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交差する憧憬

 初めてその作品を目にした時。

 なんて凄いのだろうと思った。自分もこんな作品を書きたいと。

 けれど書いていくうちに、見えなくなってしまった。

 遠くに、行ってしまったから。



 ちりん、とドアベルが鳴る。

「あのう……すみません」

 控えめな呼び声に、マイラがカウンターに出て来客を見た。

 まだ年若い少女だ。長い髪を二つに分けた三つ編みにして、分厚いメガネをかけている。

 客人は周りを見渡しながら、おずおずとカウンターに来た。

「お、思い出を……オルゴールにしたいんですが」

 ストレートな依頼に、マイラは微笑んで頷く。

「では、話を聞きますので、奥にあるあちらの席でお待ち下さい」

「は、はい」

 スタイラにお茶の用意を任せて、自分は店の看板を閉店にした。

 少女は自分を、スピラと名乗った。

「小さい頃から、憧れている作家が居るんです」

「作家? 本を出しているんですね」

「あっ、わ、わたしじゃないです! その作家の出す絵本があって……それがとても素敵なんです。子供の心に響く、優しくて美しい文体をしていて」

 俯きがちながらも饒舌に語るスピラは、ずっと胸に抱き締めていた小さな包みをテーブルに置く。

「わたしも、そんな素敵な作家になりたくて……自分でも絵本を書いた事があるんです。絵は他の人にお願いして、文章だけですけど……でも、それは見向きもされなかったんです」

 それを聞いて、マイラは少し苦笑を浮かべた。

 作品を作る事、それ自体は簡単だ。だが、受け入れられるかは全くの別問題。

 万人に受ける作品というのは、存在しないのだ。

「その後も頑張って、書いてたんですけど……いつの間にか、何のために書いてるのか分からなくなってしまって」

「何よ、その作家とやらに近付きたかったんじゃないの?」

 スタイラの言葉に、スピラは小さく頷いて、だがすぐに頭を左右に振った。

「そのつもりだったんです。あの人のようになりたい。だから、あの人のように絵本を書いて、近付きたかった。……でも、ダメですね。そんな半端な気持ちで手を出しちゃいけなかったんです」

 落ち込んだ声で、スピラが言う。

「わたしの書く話は、子供向けじゃないって言われました。絵本作家への道は諦めるべきだと。でも、わたしが見たかった景色は、絵本作家として認められた自分が立つ姿だったんです」

 なるほど、とマイラは納得した。彼女は作家になりたかったわけではないのだろう。憧れた作家と同じ場所に立ってみたかっただけなのだ。

 スピラが、置いた包みを開く。中には、折れた羽根ペンが入っていた。

「無理だって分かったら、もういいや、ってなっちゃって……。これ、自分で折ったんです。わたしは諦めますけど、憧れた気持ちまでは無かったことにしたくなくて。お願いします。このペンで、わたしの、作家に憧れて夢を見ていた頃の思い出を、オルゴールにして下さい。そうしたら……この先も、希望を持って生きられるから」

 顔を上げたスピラは、涙ぐんでいた。

 マイラもスタイラも、断る理由はない。頷いて羽根ペンを手に取る。

「承りました。お客様の心に寄り添う一品をお作りします」

「それじゃ、記憶を預かるわ」

 スタイラがいつも通り記憶を引き出すと、一瞬だけ虚ろになったスピラの目が、はっとする。

「い、今のは……?」

「オルゴールを作るのに必要な記憶を預かったわ。この記憶はオルゴールを聴けば思い出せるから安心して」

 説明を聞いたスピラは、ほっとした顔で立ち上がった。

「それじゃあ、よろしくお願いします」

「期間は……一ヶ月ほどですね。一ヶ月後にまたいらして下さい。代金もその時に受け取ります」

「分かりました」

 何度もお辞儀をして店を出ていくスピラを見送ったあと、マイラはテーブルを片付けながら言った。

「憧れの人か。作家の名前くらい聞いておけば良かったかな」

 するとスタイラがあっさりそれに返す。

「あら、私、分かるわよ。記憶の中にあったから」

「ああ、そうか。じゃあ今度、本屋で探してみようかな」

「ま、たまにはいいんじゃない? その時は私にも読ませてよ」

 普段はほとんど本など読まないスタイラが言うのなら、張り切って選ばなければ。

 マイラは微笑んで「もちろん」と言った。



「いやぁ、先生! 今回の話も素晴らしいですよ!」

 先生、と呼ばれた女性は照れ笑いを浮かべた。

 担当編集者がいつも通りに作品を褒めちぎる。これが忖度無しらしいのだから、何とも気恥ずかしいものだ。

 が、大分それにも慣れてしまった。

「ありがとうございます。子供達の喜ぶ顔が、一番のご褒美ですからね」

「先生らしいですね。そういえば、こんな噂を聞きましたよ。何でも、隣街にあるオルゴール屋が、人の思い出を形にしてくれるとか。本当だったら、夢のある話ですよねぇ」

 それはとても、創作意欲を掻き立てられる内容だ。

 子供達は不思議な話が好きなので、よく書いている。

 嘘か本当かはさておき、さぞ腕のいい職人に違いない。

「へえ、行ってみたいですね」

「取材ですか? それとも、個人的に?」

「両方で。それに、本当に思い出が形に残るなら、私も依頼したいんですよね」

 遠い昔を思い出す。最初に自分の話が大好きだと言ってくれた彼女は、今何をしているのだろうか。

 学生時代までは一緒だったが、作家になってからは全然会えていない。

「子供の頃の記憶って、だんだん綺麗になっていくんですよ。だから、出来ればありのまま残したいなって」

「いいじゃないですか! じゃあ、その店探しておきますね。先生がいつでも行けるように!」

 そこまで言われたら、行くしかないだろう。

 だがふと、思い出したように担当編集者が続けた。

「あっ、でも、行く時はちゃんと、思い出の品を持っていくのが鉄則らしいですよ!」

「そうなんですか? うーん、何かあったかなぁ……」

 どうやら、今日は部屋をひっくり返す時間が必要らしかった。

「ところで、先生の残したい思い出って何ですか?」

 ふと問われて、考えながら答える。

「……あの子のように、素直で純粋なままでいたい。そんな事を感じた記憶、かな」

 それは幼い自分が初めて抱いた感情。だからこそ、絵本作家になろうと決めたのだ。

 きっと、それを彼女は知らないだろうけれど。

「そうですよねー。大人になっていくと、汚れてしまうっていうか、純粋ではいられなくなるっていうか。分かります」

 うんうん、と担当編集者も頷く。彼もまた、純粋な子供時代を送ってきている。思う所も多いだろう。

 ともあれ、次の休みを決めて、そのオルゴール屋に向かう事にした。



 ぺらり、とページをめくる音がする。


『――こびとは むねを はって いいました。


「ぼくは とっても えが うまいんだ!

 だから きみの ことも じょうずに かいて あげる!

 だって ぼくたち ともだちだから!」


 ひとりぼっちの おんなのこに はじめて ともだちが できた ひ でした』


 本のタイトルは『はじめての ともだち』。マイラが勘で買った、例の絵本作家とやらの絵本で、かなり初期の作品でもある。

 絵が上手な小人と、恥ずかしがりな少女が友達になり、やがてその絵をきっかけに、少女が自信をつけて自分から友達を作りに踏み出す。そんな話。

 マイラやスタイラにとっては少し懐かしさを感じるものだった。

「友達なんて、そんな存在も昔は居たわね」

「そうだね。もう誰も、居なくなってしまったけれど」

 あれからオルゴールは無事に完成し、持ち主であるスピラもきちんと店に来てくれた。

 だが、少しボサボサになってしまった髪と、分厚いメガネの下に見えたクマが気にかかった。

 本人は『どうしても書きたい話が出来てしまって』と、物語を書く事を続ける決意をしたらしい。

 ただ、絵本ではなく、大衆向けの娯楽小説を書くことにしたようだ。

 思い切って好きなように話を書き始めたら、止められなくなったとのこと。

「思い出を形に変えた事で、新たな人生を踏み出せたのなら良かったよ」

「そうね。今度は売れるといいわね」

 まだ名を知られていない作家の運命やいかに。

 ゆったりとした時間を過ごしながら、音箱屋は今日もいつも通りである。



 一年後。

「先生、またオルゴール聴いてるんですか?」

「ええ。これを聴いていると、当時の気持ちを思い出せるんです」

「ちょっとだけにしてくださいね? 今日はあの、大物絵本作家さんとの対談なんですから!」

「もちろん。張り切って臨みます。だってずっと――憧れていた友人ですから」

 少し散らかった部屋の中、オルゴールの音色が優しく響く。

 それを聴くのは、新進気鋭の若手作家と、その担当編集者。

「今度、合同制作をするんですよね? 何でも、不思議なオルゴールのお話だとか! 今から楽しみです!」

「はい、わたしも。それが出来上がったら、一番に読ませたい人が居るんですよ」

「えっ、どなたですか?」

「ふふっ、それはもちろん……」


 もうすぐ、運命の再会が訪れる。

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