかな笑顔のその目はまるで里帰りした子供を迎える親の目のようだった。




