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届けられない手紙



 タイプライターの音は、その日いつもより静かで柔らかかった。

 彼女の義手が規則的にキーを叩き、アドリアンの最後の言葉を紙へ落としていく。

 金属の触れ合う乾いた音が、これまで積み重ねてきた日々の終わりを告げているようだった。


 アドリアンは椅子で落ち着かない様子を見せていた。

 机の上で組んだ手を何度も組み替えていた。そして時々膝の上に手を置きまた机の上で手を組み…深い息を何度も飲み込む。

 書かれた文章の束――自分の過去の罪、失敗、願い、それらすべてを乗せた“手紙”――が机の上に静かに積まれている。


 彼女が打つのを止める。


 「……これで、終わりです。

  あとは、チェックしていただいて、それで良ければ宛名と差出人を書くだけで、いつでも送ることができます」


 アドリアンは頷いた。

 しかし言葉は出ない。


 「アドリアンさん?」


 彼はしばらく黙ったまま、紙の束を見つめていた。

 その横顔は戦場で見せた悲壮でも怒りでもなく、もっと弱い、もっと人間らしい影を落としていた。


 やがて、弱々しく言う。


 「……送れない。怖くて……どうしても、怖くてたまらないんです…」


 彼女はゆっくりと首をかしげた。


 「怖い、とは……?」


 「こんな手紙を送ったら、子どもたちはどう思う?

  ……俺を恨むかもしれない。

  軽蔑するかもしれない。

  読まずに捨てるかもしれない。

  ……いや、そもそも……受け取りたくないかもしれない」


 彼の声は小さく、消え入りそうだった。


 彼女はしばらく黙ってアドリアンを見つめ、それから言った。


 「――では、預かりましょうか?」


 アドリアンが顔を上げる。


 「預かる……?」


 彼女は静かにうなずいた。


 「はい。 郵便会社には、差し出しを保留しておく仕組みがあります。

  “いつか送る勇気が出たとき”に、あなたが指示してくだされば、その日に送ります」


 アドリアンはその言葉に息を飲んだ。

 まるで霧の中でゆっくり道が開けていくようだった。


 「……そんなことが、できるんですか?」


 「できます。 あなたが望む限り。これは“今すぐ送るための手紙”ではなく、“未来のあなたへの選択肢”です」


 アドリアンはしばらく沈黙し、それから小さくうなずいた。


 「……お願いします。預かってください…」


 ――しかし、彼の表情にまだ迷いが残っていることを彼女は見逃さなかった。


 「まだ、何か気がかりがあるのですね?」


 アドリアンは苦い笑いをして、ゆっくりと告げた。


 「……実は。送るにしても……子どもたちが家を出ていたら…その住所が、わからないんですよ(笑)。実家には……送りたくない。 親がいるから……それだけは避けたい」

アドリアンはバツの悪そうな顔をしていた。

 彼女は目を見開いた。そして微笑みながら…


 「なるほど……確かに、住所がわからなければ送れませんね。ですが――」


 と、彼女は考え込み、手を組む。


 しばらくして顔を上げた。


 「ひとつ、方法があります」


 アドリアンが息をのむ。


 「あなたのご実家へ、“レーネ 様とルーカス 様宛の郵便物を預かっています”という通知を、郵便会社から送るのです」


 「……通知だけ?」


 「はい 手紙そのものは送りません。

  預かっているという事実だけを伝えます。

  必要なら、ご実家からお子さんたちに知らせがいき、お子さんが自ら受け取りに来るかもしれません。  あるいは、こちらに連絡をしてくるかもしれません」


 アドリアンはゆっくりふーと息を吐いた。

 その方法なら、親に直接内容を触れさせずに済む。

 それに――子どもたち自身の意思も尊重できる。

しかし…

その反面もし子どもたちが拒否したら…無視したら…最悪のことも考えたがやらなければなにもならない。そう考えてやることにした。


 「……それなら、できるかもしれない」


 彼は小さく笑った。弱い笑みだったが、確かな光が宿っていた。


 「お願いします。その通知を……出してください」


 彼女は深くうなずく。


 「かしこまりました。

  あなたの手紙は……必ず、大切にお預かりします」


 そして彼女はそっと紙束を抱え、丁寧に紐で結わえた。

 それはまるで、誰かの心を包むような仕草だった。


 アドリアンはその様子をしばらく見つめ、それから小さく目を閉じた。

 ――送れない手紙は、まだ終わりではない。

 その未来は、今日ここで閉ざさなかった。

 少なくとも、そう思えるだけの力を彼女がくれたのだ。


数日が経った。

アドリアンには通知が実家に送られたことはわかっていた。

あとはなにかを待つだけだった。


しかし…

なにも起こらなかった…

彼は通知がたしかに送られて届いてることはわかった。

そのことが彼を不安と絶望に陥れていた。

眠れなくなる夜もあった。


(やはり俺はあの子らの親なんてなれないんだ…もうその資格がないということか…これだけ放ておいていまさら虫が良すぎるということなんだろ…)


そうやって自分自身の気持ちを整理していくしかなかった…

足掻いても焦ってもなにがどうかなるわけでもない…

そう言い聞かせて毎日を送ることだけに気をつけた。

それでも時折もしかしてと思いなにも期待しないと言い聞かせて確認はしてみていた。


なにもなかった…




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