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始まる言葉

郵便会社の一室の静かな時間


机の上には、紅茶の湯気と一台のタイプライター。

アドリアンは落ち着かなかった。

まさか自分が代筆を依頼することになるとは。

そんなアドリアンを気にすることなく彼女は静かに言った。


「今日は、あなたの話を聞かせてください。私はあなたの言葉をできるだけそのまま文章にしていきたいと思います。

書くことに抵抗があるなら……“話すこと”から始めましょう」


代筆部門はただの記録係ではない。それはアドリアンも知っていた。

でも彼女は言葉をそのままという。

記録にするという。

不思議な提案だった。

そこに代筆部門の担当者の感性や才能は入る余地はないのかもしれない。

言葉をそのまま…というのは恐ろしい気もした。

ただ彼女を信頼するしかなかった。



アドリアンは少しだけためらったあと、うなずいた。

「……じゃあ、どこから話せばいいでしょうか」


彼女は微笑みながら答える。


「あなたが、“話してもいい”と思えるところから」


アドリアンは語り始めた。


親の反対を押し切って結婚したこと…そして突然

まだ若く、無力で、愛する者を失ったあの夜のこと…

妻の手を握りながら、目の前で命が離れていったこと…

それを止められなかった自分のこと…

それから子供達と3人の生活が始まったこと…

まだレーネも幼くて、ルーカスはまだ歯も生えてなかった…

それからの生活は大変だった…

親の手はなかなか借りられない…

仕事も変わった…

子供達の世話をするために…

楽とは言えなかった…

それでも必死だった…

それが…だんだん重荷になって…


子どもたちの泣き顔。

震える小さな手。

誰にも触れられたくない自分の醜さ。

何もできない、ただ生きていた男の姿。



「……変ですね…あなたに話して初めて、自分がなににつまずいているのかが、わかったような気がします…」

アドリアンは少し楽になったような気がした。これまで自分の事を人に話さなかったわけではない。だが、今はなにか違っていた…


彼女の金属の指は動き続けた。無機質な指がアドリアンの言葉を綴り続けた。

言葉を正確に打ちながら、彼の呼吸の乱れや目の揺れも、心で受け取るように。

その無機質な音が心を語っていった。


彼女はタイプから手を離し優しく言った。


「話していただいてありがとうございます。私はあなたの話していただいたことをできるだけそのまま文章にしていきたいです。書くのが難しければ、まず“話す”ことからでいいと思います。

言葉は、形を変えても、必ず届きます」


アドリアンはその言葉を、噛みしめるように聞いた。

「……これ、手紙に……なりますかね」


彼女は、はっきりと頷いた。


「ええ。あなたの言葉は、ちゃんと“始まって”ます」


アドリアンの語りは、戦場へ、やがて少年兵の話へと移っていく。

彼女の指のリズムが時々崩れた。







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