交差する憧憬
初めてその作品を目にした時。
なんて凄いのだろうと思った。自分もこんな作品を書きたいと。
けれど書いていくうちに、見えなくなってしまった。
遠くに、行ってしまったから。
※
ちりん、とドアベルが鳴る。
「あのう……すみません」
控えめな呼び声に、マイラがカウンターに出て来客を見た。
まだ年若い少女だ。長い髪を二つに分けた三つ編みにして、分厚いメガネをかけている。
客人は周りを見渡しながら、おずおずとカウンターに来た。
「お、思い出を……オルゴールにしたいんですが」
ストレートな依頼に、マイラは微笑んで頷く。
「では、話を聞きますので、奥にあるあちらの席でお待ち下さい」
「は、はい」
スタイラにお茶の用意を任せて、自分は店の看板を閉店にした。
少女は自分を、スピラと名乗った。
「小さい頃から、憧れている作家が居るんです」
「作家? 本を出しているんですね」
「あっ、わ、わたしじゃないです! その作家の出す絵本があって……それがとても素敵なんです。子供の心に響く、優しくて美しい文体をしていて」
俯きがちながらも饒舌に語るスピラは、ずっと胸に抱き締めていた小さな包みをテーブルに置く。
「わたしも、そんな素敵な作家になりたくて……自分でも絵本を書いた事があるんです。絵は他の人にお願いして、文章だけですけど……でも、それは見向きもされなかったんです」
それを聞いて、マイラは少し苦笑を浮かべた。
作品を作る事、それ自体は簡単だ。だが、受け入れられるかは全くの別問題。
万人に受ける作品というのは、存在しないのだ。
「その後も頑張って、書いてたんですけど……いつの間にか、何のために書いてるのか分からなくなってしまって」
「何よ、その作家とやらに近付きたかったんじゃないの?」
スタイラの言葉に、スピラは小さく頷いて、だがすぐに頭を左右に振った。
「そのつもりだったんです。あの人のようになりたい。だから、あの人のように絵本を書いて、近付きたかった。……でも、ダメですね。そんな半端な気持ちで手を出しちゃいけなかったんです」
落ち込んだ声で、スピラが言う。
「わたしの書く話は、子供向けじゃないって言われました。絵本作家への道は諦めるべきだと。でも、わたしが見たかった景色は、絵本作家として認められた自分が立つ姿だったんです」
なるほど、とマイラは納得した。彼女は作家になりたかったわけではないのだろう。憧れた作家と同じ場所に立ってみたかっただけなのだ。
スピラが、置いた包みを開く。中には、折れた羽根ペンが入っていた。
「無理だって分かったら、もういいや、ってなっちゃって……。これ、自分で折ったんです。わたしは諦めますけど、憧れた気持ちまでは無かったことにしたくなくて。お願いします。このペンで、わたしの、作家に憧れて夢を見ていた頃の思い出を、オルゴールにして下さい。そうしたら……この先も、希望を持って生きられるから」
顔を上げたスピラは、涙ぐんでいた。
マイラもスタイラも、断る理由はない。頷いて羽根ペンを手に取る。
「承りました。お客様の心に寄り添う一品をお作りします」
「それじゃ、記憶を預かるわ」
スタイラがいつも通り記憶を引き出すと、一瞬だけ虚ろになったスピラの目が、はっとする。
「い、今のは……?」
「オルゴールを作るのに必要な記憶を預かったわ。この記憶はオルゴールを聴けば思い出せるから安心して」
説明を聞いたスピラは、ほっとした顔で立ち上がった。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「期間は……一ヶ月ほどですね。一ヶ月後にまたいらして下さい。代金もその時に受け取ります」
「分かりました」
何度もお辞儀をして店を出ていくスピラを見送ったあと、マイラはテーブルを片付けながら言った。
「憧れの人か。作家の名前くらい聞いておけば良かったかな」
するとスタイラがあっさりそれに返す。
「あら、私、分かるわよ。記憶の中にあったから」
「ああ、そうか。じゃあ今度、本屋で探してみようかな」
「ま、たまにはいいんじゃない? その時は私にも読ませてよ」
普段はほとんど本など読まないスタイラが言うのなら、張り切って選ばなければ。
マイラは微笑んで「もちろん」と言った。
※
「いやぁ、先生! 今回の話も素晴らしいですよ!」
先生、と呼ばれた女性は照れ笑いを浮かべた。
担当編集者がいつも通りに作品を褒めちぎる。これが忖度無しらしいのだから、何とも気恥ずかしいものだ。
が、大分それにも慣れてしまった。
「ありがとうございます。子供達の喜ぶ顔が、一番のご褒美ですからね」
「先生らしいですね。そういえば、こんな噂を聞きましたよ。何でも、隣街にあるオルゴール屋が、人の思い出を形にしてくれるとか。本当だったら、夢のある話ですよねぇ」
それはとても、創作意欲を掻き立てられる内容だ。
子供達は不思議な話が好きなので、よく書いている。
嘘か本当かはさておき、さぞ腕のいい職人に違いない。
「へえ、行ってみたいですね」
「取材ですか? それとも、個人的に?」
「両方で。それに、本当に思い出が形に残るなら、私も依頼したいんですよね」
遠い昔を思い出す。最初に自分の話が大好きだと言ってくれた彼女は、今何をしているのだろうか。
学生時代までは一緒だったが、作家になってからは全然会えていない。
「子供の頃の記憶って、だんだん綺麗になっていくんですよ。だから、出来ればありのまま残したいなって」
「いいじゃないですか! じゃあ、その店探しておきますね。先生がいつでも行けるように!」
そこまで言われたら、行くしかないだろう。
だがふと、思い出したように担当編集者が続けた。
「あっ、でも、行く時はちゃんと、思い出の品を持っていくのが鉄則らしいですよ!」
「そうなんですか? うーん、何かあったかなぁ……」
どうやら、今日は部屋をひっくり返す時間が必要らしかった。
「ところで、先生の残したい思い出って何ですか?」
ふと問われて、考えながら答える。
「……あの子のように、素直で純粋なままでいたい。そんな事を感じた記憶、かな」
それは幼い自分が初めて抱いた感情。だからこそ、絵本作家になろうと決めたのだ。
きっと、それを彼女は知らないだろうけれど。
「そうですよねー。大人になっていくと、汚れてしまうっていうか、純粋ではいられなくなるっていうか。分かります」
うんうん、と担当編集者も頷く。彼もまた、純粋な子供時代を送ってきている。思う所も多いだろう。
ともあれ、次の休みを決めて、そのオルゴール屋に向かう事にした。
※
ぺらり、とページをめくる音がする。
『――こびとは むねを はって いいました。
「ぼくは とっても えが うまいんだ!
だから きみの ことも じょうずに かいて あげる!
だって ぼくたち ともだちだから!」
ひとりぼっちの おんなのこに はじめて ともだちが できた ひ でした』
本のタイトルは『はじめての ともだち』。マイラが勘で買った、例の絵本作家とやらの絵本で、かなり初期の作品でもある。
絵が上手な小人と、恥ずかしがりな少女が友達になり、やがてその絵をきっかけに、少女が自信をつけて自分から友達を作りに踏み出す。そんな話。
マイラやスタイラにとっては少し懐かしさを感じるものだった。
「友達なんて、そんな存在も昔は居たわね」
「そうだね。もう誰も、居なくなってしまったけれど」
あれからオルゴールは無事に完成し、持ち主であるスピラもきちんと店に来てくれた。
だが、少しボサボサになってしまった髪と、分厚いメガネの下に見えたクマが気にかかった。
本人は『どうしても書きたい話が出来てしまって』と、物語を書く事を続ける決意をしたらしい。
ただ、絵本ではなく、大衆向けの娯楽小説を書くことにしたようだ。
思い切って好きなように話を書き始めたら、止められなくなったとのこと。
「思い出を形に変えた事で、新たな人生を踏み出せたのなら良かったよ」
「そうね。今度は売れるといいわね」
まだ名を知られていない作家の運命やいかに。
ゆったりとした時間を過ごしながら、音箱屋は今日もいつも通りである。
※
一年後。
「先生、またオルゴール聴いてるんですか?」
「ええ。これを聴いていると、当時の気持ちを思い出せるんです」
「ちょっとだけにしてくださいね? 今日はあの、大物絵本作家さんとの対談なんですから!」
「もちろん。張り切って臨みます。だってずっと――憧れていた友人ですから」
少し散らかった部屋の中、オルゴールの音色が優しく響く。
それを聴くのは、新進気鋭の若手作家と、その担当編集者。
「今度、合同制作をするんですよね? 何でも、不思議なオルゴールのお話だとか! 今から楽しみです!」
「はい、わたしも。それが出来上がったら、一番に読ませたい人が居るんですよ」
「えっ、どなたですか?」
「ふふっ、それはもちろん……」
もうすぐ、運命の再会が訪れる。




