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幸福の隠し味

 人は、美味しいものを食べている時にこそ至高の幸福を得られる。

 そう、それがたとえ粗末な料理だとしても。

 だが、今はどんなに手間暇かけたフルコースを作れたとしても、それには遠く及ばないのだった。



「あら。ねえマイラ、この近くに高級料理店が出来るそうよ」

 スタイラが朝の新聞を読みながら兄に声を掛ける。

 マイラは珍しくコーヒーを飲みながら、それに反応した。

「へえ、高級料理店か。どんな品を出すんだろうね」

「そうね、きっと見たことの無い材料や調味料を使ってるんじゃないかしら。まぁ、私達じゃとても行けないけど」

「でも、興味はあるんだよね? スタイラは割と、食事にこだわるから」

 まるで食い意地が張っていると思われたかのような気分になり、スタイラは軽くむくれた。

「何よ、毎日質素なパンとスープで我慢してるじゃない」

「でも、たまにはいい魚や肉も食べたいんだろう?」

「当たり前よ。いい食事はモチベーションにも繋がるんだから」

 小さい店を運営しているだけで、毎月の出費はそれなりに嵩む。

 場所代、家賃、材料費、そして食費。

 二人の作るオルゴールは特殊な為、客が増えても予約待ちになる。その間も当然、出費は発生する。

「どうせなら、場所代とか家賃を免除して欲しかったわ」

「まあまあ。人の中に紛れて過ごすには、ズルは出来ないって事だよ。さ、そろそろ開店しようか」

 コーヒーを飲み干したマイラが、立ち上がって店の方に出る。

 スタイラも新聞を閉じて棚の上に置いた。

 今日も客を待ちながら、持ち主の分からないオルゴールを作る作業になるだろう。

 そう考えていると、マイラが戻ってきて言った。

「ごめん、スタイラ。お茶の用意をお願い出来る?」

「いいわよ。今日はいきなり来たのね」

「うん。じゃあ僕は話を聞いているから」

 朝一番の来客。面倒な客でなければいいと思いながら、スタイラはお湯を沸かすのだった。



 クィーレは焦っていた。

 どんなレシピを思い付いても、理想の味に届かないのだ。

 せっかく、新店舗の料理長となれたのに、このままでは客も仲間も失望させてしまう。

 だがそんな悩みを打ち明けようものなら、たちまち立場を奪われてしまうだろう。

 せっかく下働きを何年も続けて、のし上がってきたのだ。ここで躓くわけにはいかない。

 そんな彼の手には、一本のスプーンが握られていた。

「……なるほど。事情は分かりました。しかしどうやってこの店の事を?」

 店主という少年の問いかけに、クィーレは懐から一枚の切り抜きを取り出す。

 そこには、この店について詳しく書かれた記事があった。

「雑誌にこの記事が載っていたんだ。思い出をオルゴールにして、聴く度に鮮明な記憶を呼び起こす、と。もしかしたら、それなら私のレシピにも命が宿るのではないか、とね」

「そういう副次的効果は期待しないで。あくまでうちの店が作るのは、思い出をオルゴールという形にしたものよ」

 少女がきっぱり言う。だが、記事通りなら、依頼した者は寸分違わぬ記憶を思い出せるのだ。

 今のクィーレには、どうしても朧げにしか思い出せない記憶。それも、この店なら思い出させてくれるはず。

「分かっている。だが、どうしても必要なんだ」

「で、そのスプーンは何の思い出があるの?」

 少女の問いかけに、クィーレは何とか記憶を辿って答える。

「あれは、私がまだ幼い頃だった。母がいつも通り食事を作っていて、私はそれを見るのが好きだった。ある日、母がこのスプーンで、何かを掬って……私に、差し出した。『これを鍋に入れたら完成よ』と」

 何を作っていたのか、何を入れていたのか、思い出せない。

 肝心の母は、数年前に亡くなってしまった。

「その時の味も覚えていないが……とても美味しかった事は覚えている。完全に忘れる前に思い出したいんだ」

 双子の店主は顔を見合わせてから、頷いた。

「分かりました。そのスプーンをお渡し下さい」

「記憶も預かるわね」

「! ああ、頼む。それで、その……なるべく早く作ってもらえないだろうか」

 あまり時間がない。一ヶ月も待たされたりしたら、困ってしまう。

 すると少年が苦笑した。

「本来ならばこちらで指定するのですが、お急ぎならば二週間でお作りします」

「適当な仕事は出来ないの。悪いけど、それ以上は早く作れないわ」

 少女の言葉に、クィーレはこくこくと頷く。

 二週間ならば、まだ間に合うはずだ。

「構わない。では、よろしく頼むよ」

 そうして店を出ると、まっすぐ、新しい自分の店へと向かう。

 中では、部下になる仲間達がテーブルなどのセッティングをしていた。

「あ、料理長! お帰りなさい」

「楽しみにしてますよ! 何しろ、新作は料理長が一から手掛けたレシピなんですから!」

「ああ。私も今、レシピを詰めているところだ。私は厨房に行く。用事があったら、声をかけてくれ」

 クィーレはそう言って、奥にある厨房に向かう。

 そこにはいい匂いが漂っていた。

「これは……?」

「あぁっ、すみません、料理長! さっきまでまかないを作ってまして! と言っても簡単なスープなんですが」

 部下の一人が慌てて入ってきて、そう言った。鍋にはまだ、少しだけスープが残っている。

「残りをいただいても?」

「えっ、いいんですか!? じゃ、じゃあ、是非!」

 部下がスープ皿にスープを注ぐ。

 ことり、と置かれた皿には、澄んだ琥珀色のスープが僅かな具と共に入っていた。

 渡されたスプーンで一口掬って、口に運ぶ。


 途端に、驚愕した。


「これを……君が?」

「はっ、はい。あの……何か、まずかったですか?」

「いや、違うんだ。……これは、隠し味に、ミントかね?」

 ほんのわずかだが、清涼感のある香りがした。

 部下は驚いて頷く。

「はいっ。ものは試しで入れてみたんです。皆、肉体労働をしているので、ちょっとさっぱりした気持ちになって欲しくて」

「うむ、悪くないな。少しクセになる味だ。好みは分かれるだろうがね」

「そうなんですよね。美味しくないって人も居たので、ちょっとへこんでたんですが……料理長の口に合いましたら、何よりです!」

 彼は料理に対して誠実だ。それが伝わってくる。

 何より、クィーレの求めた理想の味にかなり近い。

 このままでは、追い越されてしまう。

「君は……この料理を作る時に、何を考えていたんだ?」

「えっと、少しでも皆の心と体が回復出来たらなって……」

「そうか。君は、優しいんだな」

 スープを飲み切り、クィーレは言う。

「また今度、作ってくれ。美味しかった」

「あっ、ありがとうございますっ!」

 ぺこり、とお辞儀をする部下は、また店側へと戻っていった。

 一人になった厨房で、クィーレは天井を仰ぐ。

「皆の為か……」

 本当に足りていないのは、記憶ではないのかもしれない。

 厨房の奥に隠していたレシピを取り出して、目を通す。

 どれもこれも、独善的な意思が透けて見えた。

「これではダメだ……」

 ぐしゃりと、レシピを握り潰す。

 開店まであと一ヶ月だった。



『おかーさん、ぼくも、おてつだいしたい!』

『あらあら、嬉しいわねえ。じゃあ、ほら……これをどうぞ』

 シチューが煮込まれた鍋を前に、幼いクィーレは、母親から小さなスプーンを渡された。

 そして、瓶に入った蜂蜜を、そのスプーンでひと匙掬って、鍋に入れる。

『おかあさん、これ、あまくないの?』

『ええ、大丈夫よ。これが美味しさの隠し味なの』

 隠し味って何だろう、とクィーレは思ったが、その日の食卓に出てきたシチューは、いつもより美味しく感じた。

『おかーさん、かくしあじ、ってすごいね!』

『そうよ。ほんのちょっとだけでも美味しくなるの。大きくなったら、クィーレも自分で作ってみてね』

 そう言って微笑む母親の姿。今はもう、見ることも叶わない。

 だが、安堵した。

「ああ、これだったのか。私が忘れていたものは」

「お気に召して頂けましたか?」

 少年の声に、頷く。

 クィーレは代金を支払うと、そのオルゴールを持ってまっすぐ自宅に帰った。

「ああ、素晴らしい。新しいレシピが湧いてくる!」

 書き殴るように連ねていくレシピは、一晩で十数個にも及んだ。

 そして迎えた新店舗オープンの日。

 料理長の作った料理を口にした人は揃って、満足そうな顔をしていたという。



 ちりりん、とドアベルが響く。

 ドアの近くでは、所在なげに双子の少年と少女が、店内を見渡していた。

 全くこの店にそぐわないが、彼らにとっては一張羅でもある格好で。

 クィーレが奥から出てきて、一礼した。

「ようこそ、お待ちしておりました。さあ、お席へご案内致します」

「お招き、感謝します。僕達、マナーなどはよく分からないんですが、大丈夫ですか?」

「ええ、何なりとお聞きください。今日はお二人の為だけに店を開けました。存分に、私の料理を楽しんでいってください」

 ――あれからこの店は、一年先まで予約でいっぱいになった。

 今日はその合間を縫って、わざわざ定休日に店を開いて、クィーレはオルゴール屋の双子を招待したのである。

 感謝してもしきれない。あれから何度もオルゴールを聴き、その度に新しいレシピが生まれ、料理となって人々の至福の時間となっている。

 料理を作った際は時折、部下の意見も取り入れていた。特にミント入りスープを作った部下の意見は斬新で、重宝していた。

 さて、彼らはどんな顔で料理を味わってくれるのだろうか。

 フルコースの前菜を準備しながら、クィーレは胸を躍らせるのだった。

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