二人の痛み
◆代書室 ― 少年兵たちの記憶
紙を差し替える乾いた音が、静かな代書室に響く。
アドリアンはゆっくり息を整え、記憶の奥からひとつの情景を引き出した。
彼女はタイプライターの前で姿勢を正し、かすかに頷いた。
指先に触れる金属の冷たさが、思いのほか鋭く感じる。
「撤退戦でした。後方にいたのは少年兵の一班で……その中に、カイルって子がいたんです」
その名前の響きに彼女の指が一瞬止まった。
アドリアンは気づかず続ける。
「敵の迫撃砲が近くに落ちて、爆風でその子が倒れて……。俺が駆け寄った時には、足がもう…
でも、彼は……まだ他の子のことを気にしていたんです。 “俺を置いていってください”って…」
カチリ、とタイプライターのキーがずれた。
紙の端が斜めに押し込まれる。
「……大丈夫です。続けてください」
落ち着いた声。
だが目は、ゆっくりと揺れていた。
アドリアンはためらいながらも、続きを話す。
「置いていけるわけがありませんでした。俺はその子抱えて走りました………今でも、あの子の震える声を覚えています。“すみません、すみません”って、何度も…」
アドリアンの胸の奥が痛んだ…
それでも守れなかった…せめてこの子らは…自分の手で…と思い続けていたいたが…
「守れませんでした…私はなにも…」
あの光景が走馬灯のように浮かんでは消えた…
どこまでも手を伸ばしても届かない…
必死に手を伸ばしても…
レーネやルーカスにも…アルトやクララ…の手を握ることはできなかった…
あんなに手を伸ばしていてのに…
自分に向かって叫ぶ彼らの声が聞こえる…
その中にレーネやルーカスも…
アドリアンの様子がおかしいのに気付いた彼女は声をかけた。
「大丈夫ですか?」
そうやって冷静を装っていた彼女の中では、謝り続ける少年。自分が負担になることを恐れる声。その声が自分と重なっていた。
――謝るのはこっちなのに…
義手の指が震え、キーの上でわずかに滑った。
「……ほかにもいました。マリーネという子は、とにかく臆病で……でも仲間のためなら真っ先に走る、そんな子で…」
また胸がざわつく。
アドリアンは語る。でもそれは誰に語るというよりも自分自身に語っているようでもあった。
「ある夜、彼女が泣いていたんです。暗闇の中で、“あと何回、生き残ればいいんですか”って… 自分でも答えられませんでした…」
彼女の喉がかすかに鳴った。
息が浅くなる。
アドリアンの話す少年の泣き声、怯え、必死の行動。
ひとつひとつが、忘れていたはずの記憶を引きずり出す。
――かつての自分も、同じ夜を過ごしたはず…
でも、自分は…
自分は…
温かい食事と柔らかな寝床に感謝しながら、
それを守るために殺す術を叩き込まれた日々。
アドリアンはさらに続ける。
「カイルもクララも……他の子たちも……誰かの盾になろうとしていました。まだ幼いのに、自分より他人を優先してしまう。まるで、“価値ある命”を守らないといけないと思い込んでいるように……」
その言葉が、彼女の胸の奥に深く刺さった。
――自分もそうだった。
自分の命はどうでもよかった。
任務のためなら、仲間のためなら、腕がちぎれようと進んだ。
その在り方を子どもたちに重ねてしまい、
彼女の視界がわずかに滲む。
「大丈夫ですか……顔色が……」 今度はアドリアンが彼女に声をかけた。
しかし彼女は首を振り、機械のように姿勢を戻した。
「……続けてください。すべて記録します。彼らのことを……知りたいのです」
声は震えていた。
震えを抑えきれなかった。
アドリアンは気づいた。
いや、気づいてしまった。
――この人は俺よりも深く、彼らの痛みに反応している。
彼女の瞳が、遠い記憶の中を彷徨うように揺れていた。
「……わかりました。話します」
アドリアンは再び少年兵たちの名をひとり、またひとりと口にする。
そのたびに、彼女の胸に痛みが走る。
忘れていた。
けれど、忘れていなかった。
ページは進む。
しかし彼女にとって、それは
――自分自身の過去へ戻る道でもあった。




